ワーナー・ブラザーズ
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ワーナー・ブラザーズ(Warner Bros. Entertainment, Inc.、略称 Warner Bros.)は、アメリカ・ハリウッドの映画会社・映画スタジオのひとつで、タイム・ワーナーの子会社でもある。本社をカリフォルニア州バーバンクに置いている。
映画スタジオのワーナー・ブラザーズ・スタジオ(Warner Bros. Studios)、映画制作会社ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ(Warner Bros. Pictures)、テレビ番組制作会社ワーナー・ブラザーズ・テレビジョン(Warner Bros. Television)、アニメーション製作会社ワーナー・ブラザーズ・アニメーション(Warner Bros. Animation)、ワーナー・ホーム・ビデオ(Warner Home Video)、アメリカン・コミックス出版社のDCコミック、2006年にCBSとともに立ち上げたテレビの全国ネットワーク・CWテレビジョンネットワーク(The CW Television Network)を所有する。
日本法人はワーナー・エンターテイメント・ジャパン株式会社(Warner Entertainment Japan, Inc.、東京都港区西新橋1丁目2番9号日比谷セントラルビル)。同社は「ブラザーズ」ではなく「ブラザース」と表記している。
目次 |
[編集] 年表
- 1923年 ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4兄弟によって、設立される。
- 1927年 初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』を発表し、公開する。
- 1930年代経済恐慌のあおりを受けて経営難に陥るが、世相を受けたギャング映画のヒットで乗り切る。
- 1956年 1950年代以前の作品をMGMに売却する。
- 1967年 独立プロダクション「セブン・アーツ」と合併する。
- 1969年 レンタカー会社「キーニー・ナショナル・サービス」の傘下となる。
- 1989年 親会社「Warner Communications」が巨大出版社「タイム」と合併し、タイム・ワーナーが設立される。
- 1995年 1950代年以前のワーナー、1985年以前のMGM、RKOの主なフィルム・ライブラリーとCNNを所有していたターナー・コミュニケーションが会社の傘下に入る。
- 2000年親会社がインターネットのプロバイダー最大手のAOLと合併し、現在に至る。
[編集] 歴史
ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4兄弟はポーランドからのユダヤ系移民労働者であった。19世紀末に両親とともにカナダのオンタリオ州ロンドンに移住し、全部で8人の兄弟姉妹が貧困の中で父の経営する靴修理屋を手伝いながら生活していた。
兄弟はそれぞれの趣味と才能を伸ばし、長兄ハリーは店を拡大、ジャックは歌手として修行に励み、サムは職業を転々とするが、20世紀初頭の映画の創生時、ハリーはその魅力に取り憑かれて映写技師となった。彼は1903年に兄弟と興行会社を組み、ジャックのパフォーマンス付きで映画興行業を開始、オハイオ州やペンシルバニア州の鉱山町を巡業した。同1903年にはペンシルバニア州ニューキャッスルに劇場をオープン、その後1904年、ピッツバーグで配給会社を設立しエクスチェンジ業(→スタジオ・システム)に進出して収益を上げるものの、トラスト(MPPC)の圧力によって配給網を絶たれ、一度は業界から手を引く。
しかし映画製作の夢を捨てきれなかったサムは、再び兄弟を説得して1918年にハリウッドに映画スタジオを構え、ハリーたちはニューヨークで資金調達や配給を行った。1923年、ワーナー兄弟はワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズを会社登記する。
映画製作の最初の一歩は、脚本家アヴェリー・ホップウッド(Avery Hopwood)の1919年のブロードウェイ演劇『ゴールド・ディガーズ(The Gold Diggers)』の権利購入であったが、会社成長のきっかけは第一次世界大戦後にある兵隊がフランスから連れ帰った一匹の犬リン・チン・チン(Rin Tin Tin)であった。この犬を主人公にした映画は1924年以降26本作られ、ワーナー・ブラザーズをハリウッド有数のスタジオへと押し上げた。
これらの成功によりウォール街からの投資を受けるようになり、1924年にはゴールドマン・サックスから巨額の融資を得た。この資金で、1897年以来の歴史を持つハリウッドの先発スタジオで全国規模の配給網も所有していたヴァイタグラフ(Vitagraph Company)を1925年に買収、さらにラジオ放送にも進出し、ロサンゼルスのKFWBをはじめいくつかの都市に放送局を誕生させた。また映画業界を荒れ狂っていた劇場建設・買収の競争にも参入した。
