ジョシュ・バーネット
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ジョシュ・バーネット | |
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基本情報 | |
本名 | ジョシュア・ローレンス・バーネット |
あだ名 | 青い瞳のケンシロウ 世界最強のオタク ベビーフェイス・アサシン |
階級 | PRIDEヘビー級(無差別級) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1977年11月10日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル |
現居住地 | アメリカ合衆国 |
スタイル | レスリング |
戦績 | |
総試合数 | 24(UFC、PRIDEなど) 06/12/31現在 |
総勝利数 | 19 |
KO勝ち | 4 |
一本勝ち | 13 |
判定勝ち | 2 |
総敗北数 | 5 |
KO負け | 2 |
一本負け | 1 |
判定負け | 2 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
ジョシュ・バーネット(Josh Barnett、1977年11月10日 - )は、アメリカ合衆国、ワシントン州シアトル出身のプロレスラー、総合格闘家。AMCパンクレイション所属。身長191cm、体重117kg。本名はジョシュア・ローレンス・バーネット(Joshua Lawrence Barnett)。基本スタイルはレスリング、柔道、ムエタイ。
目次 |
[編集] 人物
日本のオタク文化に詳しく、好きなキャラクターは北斗の拳のケンシロウ。それだけでなく、機動戦士ガンダム・キン肉マン・マクロス等の有名どころは勿論、一般人では到底知らないアニメや特撮までもその範疇としており、「好きではないけど一応知っている」というオタク特有の性質までも併せ持っている。
ニックネームはベビーフェイス・アサシン。日本では青い瞳のケンシロウの異名を持つ。入場曲は北斗の拳主題歌の「愛をとりもどせ!!(クリスタルキング)」。
2002年8月28日に行われた大会Dynamite!で、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦したボブ・サップのセコンドに付き、試合に勝って喜ぶノゲイラに対し「オマエハ スデニ シンデイル」と日本語で挑戦状とも取れる発言をしたのは、一部の格闘技ファンの間で有名(ただ、世間ではサップの暴れっぷりのほうがクローズアップされたため、認知度は低かった)。
得意な日本語は「メッチャスゴイ」「コロシテヤル」「オレニサワルトアブナイゼ」等。日本に立ち寄るときは秋葉原にフィギュアなどを買い求めに赴く事が多いという。世界最強のオタクと呼ばれる所以でもある。
K-1デビュー戦ではボブ・サップに指導した経験から、「野獣の調教師」と紹介されていた。
新日本プロレスに所属していたが、数々のトラブル(川田利明の参戦によるG-1出場取りやめ等)などで新日に対し苦言を呈している。 UWF系の大ファンで、前田日明の名を度々口に出したり、UWFインターについての論文をネット上に公表した他、やはりU系派生団体の一つであるパンクラス無差別級王者となった際には「UWFハシナナイ」と発言したほど。なお、四天王プロレスやノアのファンでもあり、プロレス・格闘技への造詣は相当のレベルであることが伺える。
最近では元K-1王者のマーク・ハントやヒョードルの弟であるエメリヤーエンコ・アレキサンダーといった強豪を一本勝ちで撃破し、元PRIDEヘビー級王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラをも判定で下していることから「世界最強のオタク」としての評価は揺ぎ無いものがある。
彼はUWFをこよなく愛す事から自らを「プロレスラー」と呼び、「プロレスこそが最強」を声高らかに叫ぶ。しかしながら、その事に対して疑問の声があるのも確かで、「世界最強のプロレスマニア」と呼ぶ者もいる。実際に、日本の新日本プロレスでプロレスを真面目にやっていたので、プロレスラーであったことは確かであるが、総合格闘技の選手が一旦プロレスをやり、現在総合格闘技に戻っているというという状況があるゆえに、プロレスラーと呼ぶのは無理があると捉えるファンが多い。しかしながら、UWFオタクのジョシュが、実際にU系ムーブを総合格闘技の世界で魅せる事は紛いの無い事実だ。本人は、U系の技術の根本となるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンこそ総合格闘技で猛威を振るう柔術を超えるグラウンドの技術であると提唱し、実践している。
