徳島県立池田高等学校
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徳島県立池田高等学校 | |
創立 | 1922年 |
設置学科 | 普通科 |
学校長 | |
所在地 | 〒778-8506 |
徳島県三好市池田町ウエノ2834 | |
電話番号 | 0883-72-1280 0883-72-1282(FAX) |
最寄駅 | JR土讃線・徳島線 阿波池田駅より徒歩8分 |
外部リンク | 公式サイト |
徳島県立池田高等学校(とくしまけんりついけだこうとうがっこう)は徳島県三好市にある県立の高等学校。
目次 |
[編集] 沿革
- 1922年 - 徳島県立池田中学校として創立
- 1948年 - 徳島県立池田高等学校と改称、三名分校を設置
- 1949年 - 男女共学化、徳島県立三好農業高等学校を併合し同校から箸蔵分校を移管、佐馬地と西祖谷に分校を設置
- 1950年 - 西祖谷分校に東祖谷教室を設置
- 1951年 - 西祖谷分校東祖谷教室と西祖谷分校をそれぞれ祖谷分校・祖谷分校西祖谷教室と改称
- 1952年 - 全日制農業科が徳島県三好農林高等学校(現在の三好高)として独立し同校へ箸蔵分校昼間分教室を移管
- 1956年 - 徳島県立池田高等学校と改称
- 1958年 - 三名分校を廃止
- 1960年 - 佐馬地分校を廃止
- 1963年 - 祖谷分校西祖谷教室を廃止
- 2005年 - 祖谷分校を廃止
[編集] 校訓
「質実剛健」
[編集] 部活動
- 文化部 - 書道、美術など
- 体育部 - 硬式野球、ハンドボール、レスリングなど
[編集] 野球部
かつて甲子園で数々のドラマを生み出した蔦文也元監督率いる池田高校野球部。これまで春夏通算で優勝3回、準優勝2回の輝かしい成績を残している。全部員11人だけで戦い抜き準優勝を果たした「さわやかイレブン」や、「やまびこ打線」と呼ばれたその豪快な攻撃野球で一躍有名になった。甲子園で鳴り響いた校歌の歌詞が、未だに耳から離れない高校野球ファンも多い。
近年では甲子園出場も遠ざかっているが、2006年の春の県大会では準優勝し、復活の兆しを見せている。2007年度秋季高校野球大会では、同じく県大会で準優勝を果たし(優勝は徳島商業)、四国大会出場を決めた。四国大会一回戦でコールド負けを喫したものの、今後への期待は高まる。久々の甲子園出場を果たす日も、そう遠くはないだろう。
[編集] さわやかイレブン
1974年春の甲子園(46回大会)に出場した池田高校は、メンバーが11人という、どうにかゲームが出来る人数であった。怪我人さえ殆ど出せない状況のなかで、全メンバーが一丸となってプレーする姿は、人々の胸に感動を与えた。そしてそのまま準優勝を果たし、全国から注目を浴びた。
[編集] やまびこ打線
蔦は「芯を外れていても腕力が強ければ飛距離が伸びる」という金属製バットの特性を生かすために、ひたすら部員の上半身を鍛え上げた。こうして、緻密なプレーはせずにとにかく打ちまくるという強打の「やまびこ打線」を生み出し、1982年夏の甲子園(64回大会)ではチーム6戦85安打という当時の大会新記録を見事に打ち立てた。ラストバッターの山口博史は2回戦、3回戦と2試合連続でホームランを放ち、「恐怖の9番打者」と恐れられ、切れ目のない打線の象徴となった。更に準々決勝の早稲田実業戦では、のちにプロでも活躍するエース荒木大輔と石井丈裕の両投手から14点を奪い圧勝、決勝戦では、「緻密なプレー」の権化ともいえる広島商相手に初回から猛打で圧倒し、12-2で粉砕した。この徹底されたパワー野球は後に「池田野球」と呼ばれ、多くの野球指導者・選手に強い影響を与えた。そして高校野球界に新たな流れをつくった。
[編集] やまびこ打線のその後
