永田裕志
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永田裕志 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 永田裕志 |
本名 | 永田裕志 |
ニックネーム | ブルージャスティス 傷心の若大将 キラー永田 子泣き爺 |
身長 | 183cm |
体重 | 108kg |
誕生日 | 1968年4月24日 |
出身地 | 千葉県東金市 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | アマチュアレスリング |
トレーナー | 馳浩 佐々木健介 |
デビュー | 1992年9月14日 |
永田 裕志(ながた ゆうじ、1968年4月24日 - )は、日本のプロレスラー。千葉県東金市出身。身長183cm、体重108kg。血液型AB型。父は高校の校長兼野球部監督、妹と弟がいる。
妹の永田貴子はネイルアーティスト。米国で開催されるネイルトレードショーのWINBAで1999年入賞、2000年優勝の実績を持つ。兄の裕志、弟の克彦のコスチュームデザインも行う。
弟は、シドニーオリンピックレスリング銀メダリストの永田克彦。新日本プロレスの試合で、アマレスルールによる対戦もしている。
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[編集] 経歴
1987年、日本体育大学に入学しレスリング部に所属。全日本学生選手権優勝(1988年)、全日本大学グレコローマン選手権優勝(1989年)を果たす。
1992年、全日本選手権優勝後、新日本プロレスに入門。同期には中西学、石澤常光(ケンドー・カシン)、大谷晋二郎ら、又全日本では秋山準が入団している。新日本に入門したのは馳浩の紹介で、本人は当初Uインターに入門したかったらしい。ヤングライオン時代、ジャンボ鶴田似の顔立ちで話題になるが、馳は「鶴田と比べてジャンプ力が決定的にない」と評している。
1995年、新日本プロレスとUWFインターナショナルとの対抗戦に出場。グレコローマンの下地を生かしたファイトで桜庭和志らと激闘を繰り広げ、圧倒的な強さを見せる。
1999年、8月28日神宮球場で中西と組んで、後藤達俊&小原道由を倒し、IWGPタッグ奪取。
2001年、新日本プロレス夏の大一番「G1 CLIMAX」にて決勝戦で武藤敬司を破り、初優勝。しかし大晦日の格闘技イベント「INOKI BOM-BA-YE 2001」でミルコ・クロコップにわずか21秒で敗れ、多くのプロレスファンが衝撃を受けた。
2002年1月4日の新日本東京ドーム大会で、前年10月にタッグを組んだNOAH・秋山準の持つGHCヘビー級王座に挑戦。「この日のために練習してきた」と、ミルコ戦から5日間、正月返上で練習し、「5日に笑って初日の出を拝む」と意気込むが、惨敗。試合後に涙ぐむが、秋山にビンタされ叱咤される。秋山とは友情が生まれる。
2002年4月5日から2003年5月2日までIWGPヘビー級王座に君臨。橋本真也の持つ防衛回数9を更新する、ジョシュ・バーネットや藤田和之らを相手に引き分けでの防衛も挟みながらも、10回の新記録を打ち立てる。この功績から、新日本プロレス内部、ワールドプロレスリングでは永田を「ミスターIWGP」と表現するようになる。この期間に対佐々木健介戦で「立て、チャンピオ(ン)ヘイ!」と試合中で発言してしまうが、あまり知られていない。又、東京ドーム大会直前に新日離脱を発表した健介を「糞の役にも立たない」「戦力外」と激しく糾弾した。
2003年11月30日NOAH北海道立総合体育センター(きたえーる)で棚橋と組んで、本田多聞&小橋建太を倒し、GHCタッグ奪取。
2003年12月、再び「INOKI BOM-BA-YE 2003」に出場しエメリヤーエンコ・ヒョードルと対決。しかし62秒で敗れ、総合格闘技2連敗を喫す。この後も新日本のエースとしてのポジションを守ったため、プロレスが総合格闘技と並べて評価され、格闘技的な意味で「プロレスは弱い」というイメージをもたらすことにもつながった。この永田の行動がその後の新日本プロレスを大きく左右するきっかけとなったとするファンは多い。
2004年6月12日全日本名古屋・愛知県体育館で、ケンドー・カシンと組んで、小島聡&カズ・ハヤシを倒し、世界タッグ奪取。3大メジャーのタッグを制覇したのはこの時点ではベイダー、高山善廣に続き三人目。
2005年1月、マッチメイクに異を唱え、新日本離脱を示唆する発言をする。天山広吉と組んで棚橋弘至&中邑真輔組に挑んで敗れたとき、永田は「俺たちは消耗品。それをアイツらは体で分かったでしょう。」と言って泣いた。3月、フロントとの確執の末ヒール転向を宣言。BNJに合流せず、1人で戦う事になる。その後、中西学、ケンドー・カシン、藤田和之らとアマレス軍団「チームジャパン」を結成する。
2005年4月26日、前田日明の対ドン・ナカヤ・ニールセン戦に対して「ニールセン戦が悪いんじゃないが、ヒョードル戦とはジャンルが違うだろ。胸に手を当てて考えろ。」と発言。マスコミを通しての挑発アングルが展開されるが前田のBML離脱に伴い対立ストーリーは自然消滅する。
10月、長州力が現場監督として新日本に復帰した際、蝶野正洋を中心とした反長州派が不満をぶつけるなか、中立を宣言する。長州に好意的な選手が少な過ぎる為、棚橋弘至と共に長州とタッグを組まされる事が多い。また、それに伴い半ばうやむやな形で中西とともに正規軍に戻っている。元社長の草間政一は、在社中、永田の能力を買って中邑や棚橋らの踏み台となることを要請したが、永田はこれを断った。
