密教
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密教
- 伝統仏教の流派のひとつ。以下本項で詳説する。
- 1.から転じて、カバラやブードゥー教など、神秘主義・象徴主義的な教義を持つ仏教以外の宗教宗派も、密教と呼ばれる場合がある。密儀宗教(みつぎしゅうきょう)とも言う。
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
密教(みっきょう)とは、秘密仏教(ひみつぶっきょう)の略称。密教徒の用語では大乗、小乗に対して「金剛乗」(金剛乘)ともいう。
一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。
密教色の強いチベット仏教が「ラマ教」と俗称されるのは、師資相承における「師(ラマ)」に絶対的に帰依する特徴を捉えたものである。師が弟子に対して教義を完全に相承したことを証する儀式を伝法灌頂といい、教えが余すところなく伝えられたことを称して「瀉瓶の如し(瓶から瓶へ水を漏らさず移しかえたようだ)」という。
密教成立の背景には、インド仏教後期においてヒンドゥー教の隆盛によって仏教が圧迫された社会情勢がある。そこで、ヒンドゥー教や呪術の要素を仏教に取り込むことで、インド仏教の再興を図った。仏教の新しい境地を開拓したものの、ヒンドゥー教の隆盛には打ち勝つには至らなかった。やがて、西アジアからのイスラム勢力のインド北部侵攻に伴って、インド南部のヒンドゥー教徒政権との政治的な挟み撃ちに遭う。イスラム教徒から偶像崇拝や呪術要素を徹底攻撃されて、インド密教は最後のインド仏教として歴史的に消滅に追い込まれる。
初期密教は、呪術的な要素が仏教に取り入れられた段階であり、各仏尊の真言・陀羅尼を唱えることで現世利益を心願成就するものであった。やがて、密教が普及してくると仏教としての理論体系化が試みられた。実在した釈迦如来に替わって、新たに密教の教主である大日如来を中心とした五仏(五智如来)を主軸に、曼荼羅に示される多様な仏尊の階層化・体系化が実施された。これが中期密教である。
中期密教は仏教体系として一つの頂点を極めた反面で、複雑化した。そこで衰退するインド仏教の再興を賭けて、より実践的な後期密教が誕生した。中期密教の大日如来を中心とした仏尊の体系化に替わって、後期密教では仏性の原理の追求が図られた。法身普賢や金剛薩埵といった本初仏が尊崇された。また、ヒンドゥー教やイスラム教の隆盛に対抗するため、憤怒相の護法尊が数多く登場した。一方で、性エネルギーの昇華も図られ、歓喜仏やタントラ教(性的な瞑想修行)であることも後期密教の特徴である。
インドでは密教は途絶したため、さらに発展した後期密教の体系はチベット仏教の中に見ることができる。
日本の伝統的な宗派としては、空海が中国(唐)の青龍寺恵果に受法して請来し、真言密教として体系付けた真言宗(東密。即身成仏と鎮護国家を二大テーゼとしている)と、最澄によって創始され、円仁、円珍、安然らによって完成された日本天台宗(台密とも呼ばれる)が密教に分類される。東密とは東寺(教王護国寺)の密教、台密は天台密教、の意味である。 体系的に請来された東密、台密を純密というのに対し、純密以前に断片的に請来され信仰された密教を雑密という。
現代中国では、唐時代の中国密教を唐密宗、チベット密教を西蔵密宗と呼ぶ。前者は唐時代以降途絶したが、復興を試みる動きもある。後者は中国北部を中心に信仰が見られる。
中国で(中期)密教が定着しなかったのは、現世利益や呪術の面ではライバルであった道教が好まれたためと考えられる。
なお、インド錬金術が密教となり錬金術そのものであったとの説もとなえられている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 精神現実を信仰する会(密教研究会)
- 空海スピリチュアル(密教21フォーラム)
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