この打って打って打ちまくる強打のチームがその後、優勝を独占したかと言うと必ずしもそうでは無い。池田に関して言うと全国の高校が研究して、いち、にの、さんでストレートを打ち返していたのがバレ、タイミングを外すカーブやスライダーが打てない事が知られると、その後はさっぱりであった。事実、6年後の(70回大会)で広島商が以前と同様の緻密な野球で優勝しているし、バントの最多記録を作った育英(75回大会)や松山商(78回大会)など緻密な野球が優勝する年も少なからずある。金属バットは打力を全面に押し出した方が有利と逸早く気付き徹底して実践した蔦の凄さは認められるものであり、その後の高校野球が強力打線なしではなかなか上位に勝ち進めなくなった事は確か(広島商は、88年夏の全国制覇以降、極端に全国大会への出場回数を減らしている)だが、打力だけが強いだけでは勝てない。1985年春の選抜高等学校野球大会では、「緻密な野球」をしないはずの池田がスクイズをした。準々決勝で対戦した東北(宮城県)の投手佐々木主浩は「池田高校がスクイズをするとは思わなかった」と試合後のインタビューで話していた。やはり強打+優秀な投手、守備力も含めた総合力が大事であろう。この「山びこ打線」は、結果的に現在主流となっている複数投手制の遠因となっている。
[編集] KKコンビとの対決
池田は1983年夏の甲子園(65回大会)の準決勝で、当時まだ1年生で、この年ノーマークだった桑田真澄・清原和博の「KKコンビ」を擁するPL学園と顔を合わせた。しかし、相手ピッチャー・桑田の大活躍で想い通りのバッティングが出来ず、またエース・水野雄仁も不調で(この年3回戦、対広島商戦で頭部に死球を受けた)、0-7の完封負けを喫した。皮肉にも、この試合では山びこ打線のお株を奪うかのように、7番以降の下位打者3人(うち1人は8番桑田)にそれぞれ一発を浴びている。なお池田を降したPL学園は決勝で横浜商を破り、その大会の優勝校となった。
[編集] 甲子園での成績
西暦 | 和暦 | 大会 | 回 | 勝敗 | 回戦 | スコア | 対戦校 | 対戦地区 | 備考 |
1971年 | 昭和46年 | 選手権 | 第53回 | ○ | 1回戦 | 5-4 | 浜田 | 島根 | |
● | 2回戦 | 1-8 | 県岐阜商 | 岐阜 | |||||
1974年 | 昭和49年 | 選抜 | 第46回 | ○ | 1回戦 | 4-2 | 函館有斗 | 北海道 | |
○ | 2回戦 | 3-1 | 防府商 | 中国(山口) | |||||
○ | 準々決勝 | 2-1 | 倉敷工 | 中国(岡山) | |||||
○ | 準決勝 | 2-0 | 和歌山工 | 近畿(和歌山) | |||||
● | 決勝 | 1-3 | 報徳学園 | 近畿(兵庫) | |||||
1975年 | 昭和50年 | 選抜 | 第47回 | ● | 1回戦 | 2-4 | 報徳学園 | 近畿(兵庫) | |
1979年 | 昭和54年 | 選抜 | 第51回 | ○ | 2回戦 | 5-0 | 鶴商学園 | 東北(山形) | |
● | 準々決勝 | 7-8 | 東洋大姫路 | 近畿(兵庫) | |||||
選手権 | 第61回 | ○ | 2回戦 | 9-2 | 松商学園 | 長野 | |||
○ | 3回戦 | 5-2 | 中京 | 愛知 | |||||
○ | 準々決勝 | 5-1 | 高知 | 高知 | |||||
○ | 準決勝 | 2-0 | 浪商 | 大阪 | |||||
● | 決勝 | 3-4 | 箕島 | 和歌山 | |||||
1982年 | 昭和57年 | 選手権 | 第64回 | ○ | 1回戦 | 5-2 | 静岡 | 静岡 | |
○ | 2回戦 | 4-3 | 日大二 | 西東京 | |||||
○ | 3回戦 | 5-3 | 都城 | 宮崎 | |||||
○ | 準々決勝 | 14-2 | 早稲田実 | 東東京 | |||||
○ | 準決勝 | 4-3 | 東洋大姫路 | 兵庫 | |||||
○ | 決勝 | 12-2 | 広島商 | 広島 | |||||
1983年 | 昭和58年 | 選抜 | 第55回 | ○ | 1回戦 | 11-0 | 帝京 | 東京 | |
○ | 2回戦 | 10-1 | 岐阜第一 | 東海(岐阜) | |||||
○ | 準々決勝 | 8-0 | 大社 | 中国(島根) | |||||
○ | 準決勝 | 2-1 | 明徳 | 四国(高知) | |||||
