ビル・ロビンソン
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ビル・ロビンソン(Bill Robinson、1938年9月18日 - )は、イギリスマンチェスター出身の元プロレスラー。「ビリー・ライレージム」(通称:Snake pit 蛇の穴)出身。「人間風車」の異名を持つ。
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[編集] 来歴
少年時代からレスリングやボクシングなどの練習に打ち込み、1954年「ビリー・ライレージム」に入門し、先輩のビリー・ジョイスらと共に厳しいトレーニングを積み1959年アマレスデビュー、1963年プロレスラーとなる。自伝(『高円寺のレスリングマスター』)によると、13歳のときに友人の投げたブリキの看板が目をかすめ半年間入院し眼球のレンズの部分が損傷しボクサーへの道が閉ざされた、とある。この関係か片方の目が義眼との説がある。いずれにせよ一方の目が不十分ながら格闘技を極めている人物であり、天才的といえるだろう。
1960年代は世界中のリングを廻り、1967年1月大英帝国ヘビー級王座を獲得。1968年4月に国際プロレスのリングで初来日を果たす。同年11月に行われた第1回IWAワールドシリーズで優勝、初代IWAヘビー級王者に認定される。またレスリングの腕を買われ国際プロレスのコーチ役となり、半年間日本で生活したこともある。また「蛇の穴」の先輩・カール・ゴッチと何度も対戦した。外国人レスラーといえばパワーファイターというイメージしかなかった当時の日本マットにおいてそのクリーンファイトは人気を博し、少年たちの心を掴んでいた。このころのプロレス界では、ヨーロッパレスラーはほとんど知られておらず、国際プロレス(吉原功社長)がヨーロッパレスラーに注目した点は画期的であった。その後国際プロレスでは外国人ながらエース格の扱いを受ける。
バーン・ガニアが国際プロレスを訪れて、ロビンソンをはじめヨーロッパレスラーにアメリカでの道(特にガニアの団体であるAWA)を開いたことで、ロビンソンもアメリカで本格的に活動するようになる。AWAにおいてもロビンソンはコーチ役となり、リック・フレアー、アイアン・シークなどが教えを受けている。しかしシングルのタイトル戦線に絡むことはあまりなかった。
1975年には新日本プロレスに登場。12月11日に蔵前国技館で行われたアントニオ猪木とのNWF世界ヘビー級選手権試合(1-1、60分時間切れ引き分け)は伝説的な名勝負となっている。
1976年7月には全日本プロレスに移り、引退まで参戦する。今のロビンソンのイメージからはやや意外だが、彼が日本で最も長く参戦しているのは全日本である。しかしその印象が薄いのは無理もなく、当時の全日本のファイト・スタイルとロビンソンのスタイルはやや乖離しており、技術を披露する機会はあまりなかった。それに加えロビンソン自身のコンディションは落ちていて(体を隠すためかコスチュームもトランクスからアマチュアレスリングスタイルの吊りパンツに変わっていた)、全盛期の動きからは遠ざかっていた。1976年7月24日のジャイアント馬場とのPWFヘビー級選手権はほとんど見せ場を作れないまま完敗(スコア2-1。前年の猪木戦を意識したのか、ダブルアーム・スープレックスを受けようともしないなど、馬場はロビンソンを引き立たせようとはしなかった(もっとも、ロビンソンも報復かどうか16文キックや空手チョップを露骨に受けようとしないことが度々あった)。猪木がようやく引き分けた相手に完勝することで、自らのステイタスを守ったといわれている。そしてこれが日本におけるロビンソンの初2フォール負け)。その後は何度かヘビー級タイトルを獲得しているものの、強烈なインパクトは残せず、馬場は後年ロビンソンのことを問われ(10年間も参戦していて、UNヘビー級選手権をめぐってジャンボ鶴田と幾度も名勝負を繰り広げていたにもかかわらず)「そんな奴もいたなあ」程度で済ませてしまっている。世界最強タッグ決定リーグ戦やチャンピオン・カーニバルにも出場しているが、目立った戦績は乏しい。
1985年10月、持病の膝の怪我がもとで現役を引退(得意技のワンハンド・バックブリーカーで痛めたと言われている)。ガードマンなどの職に就いていたが、1992年、UWFインターナショナルのコーチに就任。再び養った技術を伝道するようになる。現在は、宮戸優光が主宰する(宮戸は猪木戦を見たことがプロレスを志すきっかけとなった)U.W.F.スネークピットジャパンのヘッドコーチ。
現在は高円寺に定住し、骨を埋める覚悟で後進の指導に当たっている。1999年8月放送の「タモリ倶楽部」では、ジョーダンズ・久住昌之・こずえ鈴らと共に高円寺界隈に引越しの挨拶回りをする様子が放送された。
[編集] 主なタイトル
[編集] 得意技
- ダブルアーム・スープレックス(人間風車)
- ワンハンドバックブリーカー
- フロント・スープレックス
- ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ
[編集] 関連項目
[編集] 著作
- 『人間風車ビル・ロビンソン自伝―高円寺のレスリング・マスター』 BLOODY FIGHTING BOOKS エンターブレイン ISBN 4757720823
[編集] 外部リンク
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