多賀大社
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多賀大社 | |
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![]() 拝殿 |
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所在地 | 滋賀県犬上郡多賀町多賀604 |
位置 | 北緯35度13分32秒 東経136度17分26秒 |
主祭神 | 伊邪那岐命 伊邪那美命 |
社格等 | 式内社(小)・官幣大社・別表神社 |
例祭 | 4月22日 |
多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する神社である。式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社である。古くから「お多賀さん」として親しまれてきた。
「お多賀杓子」と称し、お守りとして杓子を授ける慣わしがある。
目次 |
[編集] 歴史
『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが当社のことである。延喜式神名帳に「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、小社に列している。「二座」とあることから、この時代から伊邪那岐命・伊邪那美命二神が祀られていたことがわかる。社伝では、
明応3年(1494年)、神宮寺として不動院(天台宗)が建立された。神宮寺配下の坊人が全国にお札を配って信仰を広め、中・近世には伊勢・熊野とともに庶民の参詣で賑わった。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もある。近江国が交通の結節点だったことも、隆盛の理由であろう。なお俗謡にある「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大御神が、伊邪那岐命、伊邪那美命両神の御子であることを指す。
特に長寿祈願の神として信仰された。東大寺再建の事業を行っていた80歳の俊乗坊重源が、事業の成功祈願のため伊勢神宮に参籠していると、夢の中に天照大神が現れ「事業を成功するために寿命を延ばしたいのなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。重源が多賀社に参拝すると、「莚」の字に虫が食った柏の葉が飛んできた。「莚」は「廿延」(廿は二十の意)と分解でき、「寿命が二十年延びる」と読める。20年後、重源は東大寺再建事業を成し遂げ、当社へのお礼参りのとき、境内の石(現在は「寿命石」と呼ばれる)に座り込むと、眠るように亡くなったという。また、豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、それが成就したとして1万石を寄進、社殿を造営した。境内の太鼓橋は「太閤橋」とも呼ばれる。
明治4年(1871年)に県社兼郷社、明治18年(1885年)に官幣中社となり、大正3年(1914年)に官幣大社に昇格した。昭和22年、それまでの「多賀神社」から「多賀大社」に改称した。
2002年(平成14年)から「平成の大造営」に取り掛かり、2005年現在、一部は竣工している。
[編集] 交通アクセス
[編集] 公共交通
- 東海道新幹線米原駅から近江鉄道本線乗換え、高宮駅で多賀線乗換え。多賀線終点の多賀大社前駅から徒歩10分。
- 東海道本線(琵琶湖線)彦根駅から近江鉄道本線乗換え、高宮駅で多賀線乗換え。多賀線終点の多賀大社前駅から徒歩10分。
- 東海道本線(琵琶湖線)南彦根駅からバスで10分。
[編集] 自動車
[編集] トピック
- 近江鉄道本線は、運行主系統が米原駅~八日市駅~近江八幡駅となった現在でも、米原駅~貴生川駅(JR草津線)が正式な区間である。これは同鉄道の創立時、多賀大社と何かと縁の深い伊勢神宮に向けて、官鉄(国鉄)の草津線・関西本線・参宮線等を介し結ぼうとした名残だといわれている。近江鉄道宇治山田延伸構想も参照。
[編集] 外部リンク
- 多賀大社公式ホームページ
- ウォーキング写真集 多賀大社(スライドショーあり)
[編集] 関連項目
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