ヴァイタグラフが進めていた音声と映像が同期したディスク式有声映画システム、ヴァイタフォンの開発を引き継いだワーナーは、1926年よりこのシステムを利用して音楽や効果音のある有声映画の製作を開始した。1927年10月、ワーナーはこれをさらに進めて部分的にせりふのある世界初の映画である『ジャズ・シンガー』を配給した。これがトーキーの始まりであり、映画界にセンセーションを巻き起こす出来事であった。しかしながら『ジャズ・シンガー』公開前にトーキー開発に熱心だったサム・ワーナーが死去、彼の葬儀のためワーナー兄弟は『ジャズ・シンガー』のプレミアに出席することはできなかった。
この映画の成功により得た資金でワーナーは大手配給会社スタンレーを1928年に買収、スタンレーが三分の一を所有していたワーナーのライバルである大手映画製作・配給会社ファースト・ナショナル(First National Pictures)の買収に王手をかけた。ウィリアム・フォックス率いるフォックス・フィルム(20世紀フォックスの前身)との激しい買収合戦の末、1929年にファースト・ナショナルの経営権を得ることに成功した。しかし大恐慌が映画業界を直撃、ワーナーはファースト・ナショナルと合併し、ファースト・ナショナルがロサンゼルス近郊のバーバンクに所有していたスタジオに移転した。裁判所は合併を認めたものの、1938年まで毎年何本かの映画をファースト・ナショナルの名義で製作・配給するようワーナーに要請し、その後30年間にわたり「ワーナー・ブラザーズ=ファースト・ナショナル(A Warner Bros. - First National Picture.)」名義での製作が行われた。
1928年、ワーナー・ブラザーズは初の全編音声付きトーキー『Lights of New York』を製作し成功を収めた。これ以後、映画業界はトーキー製作になだれ込む。1929年にはアメリカのメジャー映画スタジオはみなトーキーを製作するようになっていた。1929年、ワーナー・ブラザーズはテクニカラーを使用した『On with the Show』を製作、それまで二色式カラー映画や無声テクニカラー映画は発表されていたが、全編音声付・全編カラー映画はこれが最初だった。同年、同様のカラー映画『Gold Diggers of Broadway』を製作しこの年一番の人気を博し、1939年まで各地の劇場で続映され続けるほどのヒットになった。これ以後、ワーナーは1931年までの間に数多くのカラー映画を製作する。これらの映画はいずれもミュージカルであったが、1931年に各地の観客がミュージカル映画に飽きてしまい、ワーナーは多くのミュージカルの製作を中止し、すでに製作した映画をコメディとして宣伝するはめとなった。観客はカラー映画をミュージカルと同一視してしまったため、ワーナーほか各社はカラー映画の製作を行わないようになった。ワーナーはテクニカラー社とあと2本カラー映画を製作する契約が残ってしまっていたため、ミステリー映画初のカラー作品『Doctor X』(1932年)と『Mystery of the Wax Museum』(1933年)が製作された。
『リン・チン・チン』シリーズ以来多くの脚本を手がけ、プロデュースも行っていたダリル・F・ザナックの下で、大不況の影響を受けていた1930年代のワーナーは、ギャングの抗争を報じる新聞の見出しを切り抜いたような('torn from the headlines')ギャング映画で名をはせるようになった。ワーナーはジェームズ・キャグニーやエドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ブロンデルなど、乱暴な語り口の労働者タイプのスターを多く起用した。一方、こうしたギャング映画のヒットにより宗教団体などが規制を叫ぶようになり、1930年に制定された自主規制規定のヘイズ・コードが1934年には厳格適用されるようになってしまう。ザナックが1933年に退社し20世紀映画(20世紀フォックスのもうひとつの前身)を設立したあとは、ワーナーはより洗練された路線に方向転換し、女性向けメロドラマ、剣戟映画、ベストセラーの映画化などを製作し、エロール・フリンらを起用した。1934年以降、ヘイズ・コードによる検閲により、コード適用以前もっとも成功していたスタジオのひとつだったワーナーは打撃を受け、検閲を避けるために歴史映画などに方向転換する。
