国鉄D50形蒸気機関車
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D50形蒸気機関車(D50がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄、製造時は鉄道省)の貨物用テンダー式蒸気機関車の1形式である。
当初は9900形と称したが、1928年5月、D50形に形式変更された。29976号機すなわちD50 277号機以降は、最初からD50 277~号機の形式車号で登場している。
鉄道の現場を中心に「デコマル」の愛称があった。
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[編集] 製造
川崎造船所が主体となり、汽車会社、日本車輌製造、日立製作所により、1923年から1931年の間に380両が製造された。しかし折からの昭和恐慌による貨物輸送量の減少により、強力な貨物用機関車の需要が小さくなったため、製造が打ち切られた。
[編集] 構造
それまでの貨物用標準型蒸気機関車であった9600形よりボイラー、シリンダーなど各部分を大型化したが、設計はほぼ完全に新規で起こされており、アメリカ流のラージエンジンポリシーの影響が色濃く現れている。事実、日本国内で設計された量産機関車としては初採用となった棒台枠、アーチ管、給水温め器、給水ポンプなど、アメリカから輸入されたC52形がもたらしたさまざまな新機軸を導入されており、これらの威力でボイラー性能の飛躍的な向上と出力の増大を実現した。当時9600形は幹線で600~700t牽引が限度であったが、D50形では連結器の自動連結器化と空気ブレーキの採用により、一挙に950t(後は1000t)まで牽引が可能となった。
軸配置は国産機関車では初の「ミカド形」(1D1=先輪1軸、動輪4軸、従輪1軸)とした。動輪直径も9600形の1250mmから150mm拡大されて1400mmとなったが、これはその後の貨物用蒸気機関車にも受け継がれた。
弁装置は111号機までは、高価なニッケルクロム鋼を使用して軽量化と振動の減少を実現していたが、これはコストダウンその他の事情から、廉価なバナジウム鋼に変更された。また、22号機までの主ばねは、欧米同様、下ばね(アンダースラング)式であったが、検査時の動輪の着脱(車抜き・車入れ)の簡略化を狙って上ばね(オーバースラング)式に設計変更された。そのため、D50形乗務経験のある乗務員の乗り心地に関する評価では、「前期車の方が格段に良かった」とする意見が多く、運動部品の慣性質量の増加と、上ばね化によるロールセンターの上昇が振動に直接影響を与えていたことをうかがわせている。
先台車はリンク復元装置を採用したが、後期の10両ではコロ式復元装置に替えて、曲線走行性能の上昇を図っている。
[編集] 運転
登場後、たたちに東海道本線山北~沼津間、常磐線田端~水戸間などで使用開始された。四国を除く全国各地の主要線区で貨物列車牽引用に、あるいは急勾配線区の旅客・貨物列車けん引用として使用された。1955年頃から老朽化による廃車が出始め、1965年頃までにほとんどが廃車となった。
末期に残ったのは若松、直方両機関区に配置され、筑豊本線の石炭列車に使用されていた数両と一ノ関機関区に配置され、大船渡線一ノ関~陸中松川間の貨物列車の牽引にあたっていた2両であった。最後の1両は直方機関区に配置されていた140号機で、1971年まで使用されたあと梅小路蒸気機関車館に保存された。
D50形の性能諸元をもとに幹線の貨物列車の牽引定数が決まり、そこから駅の有効長や貨車ヤードなどの鉄道施設の規格が決定され、今日の鉄道に引き継がれている。あらゆる意味で日本の鉄道の基礎を築いた機関車といえよう。
[編集] 改造
大船渡線は転車台が無く、テンダ(テンダー)を先頭にした、長時間のバック運転を強いられていた。そのため、バック時の視界確保策として、C56形同様、テンダ両肩を大きく切り欠く改造が施された。その結果、石炭搭載量もC56並みとなっている。同様の改造は、入れ換え専用となった他形式のテンダ機関車にも見ることができる。
後年、D51形が大量製造されたこともあって両数に余剰を生じた。そのため、丙線規格線区向け転用のために、1951年から1956年にかけて、78両は2軸従台車に振り替えて、D60形に改造された。
[編集] 主要諸元
- 全長 17248mm
- 全高 3955mm
- 軸配置 1D1(ミカド)
