ボルチモア・オリオールズ
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ボルチモア・オリオールズ(Baltimore Orioles)は、アメリカメジャーリーグ、アメリカンリーグ東地区に所属するプロ野球チーム。本拠地はメリーランド州ボルチモア市。オリオールとはムクドリのことで、メリーランド州の州鳥でもある。
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[編集] 来歴
アメリカンリーグ加盟初年度はウィスコンシン州ミルウォーキーに本拠を置き、ニックネームもブリュワーズであったが、翌1902年からミズーリ州セントルイスに移転し、「セントルイス・ブラウンズ」となる。現在の「ボルチモア・オリオールズ」になったのは1954年のことである。
フランク・ロビンソンが移籍した1966年にサンディ・コーファックス等を擁した投手王国であったロサンゼルス・ドジャースを下し、初の世界一、1969年から1979年までは地区優勝6回、リーグ優勝4回、ワールドシリーズ優勝1回の黄金時代を築いた。1983年にもワールドシリーズに優勝したが、その後は低迷、1988年には開幕21連敗のアメリカンリーグ記録を作ってしまった。近年も1998年以降は9シーズン連続負け越しで、3位以上も1回(2004年)のみ。ミゲル・テハーダ等の好選手を補強してはいるが、成績に結びつかないのが現状である。2005年途中から元ヤクルトのサム・パラーゾが指揮を執る。
なお、1999年3月にはキューバで野球キューバ代表と交流試合を行ったことがある。
また1901年から2年間に限り同名のボルチモア・オリオールズ(AL)が存在したが、1903年よりニューヨークへ移転した。現在のニューヨーク・ヤンキースである。
- 発足: 1893年
- ホーム球場: オリオールパーク・アット・カムデンヤーズ(Oriole Park at Camden Yards)
- ワールドシリーズ優勝: 3回、1966年、1970年、1983年
- アメリカンリーグ優勝: 7回、1944年、1966年、1969年、1970年、1971年、1979年、1983年
- アメリカンリーグ東地区優勝: 8回、1969年、1970年、1971年、1973年、1974年、1979年、1983年、1997年
- アメリカンリーグ・ワイルドカード獲得: 1回、1996年
[編集] 主な選手
[編集] 殿堂入り選手
- ルイス・アパリシオ(Luis Aparicio)
- ロジャース・ホーンスビー(Rogers Hornsby)(セントルイス・ブラウンズ)
- レジー・ジャクソン(Reggie Jackson)
- ジョージ・ケル(George Kell)
- エディ・マレー(Eddie Murray)
- ジム・パーマー(Jim Palmer)
- ブランチ・リッキー(Branch Rickey)(セントルイス・ブラウンズ)
- ロビン・ロバーツ(Robin Roberts)
- ブルックス・ロビンソン(Brooks Robinson)
- フランク・ロビンソン(Frank Robinson)
- ジョージ・シスラー(George Sisler)(セントルイス・ブラウンズ)
- ボビー・ウォレス(Bobby Wallace) (セントルイス・ブラウンズ)
- アール・ウィーバー(Earl Weaver)
- ホイト・ウィルヘルム(Hoyt Wilhelm)
- カル・リプケン(Cal Ripken, Jr.)
[編集] 現役選手
- デニス・バエズ(Danys Baez)
- エリック・ベダード(Erik Bedard)
- クリス・ベンソン(Kris Benson)
- カート・バーキンス(Kurt Birkins)
- チャド・ブラッドフォード(Chad Bradford)
- ブライアン・バーレス(Brian Burres)
- ダニエル・カブレラ(Daniel Cabrera)
- ジェレミー・グスリー(Jeremy Guthrie)
- ジム・ホーイ(Jim Hoey)
- アダム・ローウェン(Adam Loewen)
- ジョン・パーリッシュ(John Parrish)
- ハイデン・ペン(Hayden Penn)
- クリス・レイ(Chris Ray)
- センディ・レーアル(Sendy Rleal)
- スティーブ・トラクセル(Steve Trachsel)
- ジェイミー・ウォーカー(Jamie Walker)
- トッド・ウィリアムズ(Todd Williams)
- スコット・ウィリアムソン(Scott Williamson)
- ジャレット・ライト(Jaret Wright)
- ポール・バコ(Paul Bako)
- アダム・ドナキー(Adam Donachie)
- ラモン・ヘルナンデス(Ramon Hernandez)
- ブランドン・フェイヒー(Brandon Fahey)
- クリス・ゴメス(Chris Gomez)
- ルイス・ヘルナンデス(Luis Hernandez)
- ケビン・ミラー(Kevin Miller)
- メルビン・モーラ(Melvin Mora)
- ブライアン・ロバーツ(Brian Roberts)
- ミゲール・テハーダ(Miguel Tejada)
- エイダー・トーレス(Eider Torres)
- フレディ・バイナム(Freddie Bynum)
- ジェフ・フィオレンティーノ(Jeff Fiorentino)
- ジェイ・ギボンズ(Jay Gibbons)
- オーブリー・ハフ(Aubrey Huff)
- バル・マジュースキー(Val Majewski)
- ニック・マーケイキス(Nick Markakis)
- コーリー・パターソン(Corey Patterson)
- ジェイ・ペイトン(Jay Payton)
- アダム・スターン(Adam Stern)
[編集] 永久欠番
- 4 アール・ウィーバー(Earl Weaver)
- 5 ブルックス・ロビンソン(Brooks Robinson)
- 8 カル・リプケン(Cal Ripken, Jr.)
