丸光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丸光(まるみつ)は、かつて宮城県仙台市などに存在した日本の百貨店の一つ。現在のさくら野百貨店のルーツの一つにあたる。
長野県諏訪市にて現在営業している「まるみつ百貨店」(旧:諏訪丸光)とは無関係である。
目次 |
[編集] 概要
仙台駅前の主要な百貨店の1つで、西口から中心商店街の中央通りに至る途上に立地し、西口のペデストリアンデッキで仙台駅と直結している。青葉通り、東五番丁通りに面し、仙台市営地下鉄南北線の仙台駅と地下で直結している。
このような利便性の高い立地ながら、仙台駅前にはS-PAL、十字屋の2つの百貨店、専門店ビルのams西武があり、その他、エンドーチェーン仙台駅前店やダイエー仙台店などのGMSも近接するなど、大型店の競争が激しかった。また、一番町の藤崎(地域1番店)、三越仙台店(地域2番店)の2つの百貨店との競争や、仙台フォーラスや141といった専門店ビルの登場により、仙台市都心部での競争は激しさを増していった。
このような中で、地元資本で仕入れ基盤の薄い丸光は、積極的に様々な体力強化策に打って出たが、東京資本との結びつきを持ったことがバブル崩壊の余波を受ける結果となり、次々と会社組織の変更を余儀なくされた。現在はさくら野百貨店として営業している。
[編集] 沿革
[編集] 丸光
- 1946年6月1日、丸光合名会社が仙台駅前の焼け跡に建てた平屋バラック建ての雑貨店に『MARUMITU DEPT.STORE』の文字を掲げて営業開始。
- 1948年6月、丸光へと改組。
- 1949年12月、戦後の東北地方で最初の屋上広告を掲げた。156坪の二階建ての新店舗完成。
- 1953年10月、青葉通りに面して鉄筋コンクリート地下1階、地上3階建てのビルが完成し、デパートの形式を開始。
- 1956年5月、増築中に火災に遭う。
- 1957年10月、四千坪の新店舗で再開。
かつては宮城県外の青森県八戸市、岩手県釜石市、福島県郡山市にも出店していた。丸光八戸店は、現在もさくら野百貨店八戸店として現存している。
[編集] 「百貨店連合」設立以後
- 詳細はさくら野百貨店#沿革を参照
- 1978年、丸光はカネ長武田百貨店等の4社とともにニチイ(現・マイカル)の支援を受け「百貨店連合」(後のダックシティ→ダックビブレ、現・さくら野百貨店)を設立。
- 1982年、その4社とともに「百貨店連合」と合併。
- 1985年、ダックシティ(DAC CITY)に社名変更。
- 19xx年、店名を『ダックシティ丸光』(DAC CITY 丸光)に変更
- 19xx年、店名を『仙台ビブレ』(仙台VIVRE)に変更
- 2002年10月、店名を『さくら野百貨店』に変更。その後、一時休業。
- 2003年、『さくら野百貨店』として再オープン。現在も営業中。
[編集] 「荒城の月」サイレン
丸光時代には、午前10時、正午、午後3時、午後5時の計4回、「荒城の月」をサイレン(オルゴール)で屋上から流していた。大音量だったため、仙台市都心部はもとより、郊外でもよく聞こえた。選曲は、「荒城の月」の作詞者が仙台出身の土井晩翠であることに因む。演奏は、主旋律と副旋律によるバイフォニー(2和音)であった。
また、午後9時には、上記のサイレンを用い、丸光の社員が直接鍵盤を操作して「この道」や「家路」が演奏されていた。こちらの選曲は、警察からの要請である。
なお、19xx年x月x日、装置が突然動かなくなってしまった。かなり古い機種であったため修理に必要な部品が集められず、再び動かすことはついに出来なかった。長年親しまれた仙台の音の風景は、永遠に失われてしまった。
[編集] 仙台CADホール
DACシティ丸光時代には、ライブハウスの「仙台CADホール」(キャドホール)があった。命名は、「DACシティ丸光」の「DAC」を逆さから並べた「CAD」による。
仙台フォーラスの「モーニングムーン」と並び、仙台の音楽文化を支えてきたが、xxxx年に廃止された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 「荒城の月」のサイレンって何よ(土橋通り迷宮案内-個人のサイト。1983年頃の録音音声あり)
カテゴリ: 企業関連のスタブ | かつて存在した日本の企業 | かつて存在した宮城県の企業 | 宮城県の企業 | 日本の百貨店 | 仙台市