マラッカ海峡
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マラッカ海峡(マラッカかいきょう、Strait of Malacca、マレー語:Selat Melaka)は、マレー半島とスマトラ島(インドネシア)を隔てる海峡。経済的・戦略的に見て、スエズ運河・パナマ運河と並び世界のシーレーンの中でも最重要な場所である。
南東端で接続しているシンガポール海峡と併せて太平洋とインド洋を結ぶ主要航路の一つとなっている。年間の通過船舶数は5万隻を超え、タンカー・コンテナ船など経済的に重要な物資が海峡を行きかう。
全長は約900km、幅は約70km~250km、平均水深は約25mで、岩礁や浅瀬が多い。このため大型船舶の可航幅が数kmの場所もある。シンガポール付近のフィリップス水路(Phillips Channel)は幅が2.8kmと非常に狭く、水深も23mしかなく世界の航路の中でも有数のボトルネックとなっている。[1]この海峡を通過できる船の最大のサイズはマラッカマックス(Malaccamax)と呼ばれており、大型タンカーの巨大化を制限している。
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[編集] 海賊など航路上の障害
日本船舶のみならず、東アジアと中東・欧州などを行き交う各国船舶にとって死活的に重要な航路だが、近年、商船に対する海賊行為が横行している。1994年には25件だった船舶襲撃は、2000年には220件、2003年には150件以上と増加しており、マレーシア・インドネシア・シンガポールなど沿岸諸国の海軍が警備を強化しているほか、日本からも海上保安庁の巡視船が海賊哨戒にあたっている。
2005年3月14日、現地で日本籍の船が襲撃され、日本人拉致事件が発生した(同3月21日に解放)。また、1999年にも同様に日本の船が海賊に襲われるという事件が起きている。
一方、船に対する危険は海賊だけでなく、浅瀬などでの難破もある。海峡内には1880年代以来の難破船が34隻沈んでおり、航路の障害になっている。[2]
またスマトラ島での森林火災が毎年のように頻発し、立ち上る煙はマラッカ海峡を越えてマレーシアにまで達している。濃い煙が流れてくると、海上はわずか200mほど先しか見えなくなり、船は速度を落として運航している。
[編集] マラッカ海峡の航行安全策の整備
1960年頃より、日本を始めとする中東-東アジア間の大型タンカーの航行量が増大した。しかし、当海域は航行支援設備が不足し、また海図の整備も不十分であり、座礁事故が発生した。そのため、沿岸各国と日本が協力して、1960年代後半より航行支援設備や海図の整備を行っており、この協力関係は現在も継続中である。
2005年には、高速船を用いる海賊対策として、日本政府はインドネシアに対し海上保安庁の退役巡視船を政府開発援助(ODA)にて供与した。武装を解除しての供与であったが、武器輸出三原則に触れると政府に抗議する市民団体もあった。
[編集] マラッカ海峡のボトルネック解消策
この航路の浅さや危険性の改善のため、日本のマラッカ海峡協議会は1971年に浅瀬の浚渫を提案したことがあったが、冷戦下だったこともありソ連船舶が出入りしやすくなる軍事的危険が指摘されたほか、浚渫で漁業が打撃を受けるおそれがあるとして沿岸諸国が反対したことにより実現していない(外部リンク[3]参照)。
一方、タイ王国は自国領土のクラ地峡に運河を作るという、マラッカ海峡の通行を緩和する一方で重要性も低下させるおそれのある計画を推進している。これが実現すればアフリカ・中東から太平洋への航路は600マイル(960km)ほど短縮される。しかしこの運河でタイ南部は分断され、しかもムスリムが多く分離主義の動きもあるパタニ地方はタイ本土から切り離されてしまう。2004年にワシントン・タイムズは中国が運河建設費を分担する申し出をタイに対して行ったと報じたが、タイの財政難や環境に与える影響の大きさもあり、クラ地峡運河計画は進んでいない。
また、クラ地峡を横断するパイプラインを建設し、両端に超大型タンカーのための港を建設する案もあり、タイだけでなくミャンマーも同様の提案をしている。中東からアジアへの原油運送コストを1バレルあたり0.5ドル圧縮することができるという試算もある。
マラッカ海峡のかわりに、スンダ海峡やロンボク海峡などインドネシア領内の海峡を通ってインド洋から太平洋側に出る航路もあるが、ロンボク海峡の場合、マラッカ海峡より650kmの遠回りになってしまう上、やはり小島や岩礁が多く難所となっている。
[編集] マラッカ海峡以前の東西交易
かつて古代エジプト・古代ローマ・アラビア・アフリカ・トルコ・ペルシャ・インドなど、海峡西方の諸国からの物資を運んできた貿易船は、現在のマレーシア西海岸のクダ州の港を使用した。当時は6月から11月にかけて吹く貿易風に乗って、西からの貿易船がクダに着き、12月から3月に反対方向の風に乗って帰っていった。クダには小舟、いかだ、人足、ゾウ、税関などがあり、ここに着いた荷物は陸路マレー半島東海岸のクランタン州周辺に向け運ばれた。中国などへの貿易船は、クランタンなど東海岸から入出航していた。クダは6世紀頃有名な港として栄えたが、マラッカ海峡を通る航路が開拓されると廃れていった。
[編集] 沿岸国
[編集] 外部リンク
研究レポート No.95 November 2000 『アジアにおけるエネルギー協力と日本の課題』 富士通総研経済研究所 主任研究員 武石礼司