ワーナーのアニメーション(カートゥーン)映画製作は1930年より、レオン・シュレジンガー(Leon Schlesinger)所有の独立スタジオの下で開始された。シュレジンガーのパシフィック・アート・アンド・タイトル社はワーナーの映画のタイトルやサイレント映画の字幕などを製作していたが、ヒュー・ハーマン(Hugh Harman)とルドルフ・アイジング(Rudolf Ising)というディズニー出身の有能なアニメーターを社外から招き、カートゥーン製作に乗り出した。彼らはジャズを使ってヘイズ・コード以前なら可能だった過激なギャグを交え、黒人少年ボスコを主役にした『ルーニー・テューンズ』(Looney Tunes)、および『メリー・メロディ』(Merrie Melodies)などのヒットシリーズを作り上げた。1933年にハーマンとアイジングが製作環境や契約でもめてシュレジンガーのもとを去った後はジャック・キング(Jack King)やフリッツ・フリーレング(Friz Freleng)らが白人少年バディを主役にカートゥーン映画を作り続けた。やがて漫画家志望の青年テックス・アヴェリー(Tex Avery)が加わりターマイト・テラス(Termite Terrace)という小さなスタジオをシュレジンガーから任されると、ターマイト・テラスは数々の過激なアニメーションを製作し、バッグス・バニーやダフィー・ダックなど現在知られる人気キャラクターが次々と生み出された。シュレジンガーのアニメーション会社は1944年にワーナー本体に買収され、以後バッグス・バニーやダフィー・ダックはワーナーのイメージキャラクターとなるにいたっている。
1940年代のワーナーはジョーン・クロフォードらを起用した女性向け映画によって、第二次世界大戦下でも多くの観客を集めた。またハンフリー・ボガートがスターとなり、戦後はローレン・バコールやドリス・デイらが新たなスターとなった。
[編集] 主な映画
- アイズ・ワイド・シャット
- アウト・フォー・ジャスティス
- エクソシスト
- エクソシスト2
- エグゼクティブ・デシジョン
- エデンの東
- 俺たちに明日はない
- カサブランカ
- グリーン・ベレー
- グリマーマン
- 刑事ニコ 法の死角
- JFK
- ジャイアンツ
- ジャズ・シンガー
- スーパーマンシリーズ
- スーパーマン リターンズ
- スペース・カウボーイ
- 潜行者
- 脱出
- ダーティハリー
- タワーリング・インフェルノ(20世紀フォックスと共同で提供。)
- 沈黙の戦艦
- 沈黙の要塞
- 沈黙の断崖
- デスノート(日本テレビとの共同製作)(ただし発売および販売元はバップ)
- デスノート the Last name(2006年11月3日、金子修介監督)(日本テレビとの共同製作)(上記と同じ)
- 電撃
- 逃亡者
- 追跡者
- 時計じかけのオレンジ
- ネバーエンディング・ストーリー第2章
- バージニア・ウルフなんかこわくない
- ハード・トゥ・キル
- 白熱
- バットマン・フォーエヴァー
- ハリー・ポッターシリーズ
- ハリー・ポッターと賢者の石
- ハリー・ポッターと秘密の部屋
- ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
- ハリー・ポッターと炎のゴブレット
- ブリット
- ブレードランナー
- フルメタル・ジャケット
- ブレイブ・ストーリー(フジテレビ、GONZOとの共同製作)
- 暴走特急
- ポストマン
- ポセイドン
- ボディガード
- マイ・フェア・レディ
- マッドマックス
- マッドマックス2
- マッドマックス/サンダードーム
- マディソン郡の橋
- マトリックス
- マトリックス・リローデッド
- マトリックス・レボリューションズ
- マルタの鷹
- ミスタア・ロバーツ
- ミリオンダラー・ベイビー
- 三つ数えろ
- メッセージ・イン・ア・ボトル
- 燃えよドラゴン
- 目撃
- ユー・ガット・メール
- 許されざる者
- 欲望という名の電車
- 四十二番街
- ラスト・ボーイスカウト
- リーサル・ウェポン
- リーサル・ウェポン2 炎の約束
- リーサル・ウェポン3
- リーサル・ウェポン4
- 理由なき反抗
- 老人と海
- 悪い種子
- 僕の彼女を紹介します(韓国の配給はCJ)
- Vフォー・ヴェンデッタ
[編集] 映画以外のDVD
[編集] 日本におけるDVDのハリウッドプライス
日本ではジェネオン エンタテインメントを販売元としてDVD販売においてハリウッドプライスという2000円代でのDVD販売がされて来たが、本国アメリカにおけるDVDの販売方針転換(一部の新作における特典ディスクの有無が選べる)に伴って2005年4月以降に発売された商品に対し2980円(主にヒットした新作に該当、基本的に1枚組)、あるいは3980円(旧作、特典ディスク付き作品)に区別されるようになったが、これに対しては賛否両論が多く、一枚組は2000円代にすべきという声も多い。これによる廉価版発売の際、今までに比べて値引率が高くなるようになり、場合によっては3980円の作品がいきなり690円、980円で販売されることがある。また、他の映画会社にある常に1500円程度で購入できる作品もなく、これもまた、批判の的になっている。但し、TVドラマなどに関しては現在でも1枚2500円あたりの価格となっている。その一方でUMD VIDEOの普及には積極的であり、最近では1500円と他のメーカーと比べても安い価格で販売されるようになった。
[編集] オープニングロゴ
- WBをあしらった楯
- 60年代から70年代にかけては一部作品でWを象ったシルエットのロゴも採用されていた。
[編集] 外部リンク
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