彦根駅
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彦根駅(ひこねえき)は、滋賀県彦根市古沢町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)・近江鉄道の駅。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
[編集] JR
JR琵琶湖線の駅は、相対式2面2線のホームを持つ橋上駅である。1番のりばと2番のりばの間には、ホームのない中線が1本ある。 東口と、東西自由通路が2007年3月19日に開通した。
- のりば
- ■ 米原・大垣方面
- ■ 京都・大阪方面
なお、2番乗り場は運転上の3番線。2番線はホームなし。
かつて、駅東側に住友大阪セメント彦根工場(1996年3月閉鎖)があり、近江鉄道にも住友大阪セメントや麒麟麦酒関連の車扱貨物輸送があった。それらの貨車を扱うため駅東側の下り線に面して側線群があった(そのため、下りは第一場内、第二場内の信号機を持っていた。第一場内は現在第一閉塞信号機の建植位置である)。 側線群は現在線路は撤去されているが、バラストが線路跡地を物語っている。
また、かつて駅下り方には上下の渡り線もあった。この渡り線を使って、彦根と湖北地区の小運転用に気動車列車が設定されていた。戦前の気動車列車の草分け的存在で、国鉄末期まで運転されていた(彦根乗り入れは朝夕各1往復)。 また、国鉄末期に新快速の彦根発着列車が設定され、この渡り線を使って折り返しをすることになった。その際1番線(上り線)に下り出発信号機を新たに設置した。のち、新快速の彦根折り返しの廃止と共に、渡り線・上り線の下り出発信号機もともに撤去されている。2番線(中線)はダイヤ乱れの際に貨物列車や回送列車などの待避に使われており、上下線どちらも進入出発が可能である。
[編集] 近江鉄道
近江鉄道の駅は、島式1面2線のホームを持つ地上駅である。 車両基地が隣接しており、旧式電気機関車ED14、旧式電車などが多数保存されている。
また、住友セメント(現・住友大阪セメント)への専用線が1988年まであった。
- のりば
- 多賀大社前・八日市・近江八幡・貴生川方面
- 鳥居本・米原方面
- 近江鉄道の改札口付近には、自動券売機があるが、自動改札はないので、
購入した切符は、駅員に見せる必要がある。 かつては、国鉄下りホーム(2番のりば)に面して近江鉄道の上りホームがある相対式であったが、橋上化の際改札を国鉄と分離したため新たに下り側のホームを整備し、島式としたものである。
[編集] 駅周辺
- 彦根城
- アルプラザ彦根
- 西村文明堂(旧 旭ミュージックセンター)
- JEUGIA彦根店
- グランドデュークホテル
- サンルートホテルチェーン彦根
- 彦根市役所
- 彦根市民会館
- 滋賀縣護国神社
- 彦根商工会議所
- 彦根郵便局
- 彦根駅前郵便局
- 滋賀銀行彦根駅前支店
- 京都銀行彦根支店
- 大和証券彦根支店
- 多賀大社(当駅から近江鉄道乗車の上、多賀大社前駅下車)
[編集] 利用状況
2005年の乗車人員は平均9,382人/日である
[編集] 歴史
- 1889年(明治22年)7月1日 - 国鉄東海道本線の駅が開業(関ヶ原~膳所間の開通と同時)。客貨取扱を開始。
- 1898年(明治31年)6月11日 - 近江鉄道の駅が開業。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄駅での貨物取扱が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により国鉄駅は西日本旅客鉄道の駅となる。
- 1988年(昭和63年)3月12日 - 近江鉄道線の貨物輸送廃止に伴い日本貨物鉄道と近江鉄道の貨物連絡運輸が廃止。住友セメント専用線廃止。
[編集] その他
- JR西日本の彦根駅は、第4回近畿の駅百選に選定された。
- 西日本旅客鉄道の駅はアーバンネットワークエリアに属しており、Jスルーカード・ICOCA及びSuica(東日本旅客鉄道)・PiTaPa(スルッとKANSAI協議会)が利用できる。
- 国鉄時代末期に新快速が朝夕に彦根まで延長されてきた。上り本線上で折り返す特異な形態だったが、乗換駅でない彦根発着になったのは「車両不足による運用上の都合」と説明されていた。が実際は米原駅を管理する名古屋鉄道管理局が業務の輻輳を理由に乗り入れを拒否したため(とされている)。
- JR化後の新快速は米原へ、さらには直流化された北陸本線に運転区間を延長している。が、末端区間ということもあり、当駅から、長浜駅・近江塩津駅方面は各駅に停車する。ただし、京都-西明石間の快速がこの付近では「普通」表示をしているのに対し、新快速は各駅停車の区間であっても「新快速」と表示している。
- 近江鉄道を走っている電車に自転車を乗せてきた場合、駅構造の関係でこの駅では降ろせない。
[編集] 隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- ■東海道本線(琵琶湖線)