中津市
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中津市(なかつし)は、大分県の北西端に位置する市。
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[編集] 概要
大分、別府に次ぐ大分県第3の都市である。大分県内有数の城下町で、福澤諭吉旧居、中津城などの歴史的な文化財なども多い他、市域南部の耶馬溪は景勝地として有名で、紅葉のシーズンには多くの観光客が訪れる。その他に青の洞門、羅漢寺などの歴史的建造物も存在し、県内有数の観光都市である。
2004(平成16)年末に、ダイハツ車体株式会社が中津市昭和新田に本社、工場を移転したため自動車関連工場の集積が進んでいる。福岡県北九州市・苅田町沖の新北九州空港の開港や自動車関連企業の誘致、更には東九州自動車道も建設予定で、2016年には椎田南IC(福岡県築上町)~宇佐IC(宇佐市)が開通し、中津市内にも中津三光IC(仮称)が開設される予定であり、大分県内でも今後の発展が期待されている。また日田市方面に中津日田道路の建設も予定されている。
[編集] 地形
北部は周防灘(瀬戸内海)に面し、南部の本耶馬渓、耶馬渓、山国町は殆どが山間部でこの地域は「耶馬渓」と呼ばれ景勝地として有名である。近年では、大分県でも数少ない人口増加都市となっている。気候は瀬戸内海式気候のため温暖で年間降水量も九州地方でも少ない地域である。旧中津市・三光一帯は中津平野である。市街地から少し離れると水田地帯となっている。市内北東部の野依新池では環境省のレッドデータブックで絶滅危惧I種に指定され、現在生息が壊滅状態となっているベッコウトンボの個体群が繁殖している。山国川上流の耶馬溪町に位置する耶馬溪ダムは北九州・大分県北部の水がめの役割を担う。
[編集] 生活
中津市は旧豊前国に当たるため、福岡県東部(北九州市、豊前市、築上郡東部など)との結び付きが強い。特に旧上毛郡地域であった豊前市、上毛町、吉富町は、古代には三毛郡と呼ばれ旧下毛郡と同じ領域だったため、中津市との愛着が深く、経済・文化・生活面で中津市と一体である。そのため、山国川を挟んで隣接する福岡県吉富町・上毛町は、中津市との越境合併を視野に入れている。経済的に北九州都市圏の中にあり、同都市圏の5パーセント通勤圏であるが、小都市圏である中津都市圏(約217,000人)の中心都市としての役目も担っており、小都市圏としては全国屈指の規模を誇っている。また南部の山国町は中津市街地よりも、日田市の方が距離的に近いため、日田市との結びつきが強い。
[編集] 経済
[編集] 中津市に本社を置く主要企業
[編集] 交通
交通面では、小倉方面(中津街道=国道10号)、大分方面(日向街道=国道10号)、耶馬渓・日田方面(日田往還=国道212号)の分岐点である。また市内中心部から大分市まで車で1時間30分、北九州市まで車で1時間弱の距離にある。2016年には東九州自動車道、中津三光ICが開通する予定である。また大分県道23号中津高田線はダイハツ車体の移転に伴い、片側2車線に拡幅されている。
[編集] 文化
毎年7月20日以降最初の金・土・日の3日間、中津神社を中心として行われる「上祇園」と闇無浜神社(くらなしはまじんじゃ)を中心とする「下祇園」からなる中津祇園祭りが開催され、旧市内を中心に12台の祇園車が練り歩く。
[編集] 電波銀座
旧中津市のエリアは、大分県と福岡県の県境、周防灘をはさみ山口県とも近いことから、テレビ放送3県・FM放送は4県、AMラジオ放送局は日中でも近畿地方の放送(朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪)や隣国の大韓民国の放送まで入感することから、「電波銀座」とも呼ばれている。
このため、旧中津市や旧三光村地域では、福岡市内に本社を置く5局(RKB毎日放送、九州朝日放送、テレビ西日本、福岡放送、TVQ九州放送)を見るため、UHFアンテナを行橋局(福岡県みやこ町大坂山)に向けている住宅が大半である。また本耶馬渓町、耶馬渓町では行橋局の受信は難しいが、少し標高の高い場所では北九州局(北九州市八幡東区皿倉山)の電波が受信できるため、共同アンテナで福岡民放5局を受信している世帯もある。また、2005(平成17)年9月17日に大分県初のコミュニティ放送局「エフエムなかつ」が開局した。
