愛甲猛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛甲 猛(あいこう たけし、1962年8月15日 - )は、神奈川県逗子市出身の元プロ野球選手(一塁手・外野手)で実業家。左投げ左打ち。現役時代はロッテで勝負強い打撃を売りに活躍し、中日では代打の切り札として活躍した。
目次 |
[編集] 来歴・人物
横浜高では左腕エースで4番打者を務め、3年次の1980年に夏の甲子園で優勝。しかし一方では悪童としても鳴らしたといい、高校卒業間際に暴行事件が発覚し部員に土下座するという一幕もあった(後輩達は、この一件が原因で対外試合禁止処分を受けている)。同年ドラフト1位でロッテに入団した。
プロでは投手としてスタートするが1勝も上げることができず伸び悩む。3年目の1983年限りで投手としての活動を打ち切り、翌1984年からは野手に転向した。徐々に試合出場回数を重ね、1988年からはレギュラーとして定着し、勝負強い打撃を見せた。同年6月25日から1992年7月11日にかけて記録した535試合連続フルイニング出場は、パ・リーグ記録となっている。
1995年、大スランプに陥りチーム構想を外れ、シーズンオフに中日へ無償トレード。1999年リーグ優勝時には代打の切り札として存在感を示した。
2000年シーズンを最後に現役引退し、タレントに転身。同年の東海豪雨の際、洪水で愛車を流された。2002年失踪騒動が起こり、ワイドショーを中心にマスコミを騒がせたが、無事発見され事なきを得た(本人は3日ほど温泉に行っていただけと明言)。2006年現在は独立して錦糸町で化粧品・サプリメントの企画会社を経営している。
フラップ(耳当て)が無いヘルメットを被り打席に立った最後の選手である。また最近、週刊誌で自らの薬物使用を告白した。
アーチェリーの第一人者で日体大助教授の山本博は高校の同級生である。
[編集] 略歴
- 身長・体重:181cm 87kg
- 投打:左投左打
- 出身地:神奈川県逗子市
- 血液型:B型
- 球歴・入団経緯:横浜高 - ロッテ・千葉ロッテ(1981年 - 1995年)- 中日(1996年 - 2000年)
- プロ入り年度・ドラフト順位:1980年(1位)
- 英語表記:AIKOH
- 守備位置:一塁、外野、(投手)
[編集] 表彰・記録
- ゴールデングラブ賞(1989年)
- 535試合連続全イニング出場(1988年6月25日~1992年7月11日)
- 6試合連続二塁打(1994年5月28日~6月7日)
- オールスターゲーム出場 2回(1989年、1991年)
[編集] 通算成績
[編集] 打撃成績
- 出場試合 1532
- 通算打数 4244
- 通算得点 491
- 通算安打 1142
- 通算二塁打 245
- 通算三塁打 15
- 通算本塁打 108
- 通算打点 513
- 通算盗塁 52
- 通算犠打 64
- 通算犠飛 36
- 通算四死球 405
- 通算三振 774
- 通算打率 .269