天皇誕生日
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天皇誕生日(てんのうたんじょうび)は、国民の祝日の一つで、今上天皇(在位中の天皇)の誕生日を祝う日。第二次世界大戦終結までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていた。現在は、皇居において、一般参賀が行われている。
[編集] 概説
国家として初めて祝ったのは、明治元年9月22日(旧暦、1868年)に天長節として祝ったときである。明治6年(1873年)の太陽暦採用後、11月3日に変更。その後、即位した天皇の誕生日にあわせて天長節が定められた。戦後、天皇誕生日として国民の祝日と定められ現在に至る。なお、皇后の誕生日は地久節と呼ばれるが、戦前においても国家の祝日にはなっていない。
天皇誕生日と天長節は内容的にほぼ同じものであると考えて間違いはないが、天長節については実際の誕生日からこれを祝う日(祝日)を移動する場合もあった(大正天皇の場合)。現在では祝日法において天皇誕生日は「天皇の誕生日を祝う」と定められており、実質上天皇誕生日と天皇誕生祝日の分離は困難であると思われる。
なお、現在の日本では祝日法によって、月日に基づき天皇誕生日が定められている。そのため皇位継承によって自動的に祝日となるわけではなく、前代天皇の誕生日と今上天皇の誕生日が異なる場合、国会で祝日法を改正をする必要がある。そのため、もし祝日法を改正する間に、前代天皇の誕生日を迎えた場合、今上天皇の誕生日ではないのに、天皇誕生日として祝日となってしまう可能性がある。
[編集] 歴代天皇の天長節・天皇誕生日
時代 | 在位天皇 | 西暦 | 祝日 |
---|---|---|---|
明治時代 | 明治天皇 | 1868年 - 1872年 | 9月22日 (旧暦) |
1873年 - 1911年 | 11月3日 | ||
大正時代 | 大正天皇 | 1912年 - 1913年 | 8月31日 |
1914年 - 1926年 | 10月31日 | ||
昭和時代 | 昭和天皇 | 1927年 - 1988年 | 4月29日 |
平成時代 | 今上天皇 | 1989年 - | 12月23日 |
明治天皇の誕生日は昭和2年(1927年)に明治節という祝日となった。なお戦後は同じ日が国民の祝日「文化の日」となったが、これは昭和21年(1946年)の11月3日に日本国憲法が公布されたことに由来し、明治節とは関係なく定められたということになっている。
昭和天皇の誕生日は、平成元年(1989年、昭和64年)に祝日法の改正で「みどりの日」とされ、国民の祝日として残された。さらに平成19年(2007年)からは「みどりの日」から「昭和の日」と名称が変更された(「みどりの日」は5月4日に移動)。
なお、大正天皇については実際の誕生日は8月31日で、大正2年(1913年)まではこの日に天長節が祝われたが、翌年以降は、盛暑の時期のために各種の行事催行が困難であることに配慮し、2ヵ月後の10月31日を天長節祝日とした。大正天皇の場合には、崩御後に誕生日及び天長節を祝日とすることがなかったために(在位期間も短く、明治天皇のような目立った事績がないためだとみられる)、現在にいたるまで祝日とはなっていない。