旧中津市街地では山口県(山口局)、福岡県(北九州局)のデジタル放送の電波も届いており、視聴可能である。
[編集] 市町村合併関連
2003(平成15)年1月1日に中津市と下毛郡4町村(三光村、本耶馬渓町、耶馬溪町、山国町)で法定合併協議会を設置し、合併に向けて協議を行ってきた結果、2004(平成16)年8月21日に合併協定調印式が行われ、2005(平成17)年3月1日に下毛郡4町村は中津市に編入された。
[編集] 近隣市町村
[編集] 中津市の沿革
- 1929年(昭和4年)4月20日 大分県で3番目に市制施行。
- 1943年(昭和17年)鶴居村、大幡村、如水村を編入。
- 1951年(昭和26年)三保村を編入。
- 1954年(昭和29年)和田村を編入。
- 1955年(昭和30年)今津町を編入。
- 2005年(平成17年)3月1日下毛郡(三光村、本耶馬渓町、耶馬溪町、山国町)を編入。
[編集] 史跡・観光
- 中津城:中津城は、黒田孝高(官兵衛)が、豊臣秀吉より豊前6郡を拝領し、豊前海に臨む山国川河口の地に築城したのが始まり。後に細川忠興が大修築し、小笠原氏、奥平氏の居城となった。 当時の中津城は、北部九州の雄藩にふさわしい威容を誇り、城内の形状が扇形をした地形から、「扇城」とも呼ばれていた。 現在ある天守は、本丸隅櫓跡を利用して昭和39年に奥平氏の子孫が建造した模擬天守で、外観は萩城天守を模してあり、鉄筋コンクリート造の五層五階の天守と復興された二層の櫓が併設している。もともと中津城に天守が存在したかどうかについては肯否両論あったが、貝原益軒や司馬遼太郎が、中津城には天守がなかった旨を記して以降、天守は存在しなかったとの説が通説となっていた。しかし、黒田時代の絵図には天守とも思われる三層の櫓が描かれており、未だ真偽の程は定かでない。細川の時代、小倉と中津の二城を存続するため、幕府に遠慮して天守、若しくは天守に相当する建物を取り壊したとの説が近年は有力である。
- 中津市歴史民族資料館:中津に伝わる民族資料を展示している。建物は、慶應義塾二代目塾長を勤め、福沢諭吉との共著「学問のすゝめ」を発行した、中津出身の小幡(おばた)篤次郎の寄贈で設立された旧小幡記念図書館である。国登録有形文化財。
- 中津市立小幡記念図書館:平成5年、現在地に新築移転。小幡篤次郎の資料展示室や、中津藩主・奥平昌高公が出版した、日本最初の和蘭辞書「蘭語譯撰」がある。槇文彦氏設計による建物は、日本図書館協会建築賞、公共建築百選・建設大臣賞を受賞。
- 村上医家史料館:江戸時代初期から続く村上医家を始め、中津に残る医学・蘭学の史料を展示している。裏庭には、蛮社の獄で刑死した高野長英が潜伏していたと伝えられる土蔵が残る。
- 大江医家史料館:代々中津藩御殿医を勤めた大江家を始め、中津に残る医学・蘭学の史料を展示している。5代雲澤は、麻酔薬「通仙散」の発明で知られる華岡青洲の医塾で学び、中津医学校の初代校長を勤めた。
- 金谷武家屋敷:
- 自性寺大雅堂:
- 寺町:
- 生田家武家屋敷門:
- 蛎瀬豊後街道:
- 青の洞門:
- 羅漢寺:
- 深耶馬渓:
- 耶馬渓サイクリングロード:大分交通耶馬渓線の廃線跡を利用してつくられたサイクリングロード。
- 八面山:三光地区にある標高650メートルの山。山頂部にテレビ(NHK、OBS、TOS、OAB)、エフエム放送(NHK-FM、エフエム大分、エフエムなかつ)の中津中継局がある。
[編集] 唐揚げ
- 中津市を中心とした大分県北部・福岡県東部は鳥の唐揚げが好きな人が多いことで知られており、中津市内には唐揚げしか売らない専門店を始め、惣菜店、肉屋など至る所に唐揚げを売っている店がある。中津の唐揚げはニンニクを利かせた濃い目の調味液に肉を漬け込み下味をじっくり付けて揚げるのが一般的な特徴と言われている。代表的な店として「大吉」「チキンハウス」などがある。あまりにも競争が激しいために、ケンタッキーフライドチキンが出店後ほどなく撤退してしまったという逸話まであるほどである。しかしケンタッキーは2007年に再度、市内のゆめタウン中津に出店した(ちなみに大分県内のKFCの店舗数は7店。これは全国の店舗数1,157店(2007年3月現在)に対し、人口の割に非常に少ない)。
[編集] 中津市内の学校
[編集] 大学