- 動輪直径 1400mm
- シリンダー(直径×行程) 570mm×660mm
- ボイラー圧力 13.0kg/cm²
- 火格子面積 3.25m²
- 全伝熱面積 222.3m²
- 過熱伝熱面積 64.4m²
- 全蒸発伝熱面積 157.9m²
- 煙管蒸発伝熱面積 142.7m²
- 火室蒸発伝熱面積 13.5m²
- ボイラ水容量 7.4m³
- 大煙管(直径×長サ×数) 140mm×5500mm×28
- 小煙管(直径×長サ×数) 57mm×5500mm×90
- 機関車運転整備重量 78.14t
- 機関車空車重量 70.36t
- 動輪軸重(最大) 14.70t
- 炭水車運転整備重量 49t
- 炭水車空車重量 20t
- ボイラ圧力 13kg/cm²
- 最高速度 70km/h
[編集] 製造年・メーカー一覧
D50(9900)形製造年別両数一覧 | ||
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製造年 | 両数 | 累計 |
1923 | 8 | 8 |
1924 | 34 | 42 |
1925 | 59 | 101 |
1926 | 51 | 152 |
1927 | 91 | 243 |
1928 | 33 | #276 |
36 | 312 | |
1929 | 33 | 345 |
1930 | 18 | 363 |
1931 | 17 | 380 |
#以降、D50形として落成 |
D50(9900)形製造所別番号一覧(1) | ||
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製造所 | 両数 | 機関車番号 |
川崎造船所 | 171 | 9900~9941、9953~9967、9987~9999、 19900~19904、19911~19937、 19974~19972、29901~29924、 29951~29969 |
汽車会社 | 30 | 9942~9946、9968~9986、29970~29975 |
日立製作所 | 53 | 9947~9962、19905~19910、19939、 19940、19973~19982、19987~19996、 29925~29943 |
日本車輌 | 22 | 19938、19941~19946、19983~19986、 19997~19999、29900、29944~29950 |
合 計 | 276 | |
D50形製造所別番号一覧(2) | ||
製造所 | 両数 | 機関車番号 |
川崎造船所 | 27 | 277~279、330~339、350~355、362~369 |
汽車会社 | 39 | 280~291、303、314、315、320~329、 346~349、356~359、370~375 |
日立製作所 | 27 | 292~301、316~319、340~345、 360、361、376~380 |
日本車輌 | 11 | 302、304~313 |
合 計 | 104 |
[編集] 保存機
大半のものが早く廃車されたため、保存機は少なく、梅小路蒸気機関車館に保存されている140号機と、北海道北見市内に保存されている25号機の2両のみ。動態保存機はない。
[編集] こぼれ話
- 大阪圭吉の小説『とむらい機関車』にD50 444号機(実在しない)が登場する。
[編集] 参考文献
- プレス・アイゼンバーン『レイル』No.37 1998年7月 ISBN 4871121879
- グラフ D50の足跡 p4~p13
- 高木宏之「国鉄型蒸気機関車の系譜 第7章 9900(→D50)形・機78-2形」 p25~p38
日本国有鉄道(鉄道院・鉄道省)の制式蒸気機関車 |
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タンク機関車 |
960・1000II・1070・1150・B10・B20/2700II・2900・3500・C10・C11・C12/4100・4110・E10 |
テンダー機関車 |
6700・6750・6760・B50 8620・8700・8800・8850・8900・C50・C51・C52・C53・C54・C55・C56・C57・C58・C59・C60・C61・C62・C63(計画のみ) 9020・9550・9580・9600・9750・9800・9850・D50・D51・D52・D60・D61・D62 |