[編集] 歴史、近況
- 1996年に19歳でプロデビュー。以後、メインは総合格闘技のリングになる。
- 1999年2月の第2回アブダビコンバット98キロ級および無差別級出場、マーク・ケアーに敗れる。
- 1999年9月のスーパーブロウル13のヘビー級トーナメントにおいてボビー・ホフマン、ヒース・ヒーリング、リコ・ロドリゲス等が参加する中、名だたる世界の強豪を連破し優勝。
- 2000年2月のスーパーブロウル16で第2代UFC無差別級王者のダン・スバーンに一本勝ちし、一躍脚光を浴びる。
- 2001年6月のUFC 32での元パンクラス王者、セーム・シュルトの撃破、2002年3月のUFC 36で当時無敵の王者だったランディー・クートゥアをTKOで下し、史上最年少でUFCヘビー級王座を獲得するが、後の薬物検査にて陽性反応。1度も防衛戦を行うことなく王座を剥奪されている。禁止薬物(ステロイド)使用については否定しているが、その前駆体であるプロホルモンについては摂取したことを認めている。
- 2003年1月の東京ドーム大会で新日本プロレス初参戦。
- 同年8月のパンクラス両国大会で近藤有己に勝利し、第10代パンクラス無差別級王者となる。以降、高橋義生、セーム・シュルト相手に防衛を重ねている。
[編集] 主な戦歴
- 2001年2月23日、UFC 30にてペドロ・ヒーゾにKO負け。
- 2001年6月29日、UFC 32にてセーム・シュルトに腕ひしぎ十字固めで勝利。
- 2002年3月22日、UFC 36にてランディー・クートゥアにTKO勝ちし、第7代世界ヘビー級王者を手にするも薬物違反(もしくは違反疑惑)により剥奪。
- 2003年5月2日、新日本プロレス主催「ULTIMATE CRUSH」にてジミー・アンブリッツにレフェリーストップ勝ち。
- 2003年10月13日、新日本プロレス主催「ULTIMATE CRUSH」にて高橋義生にタップアウト勝ち。
- 2004年5月22日、K-1 MMA Championship ROMANEXにてレネ・ローゼにマウントパンチの連打でKO勝ち。
- 2004年10月31日、「PRIDE.28」でミルコ・クロコップと対戦、肩を脱臼。1R 46秒、自身初のタップアウト負けを喫している。
- 2005年10月23日、「PRIDE.30」でミルコ・クロコップと再戦、フルラウンドの攻防の末判定負け。
- 2006年2月26日、「PRIDE.31」で友人の中村和裕と対戦、1R8分10秒、両足を破壊した後裸絞めで一本勝ち。ジョシュはPRIDE初勝利を収めた。
- 2006年5月5日、「PRIDE無差別級グランプリ2006 開幕戦」において、グランプリ第一試合としてエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦、相手のスタミナが切れたところでテイクダウンを取りV1アームロックでタップを奪う。
- 2006年7月1日、「PRIDE無差別級グランプリ2006 2nd ROUND」においてマーク・ハントと対戦、1R2分2秒、羽根折り固めで一本勝ち。
- 2006年9月10日、「PRIDE無差別級グランプリ2006 決勝戦」において、準決勝にてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦、PRIDE史上に残る寝技対決を披露、大方の下馬評を覆し2-1の僅差の判定で勝利。その後決勝戦にてミルコ・クロコップとの3度目の対戦に挑むが、1R7分32秒にギブアップ負けを喫し、GP準優勝に収まる。
- 2006年10月21日(日本時間で22日)、「PRIDE.32 ラスベガス大会」においてUFC以来の母国米国への凱旋を果たし、パウエル・ナツラと対戦、2回3分4秒に足首固めで勝利を収めた。
- 2006年12月31日、「PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-」においてわずか3ヶ月程の期間でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦が決定し、3-0の判定負けによりリベンジを許してしまう。
戦勝 ((T)KO, 一本勝ち, 判定勝ち)敗(判定負け)0分0無効試合 | |||||||