○ | 決勝 | 3-0 | 横浜商 | 関東(神奈川) | |||||
選手権 | 第65回 | ○ | 1回戦 | 8-1 | 太田工 | 群馬 | |||
○ | 2回戦 | 12-0 | 高鍋 | 宮崎 | |||||
○ | 3回戦 | 7-3 | 広島商 | 広島 | |||||
○ | 準々決勝 | 3-1 | 中京 | 愛知 | |||||
● | 準決勝 | 0-7 | PL学園 | 大阪 | |||||
1985年 | 昭和60年 | 選抜 | 第57回 | ○ | 1回戦 | 3-1 | 秀明 | 関東(埼玉) | |
○ | 2回戦 | 9-3 | 駒大岩見沢 | 北海道 | |||||
○ | 準々決勝 | 1-0 | 東北 | 東北(宮城) | |||||
● | 準決勝 | 0-1 | 帝京 | 東京 | |||||
1986年 | 昭和61年 | 選抜 | 第58回 | ○ | 1回戦 | 7-3 | 福岡大大濠 | 九州(福岡) | |
○ | 2回戦 | 2-1 | 防府商 | 中国(山口) | |||||
○ | 準々決勝 | 5-4 | 尾道商 | 中国(広島) | |||||
○ | 準決勝 | 8-2 | 岡山南 | 中国(岡山) | |||||
○ | 決勝 | 7-1 | 宇都宮南 | 関東(栃木) | |||||
選手権 | 第68回 | ● | 1回戦 | 2-7 | 明野 | 三重 | |||
1987年 | 昭和62年 | 選抜 | 第59回 | ○ | 1回戦 | 6-1 | 学法石川 | 東北(福島) | |
○ | 2回戦 | 8-3 | 明石 | 近畿(兵庫) | |||||
○ | 準々決勝 | 9-0 | 甲府工 | 関東(山梨) | |||||
● | 準決勝 | 4-7 | 関東一 | 東京 | |||||
選手権 | 第69回 | ○ | 1回戦 | 5-4 | 八戸工大一 | 青森 | |||
● | 2回戦 | 1-2 | 中京 | 愛知 | |||||
1988年 | 昭和63年 | 選手権 | 第70回 | ● | 2回戦 | 2-3 | 浜松商 | 静岡 | |
1991年 | 平成3年 | 選手権 | 第73回 | ○ | 1回戦 | 5-4 | 国学院久我山 | 西東京 | |
○ | 2回戦 | 13-4 | 弘前実 | 青森 | |||||
● | 3回戦 | 6-8 | 帝京 | 東東京 | |||||
1992年 | 平成4年 | 選手権 | 第74回 | ○ | 2回戦 | 8-1 | 弘前実 | 青森 | |
○ | 3回戦 | 4-3 | 神港学園 | 兵庫 | |||||
● | 準々決勝 | 1-2 | 拓大紅陵 | 千葉 | |||||
春通算 | 21勝5敗0分 勝率 0.808 | ||||||||
夏通算 | 20勝8敗0分 勝率 0.714 | ||||||||
春夏通算 | 41勝13敗0分 勝率 0.759 |
[編集] 著名な出身者
- 水野雄仁 - 元投手(池田~巨人~巨人コーチ~現野球解説者)
- 畠山準 - 元投手・野手(池田~南海・ダイエー~大洋・横浜~現横浜球団職員)
- 江上光治 - 元野手・主将(池田~早稲田大学~日本生命)
- 今井ゆうぞう - (おかあさんといっしょの歌のおにいさん 獨協大学卒・元劇団四季)
- 高橋正守 - (東急ロジスティック社長 中央大学法学部卒)
- 手塚一志(パフォーマンスコーディネーター 大阪体育大学~筑波大学大学院~東京大学大学院)
[編集] 周囲
古くから交通の要地であったことから「四国のへそ」と呼ばれてきた旧・池田町の中心部に池田高校が位置している。付近には吉野川(池田ダム湖)が流れている。また敷地の横を国道32号(192号)とその旧道が走っている。
[編集] 山あいの町
池田高のある三好市池田町は周囲を急峻な四国山地と阿讃山脈に囲まれた山間部の町で、文字通り「山あいの町」。かつての甲子園における池田高の大活躍によって、池田町が全国的に認知されるようになった。
[編集] 関連項目
- 野球部関連