- 20 フランク・ロビンソン(Frank Robinson)
- 22 ジム・パーマー(Jim Palmer)
- 33 エディ・マレー(Eddie Murray)
- 42 ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)
[編集] 傘下マイナーチーム
AAA
- ノーフォーク・タイズ (Norfolk Tides)
AA
- ボウイ・ベイソックス (Bowie Baysox)
A
- アバディーン・アイアンバーズ (Aberdeen IronBirds)
- フレデリック・キーズ (Frederick Keys)
- デルマーヴァ・ショアバーズ (Delmarva Shorebirds)
ルーキーリーグ
- ブルーフィールド・オリオールズ (Bluefield Orioles)
- ガルフコースト・オリオールズ (Gulf Coast Orioles)
[編集] 史上最弱のチーム?
セントルイス・ブラウンズ時代のオリオールズはとにかく弱いことで知られていた。存続した52年の間でAクラスになったのはわずか12回、優勝したのはたったの1回である(しっかりワールドシリーズでは負けている)。それも戦争の影響で他チームの有力な選手が兵役についていた1944年のことだった。ちなみにこの前年のオフシーズン(つまり43年と44年の間)、ブラウンズから兵隊にとられた選手はいない。つまり、軍隊にも入れないような体格や体力の選手が揃っていたわけであった。
同じ町にセントルイス・カーディナルスがあったこともあり、人気も無かった。1913年には、春のキャンプのスタジアム使用料にバジー・ウェアーズという名の選手を出したこともある。
観客の動員に困った球団は苦肉の策を次々と打ち出した。代表的なのがピート・グレイの獲得である。英語の教科書で読んだ人もいるかと思うが、彼は事故で右腕を失っていた。マイナーリーグで首位打者、3AでMVPを獲得するなどしたが、メジャーリーグは甘くはなかった。プレーしたのは1945年の77試合のみ、残した打率は2割1分8厘。その姿は感動を呼んだものの、戦力にはならなかった。
1947年、すでに1941年に引退していたディジー・ディーンをプレーさせる。彼がラジオの解説で「俺が投げたほうがましだ」と言ったからである。彼は3回と3分の2を0点に抑え、ヒット1本を放った。しかし所詮ジョークであり、客寄せのためであった。
1950年には、デビッド・トレイシーという心理学者を雇いチームを勝たせようとした。選手に対して催眠術をかけさせようというのである。もちろんうまくいくはずがなく、彼は解雇された。
1951年、新しくオーナーになったビル・ヴィークは球史に残る奇策を講じた。身長わずか108センチのエディー・ゲーデルをプレーさせたのである。彼は小さい体をさらに低くかがませ、狙い通り四球になった。そして彼が一塁に立ったところで代走が送られ、そのまま二度とプレーすることは無かった(さらに詳しい情報はゲーデルの項目を参照)。
この事件の5日後、さらにヴィークは前代未聞のイベントを行った。なんと観客に指揮を取らせたのである。まず監督のザック・テイラーはダッグアウトの上に座り、試合の要所で観客に作戦についての質問をする。そして観客は持っている「はい」と「いいえ」のカードを出し、多数決で実行するかどうか決めたのである。そして驚くべきことに、フィラデルフィア・アスレチックスを5対3で破ったのだ。
ブラウンズの最期は見るも無残なものだった。ヴィークは球団経営が行き詰っていたので、ノーヒットノーランを達成した選手にボーナスを与えるために友人から借金をしなければならなかったほどである。手持ちのボールは2ダースしかなく、練習にも事欠く有様だった。最後の試合となったシカゴ・ホワイトソックス戦で、ファンはヴィークの人形をつるし首にし、グラウンドに投げ入れた。試合が延長戦に入るとボールが足りなくなった。そこで急遽、ファールボールをグラウンドに返すようアナウンスされた。それでもボールが足りないので、ホワイトソックスが傷物のボールを特別に貸して試合は行われた。 結局ブラウンズの最後の試合は1対2でホワイトソックスに負けた。シーズンでちょうど100敗目であり、当然最下位だった。
このチームが世界一を経験するには、1966年まで待たなければならなかったのである。
[編集] 参考資料
ブルース・ナッシュ、アラン・ズーロ「アメリカ野球珍事件珍記録大全」東京書籍、1991年
[編集] 外部リンク
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