日枝久
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日枝 久(ひえだ ひさし、1937年12月31日 - )は、フジテレビジョン(CX)代表取締役会長、前日本民間放送連盟(民放連)会長、産経新聞取締役、フジサンケイコミュニケーションズ・インターナショナル・インク代表取締役会長。
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[編集] 来歴・人物
東京に生まれる。東京都立杉並高等学校を経て1961年早稲田大学教育学部社会科を卒業し、フジテレビへ入社。フジテレビ労働組合結成に奔走し書記長も務める。それが原因で当時の鹿内信隆社長の逆鱗に触れ左遷させられた。信隆の長男・鹿内春雄がトップになって彼の強力な推しでフジテレビ本社に復帰し1980年から6年間を編成局長、40代の若さで取締役に就任。1986年から2年間を常務取締役総合開発室担当。1988年、春雄の死後社長就任。1990年に信隆がなくなると、その後を継いだ鹿内宏明との間に確執を生み1992年7月、企業内クーデターを起こし宏明を追放(お家乗っ取り、主家簒奪などネガティブなイメージが後々まで付きまとったことは否めない)し、鹿内一族の経営支配にピリオドを打った。同時に産経新聞取締役なども兼任。2001年まで14年あまり社長を務め、同年7月後任の社長に村上光一を指名し会長に就任。2003年3月20日民放連会長就任(2006年3月まで会長を務めた)。
1970年代の在京の民放の視聴率は、1位TBS、2位日本テレビ放送網と続き、そのはるか下の3位に、NET(現テレビ朝日)とフジテレビが3位争いをしていた。時々「振り向けば12チャンネル(東京12チャンネル・現テレビ東京)」と揶揄されたこともあった。信隆の長男・春雄が機構改革で編成主導の制作を断行。そこで抜擢された日枝が陣頭指揮を執るようになりその思い切った改革の中、編成・制作現場は活気にあふれ 1980年以降「軽チャー路線」を打ち出し若者や女性の支持を得てフジテレビは黄金期を迎えることになった。そして50歳の若さで在京民放初の生え抜きとして社長(それ以前の民放は新聞社の出身者が社長になる傾向があった)に就いたことはなるべくしてなったと言っても過言ではない。現在のフジテレビの強さと社風を生み出した功労者の一人である。また、編成局長時代は自ら集英社に足を運び、粘り強い交渉の末に人気コミック「Dr.スランプ」のアニメ化権利を獲得、以降のフジテレビにとって大きな収益源となる、「フジテレビ~集英社作品アニメ」というラインを作り上げる原動力となった。
ライブドアによるニッポン放送株の大量取得問題の際にワイドショーや週刊誌で日枝のことを取り上げていたが、内容は何れも自宅を5億円で購入して3年でローンを返済しているが社長・会長職の年収は1億2000万円しか無いのに不自然だとか、現在のお台場に本社を移転した際のゼネコンとの癒着の疑惑である。そのような扱いを受けるのも、かつて彼が謀略を用いてフジテレビを乗っ取った(社長に就任した)経緯のためであろう。
現在は会長職であるが、フジテレビの代表としてマスコミの取材を受ける時は村上社長ではなく大抵日枝会長が出ている。
[編集] ニッポン放送の資本問題
2005年3月、日枝が代表取締役を務めるフジテレビジョンについて、フジテレビの最大株主でありフジサンケイグループの中核企業であるニッポン放送が資本問題を起こしている(ニッポン放送を参照)。
資本の構造については、投資ファンドのM&Aコンサルティング(いわゆる村上ファンド)代表の村上世彰が「総資産規模で大きいフジテレビを小さいニッポン放送が支配する歪んだ構造が問題である。」と指摘していたが、対応が遅れたことで実際にライブドアがニッポン放送株の取得で経営に介入する余地を与えた。このことから、自ら証券市場にニッポン放送株を上場させた日枝としての脇の甘さを批判する意見もある。
なお、2006年現在、フジテレビはニッポン放送の完全子会社化を終了し、フジサンケイグループの事業持株会社としての位置を、名実共に確立している。
[編集] 発言・逸話
- 日枝家は桓武平氏の流れを汲み江戸時代、現在の岡山県倉敷市川辺において脇本陣を務めた家である。
- NHK「プロジェクトX~挑戦者たち~展」に対し、「NHKは受信料で成り立ってる。スポンサー協賛金集めなんてとんでもない」と批判。
- 編成局長時代に「オレたちひょうきん族」の「ひょうきん懺悔室」で、野球中継のため番組が中止になることは編成局が悪いという主張に対し、夏期しか野球中継がないから我慢して欲しいと懇願するが判定は「×」。ビートたけしと明石家さんまから水を掛けられる(復刻版DVDでもそのシーンが収録されている)。
- 社内では長年「きゅうちゃん」と呼ばれていたが、高橋尚子にお株を奪われ寂しいらしい。
- 労働組合を作った事で鹿内信隆から左遷された過去を持つが「大鹿内」は石原慎太郎と親しい。故に手先として石原を嫌っている。
- DVDレコーダーなどでCMなどを飛ばして録画・再生をする行為は著作権法違反の可能性があるという発言により、議論を巻き起こした。
- 浅間山荘事件の際、CM全面飛ばしを強行し、スポンサーから痛烈な批判を受け、内外に議論を巻き起こした。ただしTBSも同種の編成をしており日枝の独断によるものではなく視聴率争いをする上での苦肉の策のあった面も否めないであろう。
- 社長時代にめちゃ²イケてるッ!の「カウンタック急便」に出演し、河田町のフジテレビ旧社屋に置いてきたイソジンを届けさせられ、5万50円という高額な「社長クラス」の配達料を請求された。日枝はこれに快く応じ、「気さくな」社長としてめちゃイケ大百科事典に載ることなった。大百科事典内での項目名は『日枝社長(ひえだしゃちょう)』。
- 2005年度入社式ではねるのトびらのキャラクター・秋山森乃進に扮したロバート秋山竜次になぐさめられた。(この事がテレビ朝日のスーパーモーニングで取り上げられた際ばばこういちから「バカ番組に出ているものに公共性を語る資格はない」と痛罵されているが、会長が自らネタになるのは高い品性を持とうとしていないと批判する趣旨と思われる)
- 金光教の信徒であり支部役員を務めるほか同教の著作物の一部も系列出版社から刊行されている。
[編集] 映画制作・企画など
- 海に降る雪(製作コーディネーター)
- チ・ン・ピ・ラ
- TAN TANたぬき
- タッチ 背番号のないエース
- 子猫物語
- おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!
- そろばんずく
- 優駿 ORACION
- タスマニア物語
- ビルマの竪琴
- 時計 Adiue l'Hiver
- 南極物語
- 熱海殺人事件
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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