交響曲第7番 (ドヴォルザーク)
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交響曲第7番ニ短調 作品70、B.141(こうきょうきょくだい7ばん ニたんちょう さくひん70、B.141)は、ドヴォルザークの交響曲。1884年から1885年にかけて作曲された。交響曲第6番までとは一線を画す円熟味を示す作品で、スラブ的性格を露わにすることを避け、より内省的で普遍的な音楽として仕立てることに成功している。作曲者自身この曲を「本格的なもの」と呼んでいる。
目次 |
[編集] 作曲の経緯
1884年3月、ロンドン・フィルハーモニー協会の招きで、ドヴォルザークは初めてロンドンを訪れた。ロンドンではすでに交響曲第6番が好評を博しており、ドヴォルザークは熱狂的な大歓迎を受けた。帰国後ほどなくして、フィルハーモニー協会の名誉会員に選ばれたとの知らせと新作交響曲の依頼を受けた。前年の1883年にブラームスの交響曲第3番の初演を聴いて新たな交響曲の作曲に意欲を抱いていたドヴォルザークは、ロンドンからの申し出をただちに承諾した。9月に再度渡英し、帰国後の12月13日から交響曲に着手し、1885年3月17日に完成、4月には渡英し、4月22日にセント・ジェームズ・ホールで初演の指揮を執っている。この演奏会は大成功で、ウィーンでハンス・リヒターが、ドイツではハンス・フォン・ビューローが相次いでこの曲を採り上げた。
[編集] 初演
1885年4月22日、ロンドン、セント・ジェームズ・ホール。アントニン・ドヴォルザーク指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団。
[編集] 楽器編成
[編集] 作品の内容
演奏時間は、全曲で約40分。
- 第1楽章 Allegro maestoso
- アレグロ・マエストーソ。ニ短調、6/8、ソナタ形式。
- 第1主題はヴィオラとチェロによって提示される不安げな音楽。反ハプスブルクの祭典に参加するためにハンガリー(但し、当時は現在の領域とは異なりスロバキアの一部も含む)からの愛国者達が乗った列車がプラハ駅に到着する情景からイメージを得たと言われている。この後に序曲「フス教徒」の主題に由来する動機が表れる。第2主題は、フルートとクラリネットが提示する穏やかな主題。この両者の葛藤で音楽は劇的に進行するが、最後はホルンが第1主題を静かに奏でる。
- 第2楽章 Poco adagio
- ポコ・アダージョ。ヘ長調、4/4、三部形式の緩徐楽章。
- 冒頭主題はクラリネットにオーボエとファゴットが対位法的に絡み内省的な穏やかな音楽を奏でる。この後、オーボエとファゴットによる旋律、ヴァイオリンとチェロによる旋律と、美しい旋律が惜しげもなく導入される。中間部はホルンの奏でる伸びやかで愛らしい主題による。第3部では第1部で提示された主題が対位法的に処理される。
- 第3楽章 Scherzo: Vivace - Poco meno mosso
- スケルツォ:ヴィヴァーチェーポコ・メノ・モッソ。ニ短調、6/4、三部形式、スケルツォ。
- 弦楽器が特徴的なチェコの民族舞曲フリアントのリズムを刻む中、ファゴットとチェロが主題を提示する。中間部では速度を落とし、明るい音楽となって対位法的な音楽となっている。
- 第4楽章 Finale: Allegro
- フィナーレ:アレグロ。ニ短調、2/2、ソナタ形式。
- 第1主題はクラリネットとホルンによるうごめくような主題、第2主題はチェロによって演奏される民謡風のもので、好対照をなしている。展開部ではこれらの主題に提示部の最後でヴァイオリンが演奏する小結尾主題とが対位法的に処理される。再現部の後、結尾となるが、ここでは小結尾主題を扱って盛り上げたところで第1主題の冒頭部分を力強く奏で、速度を上げると、最後に第1主題を全管弦楽が第1主題を壮大に演奏して、全曲を閉じる。
[編集] 参考図書
- 作曲家別名曲解説ライブラリー6 ドヴォルザーク(1993年、音楽之友社) ISBN 4276010462
カテゴリ: 交響曲 | ドヴォルザークの楽曲