2006年に入り、スポーツ新聞の取材時にバレンタインチョコをかじる、徳島での試合を控えて阿波踊りで挑発する、誕生日ケーキを食べながら指をしゃぶる、といったコミカルなパフォーマンスを行う割合が高まっている。山本尚史の教官役・タッグパートナーを務め、山本についての報道の大半で共に登場する。4月にはワールドプロレスリングで試合が放送される際、白目をむいて鬼気迫る表情をする姿に「鬼神」「キラー永田」とテロップが入った。5月の第2回NEW JAPAN CUPでは、決勝でジャイアント・バーナードに敗れ準優勝。中西がZERO1-MAXの大森隆男とタッグを組み、IWGPタッグに挑戦する話が出た際に、王者チームに返上させて自身と山本のタッグや他のタッグを加えてトーナメントを開催することを提案した。この他、永田は中西に注目が集まる際は、便乗して自身に注目が集まるように働きかけることが定番となっている。
内外タイムスでのコラム連載を始める。藤波辰爾退団の際には「新日本一筋を貫こうと思うが、退団しようと悩む時が来るのかな」と、2005年の退団示唆はただのパフォーマンスであったことを自ら証明してしまった。
三冠王者になった鈴木みのるを見て「鈴木にベルトを獲られたんだから全日本のレスラーはB級レスラー」と扱き下ろしたが、当の鈴木のブログで「B級と言っていいのは俺だけだ。永田はC級」と鈴木の観点では永田(新日本のレスラーも含まれる?)は全日本レスラー以下と扱き下ろされる結果となる発言を呼んでしまった。
2007年4月13日大阪・大阪府立体育会館で行われたIWGPヘビー級選手権試合で王者棚橋弘至を23分34秒バックドロップホールドで破り第46代IWGPヘビー級王者に輝く。
個人事務所「ナガタロック」を設立し、リラクゼーションサロン「enishing」を開店した。
[編集] 得意技
打撃、投げ、サブミッションをバランス良く使い、あらゆるプロレス・スタイルに対応できる。
- バックドロップ・ホールド
- 永田の若手時代からの代表的なフィニッシュホールド。投げられる相手は高角度でマットに叩きつけられることとなる。
- エクスプロイダー
- 秋山準の代表的な必殺技で、秋山とライバル関係を意識したあたりから使い始める。公開練習において秋山より直接伝授された。お返しに永田はナガタロックIIを秋山に贈った。
- リストクラッチ式エクスプロイダー
- 相手の手首を持ってのエクスプロイダー。秋山が限られた場合に使う特別な技であったが、永田はこの技を痛め技として使ったため、技の価値を下げたとの批判を受けた。その反省か、最近永田はこの技をあまり使わなくなった。
- キック
- ローキック、ミドルキック、ハイキックそれぞれを使う。左ミドルキックの連発を多く使うが、相手の右胸と腕の間に生当たりすることが多い。ビッグブーツも得意技。軸足を踏み切ることで放つビッグブーツ(ロケットキック)をキックボクシングの伊原道場でトレーニング中に開発した。
- 腕ひしぎ固め
- うつ伏せ状態の相手の腕を取り、そのまま相手の上に乗っかるような体勢で腕を極める。腕ひしぎ十字固めと異なり、自分が立ったままの状態で極める。その際に白目をむくパフォーマンスを見せる。
- ナガタ・ロックシリーズ
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- ナガタ・ロック
- 変形足四の字固めと膝十字固めの複合技。体勢に入る前に敬礼のポーズをとるのが特徴。
- ナガタ・ロックII
- 若手時代からの得意技。グラウンド式の腕極め顔面締め。
- ナガタ・ロックIII
- ナガタ・ロックIIの体勢から移行し、コブラツイストのような形で相手の上半身を締める。当初永田はミルコ戦での初公開を予告していた。
- リバースナガタロックIII
- ナガタ・ロックIIIの体勢からさらに移行し、横方向に回転して相手の両腕を極めたままフォールの体勢にする技。ギブアップを奪う技ではなく、フォール技の一種。
- ナガタ・ロックIV
- 2006年5月3日福岡国際センターVS真壁戦で初公開。ナガタ・ロックIIとほぼ同型だが、腕を両足で挟んで極めたIIとは異なり、足を使っての脇固めのように片腕を極めてのクロスフェイスである。
- サンダーデスシリーズ
- 前述のナガタ・ロックシリーズと同様、永田の代名詞として双璧と呼べる技。東京スポーツで「おどろおどろしいネーミングが殺伐とした世相とマッチし、一部マニアから人気を得ている技」と報道された。
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- サンダーデスドライバー
- 旋回式垂直落下ブレーンバスター
- サンダーデスキック
- 従来のキックに鋭さと破壊力を加えたものだと言われている。雷鳴が木を引き裂くイメージから命名された。2006年NEW JAPAN CUPでの投入を予告されたが、トーナメント内では遂に出ることが無く、未だ公開されていない幻の技。獣神サンダー・ライガーのスターダストプレスと同様、名前の発表から一般公開まで時間がかかる可能性が高い。
[編集] 入場テーマ曲
- MISSION BLOW
[編集] 永田会
芸能界のプロレス愛好家によるファンクラブ。主要な会員は以下の通り。
[編集] 著書
『王者の挑戦』講談社、2003年、ISBN 4-06-211776-2