大分県立中津南高等学校
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大分県立中津南高等学校 | |
過去の名称 | 大分尋常中学校 大分県立中津中学校 大分県立中津第一高等学校 大分県立中津西高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
設立年月日 | 1893年 |
校訓 | 礼儀・誠実・進取・向上 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
学科 | 普通科 家庭科 |
所在地 | 〒871-0043 |
大分県中津市高畑2093 | |
外部リンク | 公式サイト |
大分県立中津南高等学校(おおいたけんりつなかつみなみこうとうがっこう)は、大分県中津市にある大分県立の高等学校。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 経緯
中津市出身である福澤諭吉が『学問のススメ』を出版した明治時代、大分県でも教育に対する関心が高まっていた。1893年9月に私立のかたちで中津尋常中学校が建設され、1894年には大分県尋常中学校の分校となった。
第二次世界大戦後、新学制により、中津市内の旧中学校と旧高等女学校を統合し大分県立中津第一高等学校となり、1951年には、学校名を大分県立中津西高等学校と改名。間もなく受験志望生が増え、大分県立中津北高等学校と大分県立中津南高等学校に組織・校舎が分割された。
分割後も1961年までは、南北2校による合同選抜が実施されていた。合同選抜廃止後は中津北高と進学実績を競い、「南北戦争」と呼ばれ、大分県北部の進学校としての歩みを進めていく。
[編集] 年表
- 1893年 - 中津尋常中学校(私立)建設
- 1894年 - 大分尋常中学校の分校となり現在地に新築
- 1900年 - 大分県立中津中学校と改称
- 1934年 - 図書館落成
- 1943年 - 創立50周年。木造体育館完成
- 1948年 - 新学制により大分県立中津第一高等学校になる。定時制を設置、柿坂・跡田に分校を設置
- 1949年 - 男女共学となり旧中学を南校舎、旧高女を北校舎と称する
- 1951年 - 大分県立中津西高等学校と改称
- 1953年 - 南(旧中学)北(旧高女)校舎をそれぞれ分離独立、大分県立中津南高等学校と改称
- 1959年 - 創立70周年。弓道場落成
- 1961年 - 北館、宿直室、小使室が焼失
- 1965年 - 下毛分校が独立、大分県立耶馬渓高等学校となる。
- 1966年 - 創立70周年記。体育館落成
- 1993年 - 創立100周年記念式典
- 2003年 - 創立110周年。庭園完成
[編集] 教育方針
伝統ある地域の進学校としての、期待と信頼に応える、活力ある学校。
- 指導力の向上、生徒の自学力の育成に努め、生徒の学力向上を図る。
- 3年間を見通した進路指導の徹底と研究。
- 基本的生活習慣と規範意識を確立した、心豊かで、心身共に逞しい生徒の育成を目指す。各種行事や部活動への積極的参加を奨励。
- 人権教育を推進・徹底し、差別やいじめを解消し、思いやりの精神を体得できるよう指導。
- 地域との連携を深め、信頼される運営に努める。
[編集] 学校行事
- 4月 - 始業式、入学式、オリエンテーション、歓迎遠足、生徒会立会演説会
- 5月 - 校内除草作業
- 6月 - 高校県体、進路講演会
- 7月 - 卒業生懇談会
- 8月 - 校内除草作業
- 9月 - 開扇祭
- 10月 - 立会演説会、中学生体験入学、生徒総会、台覧記念相撲大会
- 11月 - 福澤諭吉記念弁論大会
- 12月 - 修学旅行
- 1月 - カルタ大会
- 3月 - 卒業式、終業式、離任式
[編集] 生徒会活動・部活動
- 文化部
- 茶道、書道、吹奏楽、ESS、JRC、演劇、科学、郷土史、コーラス、新聞、美術、文芸、弁論、放送
- 運動部
- 空手道、弓道、剣道、サッカー、柔道、弓道、バスケットボール、野球、陸上、テニス
- 同好会
- 囲碁将棋、かるた、バレーボール
[編集] 成績
- 女子バレー - 1972年、第3回全国選抜高校バレーボール大会で全国優勝
- かるた
[編集] 交通
[編集] 著名な関係者
- 前田晃伸(経営者、1963年卒) - みずほフィナンシャルグループ代表取締役社長。
- 小野不由美(小説家、1978年卒) - 作品に『十二国記』ほか
- 秋永月三(陸軍中将 ) - 企画院における代表的経済将校
- 川野淳次(元サッカー選手)、元日本代表、元大分トリニータゼネラルマネージャー