リカルド・フエンテス・ロメロ
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リカルド・フエンテス・ロメロ(Ricardo Fuentes Romero、1980年1月8日 - )は、元CMLL、現在はプロレスリング・ノアに所属するメキシコのプロレスラーである。身長169cm、体重79kg。ベラクルス州出身。リッキー・マルビン(Ricky Marvin)のリングネームで活動する。
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[編集] 経歴
祖父(エル・ゲレーロ)、父(アリアス)、弟(ロッキー・マルビン)ともプロレスラーというルチャドール一家に生まれる。1995年5月9日、エル・サント戦でホワイト・デモン(White Demon)としてデビュー。
2000年、みちのくプロレスやDDTプロレスリング、闘龍門に参戦。また、セコンドとしてパンクラスにも姿を見せている。この時はリッキー・マーティンを模した「空飛ぶジャニーズ」と評される色男ギミックだった。
2003年、プロレスリング・ノアに参戦。2003年から2006年にかけて、フベントゥ・ゲレーラや鈴木鼓太郎、SUWAをパートナーにGHCジュニア・ヘビー級タッグ王座に5度挑戦しいずれも敗れたが、2007年1月21日、6度目の挑戦でついに第6代GHCジュニア・ヘビー級タッグ王者となる(パートナーの鈴木鼓太郎も4度目の挑戦だった)。2005年4月2日には選手会興行にも名を連ね、タイガー・エンペラーとマスクと頭髪を賭けて戦ったが敗北し、丸坊主になった。2006年4月時点で、プロレスリング・ノアにおけるジュニア・ヘビー級レスラーでは、菊地毅や百田光雄に次ぐ活動歴の長さである(デビュー以前から非公式にプロレスのリングに立っていたため)。
セカンドロープからトップロープへとロープ上で2回ジャンプして攻撃するなど空中技を得意とし、プロレスリング・ノアにおける実況で「プリンス・オブ・ルチャドール」「全身バネ」と評される。また、試合中に「もういっちょー!」「おい、こら」などと叫ぶほか、調印式で「お前はもう死んでいる」と発言するなど日本語も話す。選手とは日本語でコミュニケーションをとっており、非常に流暢に日本語を喋る。シリーズ終了後も日本に滞在する事もしばしばで、かつてはディファ有明内のノア道場に住んでいた。SUWA同様に実質所属選手扱いを受けていたが、2006年に正式に所属選手となった。
ムシキング・テリーのライバルムシキング・ジョーカーの正体ではないかと噂されているが、真相は不明である。ただ、ジョーカーの試合ではスペイン語で時間経過のアナウンスが入り、ノア所属外国人の中で母語がスペイン語であるのはマルビンのみである。
[編集] リングネーム
- ホワイト・デモン
- リッキー・マルビン
[編集] 得意技
- プリドゥーラク
- ブレーンバスターの体勢からのフェイスバスター。
- サンタマリア
- 相手を横にした状態でのタイガードライバーのような技、地面に叩きつけられた後は丸め込みのような形になる。鈴木鼓太郎との合体式もある。
- ボイン・ボイン・スプラッシュ(ビヨン・ビヨン・スプラッシュ)
- カリフォルニア・ロール
- フランケンシュタイナー
- 619
- シャイニング・ウィザード
- リッキー・ドライバー(みちのくドライバー2)
独特の動き
- スウェーバック
- ラリアットやハイキックなどの上段攻撃を、のけぞって避ける。
- 他人の技
[編集] 入場曲
- Ave Maria(David Bisbal)
[編集] その他
- フベントゥ・ゲレーラと組んでGHCJrタッグ王座に挑戦した際、マルビンはCMLL所属、フベントゥはCMLLからAAAに移籍した直後であり、メキシコでライバル関係にある団体の所属選手同士が日本でタッグを組むという光景が見られた。
- 飛び道具主体ということで、フェンスなどに体を強打する事が多々ある。その後しばらくは痛がっているのだが、試合が進むにすつれ気力で痛みを感じさせない動きをする。