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 | |||
× | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 3R終了 判定0-3 | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 | |||
○ | パウエル・ナツラ | 2R 3'4" アンクルホールド | PRIDE.32 | 2006年10月21日 | |||
× | ミルコ・クロコップ | 1R 7'32" ギブアップ | PRIDE 無差別級GP 2006 FINAL ROUND | 2006年9月10日 | |||
○ | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 3R終了 判定2-1 | PRIDE 無差別級GP 2006 FINAL ROUND | 2006年9月10日 | |||
○ | マーク・ハント | 1R 2'2" チキンウィングアームロック | PRIDE 無差別級GP 2006 2nd ROUND | 2006年7月1日 | |||
○ | エメリヤーエンコ・アレキサンダー | V1アームロック | PRIDE 無差別級GP 2006 1st ROUND | 2006年5月5日 |
[編集] オタク語録
- オマエハモウシンデイル
- 親指で首を切る動きをしながら。2002年名古屋での新日本プロレス興行において、永田裕志が試合を勝利で終えた直後にリングに上がりこの言葉を放った。試合直後とはいえ、激昂した当時のIWGP王者である永田をフロントチョークで秒殺した。高阪剛に片手で絞め落とされたとき同様、ぬいぐるみの様に動かなくなった永田の姿に新日本をはじめとするプロレスファンは衝撃を受けた。お気に入りの言葉なのか、総合格闘技進出後もインタビューなどで度々この言葉を使っている。彼がこの言葉を言う場合、「シ」の部分にアクセントを置くのが特徴的である。
- オマエニハジゴクスラナマヌルイ
- PRIDE30で、ミルコ戦前に流れるVTRで「ヘイ!ミルコ!」と言い放った後にこの言葉を言った。
言うまでもないが、これらのセリフは北斗の拳からの引用である。
[編集] その他
- UFCの王座を剥奪された件についてはジョシュは「自分は無実であり、UFCにはめられた。」という姿勢を取っている。そのためUFCを嫌っており、PRIDEとUFCとの提携が発表された後に開催されたPRIDE.34では当初参戦が確実視されていたのだが、キャンセル。UFCの影響下にない他団体への移籍を臭わせる行動を取り始めている。
- テレビゲームも大好きであり、日米版それぞれのプレイステーション2を保有している。最も好きなプロレスゲームは『ファイヤープロレスリング』シリーズ。レスラーの行動パターンロジックを調整して、自動で戦わせて観戦するのが好き。
- 映画『ブレードランナー』のマニアであり、ビデオ、LD、DVDなど様々なバージョンの同作をコレクションしている。
- ホラー映画、スプラッター映画も好き。恋人とデートでスプラッター映画を見に行くほど(恋人は途中退席)。
- 日本のアニメ声優にも詳しい。雑誌「CONTINUE」でインタビューを受けた際、バックナンバーを流し読みした時に「あ、林原めぐみだ」とポロっともらした。ちなみに林原めぐみは元格闘家の佐竹雅昭とラジオをやっていたことがある。
- 大好きな北斗の拳の主題歌で試合の際入場するが、その際に日本語の歌詞をそらで口ずさめるほどの造詣の深さ。
- 「ジョジョよりも、バオーの方が好き」という一風変わった趣味とオタクぶりを見せる。
- 「ゼッコーチョー(絶好調)」という日本語は、新日本プロレス参戦時、巡業に帯同していた高山善廣が教えたらしい。
- 誰からでも好かれる人柄で、エメリヤーエンコ・ヒョードル、ミルコ・クロコップからも「良い奴すぎて対戦したくない」といわせるほどのナイスガイである。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- joshbarnett.tv(英語) - ジョシュの公式サイトで日記なども公開されている。
- PRIDE 選手データ
- josh barnett in Akihabara
- 映画秘宝.com ジョシュ・バーネット スペシャルインタビュー
カテゴリ: アメリカ合衆国の総合格闘家 | 新日本プロレス | 1977年生