北海道小樽潮陵高等学校
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北海道小樽潮陵高等学校(ほっかいどうおたるちょうりょうこうとうがっこう、Hokkaido Otaru Choryo High school)は、北海道小樽市潮見台にある道立高等学校。
北海道小樽潮陵高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
学校長 | 大沼 寛 |
創立記念日 | 1902年5月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
高校コード | 01159 |
所在地 | 〒047-0002 |
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電話番号 | 0134-22-0754 |
FAX番号 | 0134-22-5954 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 沿革
- 1902年 - 3月27日 北海道庁立小樽中学校として設立が認可される。
- 1902年 - 4月25日 開校。
- 1902年 - 5月15日 初の入学式。(この日を開校記念日としている)
- 1903年 - 1月29日 開校式。
- 1920年 - 2月11日 校歌制定。
- 1948年 - 4月1日 校名を北海道立小樽高等学校に変更。私立潮陵中学を統合。
- 1950年 - 4月1日 校名を北海道小樽潮陵高等学校に変更。
- 1952年 - 9月23日 創立50周年記念式典。
- 1956年 - 11月13日 失火により校舎の3分の2を焼失。
- 1972年 - 11月10日 制服制度を廃止。従来の制服は標準服とする。
- 1980年 - 12月26日 現校舎完成。
- 2002年 - 10月12日 創立100周年記念式典。
[編集] 概要
北海道内では北海道函館中部高等学校(旧函館中)、北海道札幌南高等学校(旧札幌一中)に次いで設立された旧制小樽中を前身とし、歴史的には北海道を代表する公立高等学校である。自由な校風が特徴。1972年より制服制度は廃止され標準服となる。略称は、「潮陵(ちょうりょう)」。
[編集] 校歌
歌詞は公式サイトを参照。伊藤整の自伝的小説「若い詩人の肖像」によれば、開校20周年の記念祭の前に、当時の校長が新進小説家として知られていた卒業生の岡田三郎に作詞を依頼し、卒業直前にできた校歌を体操の教師の弾くオルガンで練習したとの記述がある。3番の歌詞は潮陵生の進路を航海に例え、土地柄を反映して、暴風や荒波を超えてシベリアに向かうという、とりわけ勇ましい表現がある。近年、記念館の手前に歌碑が建立されている。
[編集] 暁鐘
高校のシンボルともいえる屋上の鐘。以前はこげ茶色だったが、現在は塗り替えられて明るい茶色。2・3分の遅れはあるが、毎日AM8:05とPM5:25に校歌のメロディを奏でる。PTA広報の名称にも使われており、校歌の1番の歌詞にも登場する。
[編集] 特色
[編集] 生徒
小樽市内ではもっとも大規模な高等学校であるが、学区内の人口減少などで募集人数は減りつつある。2005年度からは一学年7クラス280名を募集している。
市内から通学する生徒をはじめ、余市町や古平町、岩内町、倶知安町など後志管内出身の生徒が大半を占める。小樽市に隣接する余市町からの通学生は「ヨイチャー」の愛称でも呼ばれ、校内でもポピュラーな存在である。付近に下宿している生徒も珍しくない。市内の生徒の多くはバスで通学し、JR線で通学する生徒は南小樽駅を利用する。
小樽商科大学、北海道大学、北海道教育大学、北星学園大学、北海学園大学などに進学する生徒が多い。本州の大学へ進学する生徒や、就職する生徒もいる。進学校ではあるが、校風を反映し、進路はあくまで各自の自由と責任に基づくものであるという認識が強い。
[編集] 服装
1972年11月10日、制服制度を廃止し、従来の制服は標準服とされたが、現在その標準服は消滅している。当初は上靴も自由であったが、土足をする生徒が多く、外靴と上靴が一緒である生徒もいたほどであった。そのため、上靴には印としてペンで線を書くようにしたが、不真面目な書き方をする生徒が多かったため、学校が指定した上靴を履くことになり現在に至る。上靴のラインの色は入学年度別に赤・青(紺)・緑の3種類。
また上靴と同じように、赤・青・緑の学年別3色の「潮陵ジャージ」がある。赤はややくすんだ小豆色。青・緑はほぼ原色に近く、特に緑のジャージは独特の存在感がある。なお、各色の愛称として、緑はカエルスーツ、赤はあずジャー、青はドラえもんと呼ばれることがある。