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
- 豊陽中学校
- 緑ケ丘中学校
- 中津中学校
- 城北中学校
- 東中津中学校
- 今津中学校
- 三光中学校
- 本耶馬溪中学校
- 耶馬溪中学校
- 山国中学校
[編集] 小学校
- 南部小学校
- 北部小学校
- 豊田小学校
- 小楠小学校
- 鶴居小学校
- 大幡小学校
- 如水小学校
- 三保小学校
- 和田小学校
- 今津小学校
- 沖代小学校
- 秣小学校
- 深水小学校
- 真坂小学校
- 山口小学校
- 樋田小学校
- 屋形小学校
- 上津小学校
- 西谷小学校
- 東谷小学校
- 柿坂小学校
- 下郷小学校
- 城井小学校
- 津民小学校
- 永岩小学校
- 深耶馬渓小学校
- 山移小学校
- 槻木小学校
- 三郷小学校
- 三郷小学校中詰分校
- 溝部小学校
[編集] その他の学校
- 大分県立工科短期大学校
- 中津ファビオラ看護学校
- 中津コンピュータカレッジ
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 県道
[編集] 港湾
- 中津港(重要港湾 - ダイハツ車体進出にあわせ1999年に指定)
[編集] 中津市域からでた著名人
- 福沢諭吉(出生地は大阪市)…慶應義塾大学創立者
- 前野良沢…解体新書(西洋医学書ターヘル・アナトミア翻訳者)
- 奥平昌鹿…中津藩主、前野良沢の蘭学研究や儒学を保護
- 奥平昌高…中津藩主、「蘭語訳撰」(日蘭辞書)・「中津バスタード辞書」(蘭日辞書)を出版
- 白石照山…江戸末期から明治期の儒学者・教育者、福沢諭吉の師
- 島田虎之助…江戸後期の剣術家、勝海舟の師
- 中上川彦次郎…福沢門下の3大実業家、三井の「中興の祖」、山陽鉄道を創設、母は福澤諭吉の姉
- 朝吹英二…福沢門下の3大実業家、三井系列の会社役員を歴任し、王子製紙会長、鐘紡相談役などを務めた
- 和田豊治…福沢門下の3大実業家、大正時代を代表する財界の巨頭、富士紡績を再建
- 小幡英之助…近代歯科の先駆者で歯科医師免許第1号
- 浜野定四郎…慶應義塾の初代塾長、慶應義塾発展に尽力
- 小幡篤次郎…慶應義塾2代塾長、憲法草案をはじめ諸新制度を手掛けた
- 宇都宮仙太郎…日本酪農の父、雪印乳業の創設者の一人
- 田代基徳…明治政府の軍医医監、陸軍軍医学校長、近代外科学の基礎を築く
- 田原淳…心臓刺激伝導系(田原結節)の発見、安岐町に生まれ中津の田原家の養子に
- 村上功児…九州経済界の立役者、井筒屋、西鉄社長
- 水島銕也…神戸高等商業学校(現・神戸大学)創立者、初代校長
- 大島康徳…日本ハムファイターズ元監督、大分県立中津工業高等学校出身
- 前田晃伸…みずほフィナンシャルグループ代表取締役社長、大分県立中津南高等学校出身
- 宮崎明日香…フリーアナウンサー
- 松原のぶえ…演歌歌手(旧・耶馬溪町)
- 松室麻衣…歌手(元dreamメンバー)
- 小野不由美…作家、「十二国記」(講談社文庫) (NHK-BS,のち教育テレビ放映),「屍鬼」(新潮社) 「ゴーストハント」(講談社文庫) (ラジオ大阪にてドラマ放送、テレビ東京系列にてアニメ放映、いなだ詩穂にて漫画化され講談社から出版)
- 松下竜一…作家、「豆腐屋の四季」(朝日放送放映)「潮風の町」(以上講談社文庫), 「砦に拠る」(ちくま文庫)
- 梅津美治郎…軍人、関東軍総司令官、参謀総長、太平洋戦争降伏文書調印式日本全権
- 糸園和三郎…画家、昭和初期シュルレアリスム絵画への指向より出発、「鳥の壁」(国立近代美術館所蔵)
[編集] その他
- 世帯数 : 35,288世帯 (2006年12月31日現在)
- 人口密度 : 176.01人/km²(2006年8月15日現在)
- 市外局番: 市内全域0979
(1990年頃までは旧市内0979、旧三光村097943、旧本耶馬渓町・旧耶馬溪町09795、旧山国町09796)
[編集] 豊葦原中国=中津説
日本神話に出てくる豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)はこの地であり、豊の国や中津という地名はその名残であるとする説。
[編集] 関連記事
[編集] 外部リンク
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