[編集] 授業
週5日、7時間授業を行っている。進学する生徒が多いため、2年次から文系・理系に分かれたカリキュラムが組まれている。2006年に全国的に発覚した高等学校の特定科目未履修問題に際しては、潮陵高校も情報、理科総合の授業数が足りなく、現代社会を政経の教科書に切り替えて授業をしていたなどで問題になった。
「文武両道」を重要な校訓のひとつとする潮陵高校では体育の授業も重視されている。週3時間の体育のうち1時間は、男子では柔道、女子ではテニス(夏のみ)に充てられている。また1年次には、「潮陵体操」という伝統的な軽快な体操が取り上げられる。この体操には倒立前転を伴う箇所も見られるなど、ラジオ体操より難易度が高い(ただし女子は単なる前転)。女子は、2年次にグループごとに体系を変えて創作し、3年次には創作ダンスのBGMとしても使う。
[編集] 生徒会
一般的な高校の例と同じく、立候補と投票によって三役その他の役員が決められる。
年度末には生徒会執行部が中心となって生徒会誌「鳳(おおとり)」を発行する。この名は校歌の歌詞に「鳳高校」とあるように、小樽港の翼を広げたような形に由来している。
[編集] 部活動
2006年12月現在、18の運動部、9の文化部、3の外局、4の同好会が活動。
- 放送局は2006年にNHK杯全国高校放送コンテストテレビドキュメント部門で全国優勝を果たした。番組名は「なまら重くね!?」。同大会のテレビドラマ部門では制作奨励賞を受賞している。
[編集] 記念館
校舎に隣接して資料を展示する記念館が設けられている。茶色のレンガと八角形の平面が印象的な建物で、演劇部の稽古場として使われるほか、軽音楽部やクラシックのミニコンサートが催される。
[編集] 購買・食堂
昼休み前や休憩時間には売店でパンなどを買うことができる。休憩時間中に食事を済ませ、昼休みに遊ぶ時間を確保する生徒も少なくない。食堂は定時制専用で、かつて全日制の生徒が利用できないか、生徒会の議題に上がったケースがあったが、許可されなかった。また近所のセイコーマートは昼休みに行くことが認められており、生徒で賑わう。潮陵祭期間中になるとアイス等の品切れが続く。
[編集] 行事
3年生が受験準備のため、8月の終わりまでに行事が集中している。
[編集] 潮陵祭
7月の第3週の週末あたりに開催される最大の行事。期間は3日間で、準備期間も含めて期間中はそれぞれのクラスがまとまり、学校全体が活気に満ちあふれる。期間中はクラスTシャツや潮陵祭オリジナルTシャツを着ている生徒が多く見られる。
- 仮装行列
- クラスごとにテーマを決め、山車をつくり、全員が仮装し校庭にて決起集会(ダンス1分)を行う。
- その後小樽市街を練り歩き、商店街でパフォーマンス(ダンス2分)を披露する。
- 準備期間中にパフォーマンス練習が行われるが、衣装作りやクラス企画などと平行して行う時間が足りないため、夜遅くに市内の空き地等で練習するクラスが多い。ただし最近は、下校時間1時間前に校舎周りでの練習をし、その後に練習を行うことは原則禁止とされる。
- ステージ企画
- 体育館では、オープニングセレモニー・有志芸能・のど自慢(予選)が行われ、のど自慢に関しては後夜祭でグラウンドにて決勝が行われる。2階の光庭では『天下一部会』という有志のお笑い対決が行われる。
- クラス企画
- 食堂(焼き物・麺類・甘味・煮汁の4クラス)・映画・バラエティの三部門から各クラス一部門を選んで行われる。一般市民の入場者も多い。クラス毎に部門の希望を出し抽選が行われるが、食堂部門は仕入れ等の関係で3年生が優先される。
- クラブ企画
- 化学部の化学ショー(ラムネ作り教室が有名)、書道部・美術部・写真部の作品展示、文芸部・漫画研究同好会の部誌発行などが期間中にあわせて行われる。
- 後夜祭
- 最終日の夕方に行われる。参加は自由だが多くの生徒が参加する。校庭の中央に設置された大型キャンプファイヤーへの点火方法は色々と工夫が凝らされている。参加生徒は主題歌を歌うなどして盛り上がり、日没後に打ちあげられる花火が祭りの終わりを告げると感動と共に切なさがこみ上げる。ちなみに、強制参加ではないので帰宅する生徒も見られる。
[編集] 見学旅行
10月の始めには2年生が関西へ行く見学旅行がある。3泊4日と周辺の公立高校より一泊ほど短いが、校風からか団体行動は比較的少なく、グループごとの自由行動が多い。集合時間に遅れると夜の自由時間が無くなり、ホテルに監禁されてしまうので早め早めの行動を心がけることが大切である。
[編集] 著名な出身者
- 学者
- 政治家
- 経済人
- 安川英昭(セイコーエプソン取締相談役)
- 文化/芸能
- 放送
- 今中麻貴(フリーアナウンサー)
- 京谷和央(uhbスーパーニュースキャスター)