木原光知子
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木原光知子(きはら みちこ、1948年4月5日 - )は、元水泳選手、元タレント、実業家、スイミングアドバイザー。競技の現役時代、タレント時代前期、実業家として名前は「木原美知子」となっている。
高校在学時に東京オリンピックに出場し「ミミ」の愛称で一躍アイドル選手となった。100m自由形が主であったが、400mや個人メドレーなどでもトップクラスのオールラウンダーであった。競技を引退後は東レの水着モデルを務めるなどタレントに転向。その後、東レ関連会社の役員や自らの水着ブランドや水絵教室を運営するなどビジネス界に進出。40歳を超えてからマスターズ競技に復活し日本記録を樹立している。また各種スポーツ団体や岡山県関連の理事・委員や日本水泳連盟理事(2005年 - )を務めるなどの多方面で活躍している。
兵庫県明石市生まれ、岡山県で育ち、岡山市立南方小学校、岡山市立旭中学校、岡山山陽女子高等学校、日本大学文理学部卒業
目次 |
[編集] 主な競技歴
- 1963年 第3回全国中学校選抜水泳競技大会 100m自由形、100m背泳ぎ、200m個人メドレーの3種目を制覇。
- 1963年 岡山国民体育大会 中学生でありながら一般の部に出場。100m背泳ぎ3位入賞。
- 1964年7月 全日本水泳選手権 100m自由形 優勝(1分3秒8 日本新記録)
- 1964年10月 東京オリンピック 400mメドレーリレー 4位、100m・200m背泳ぎ、400mリレー 出場
- 1965年9月 岐阜国民体育大会 100m自由形(日本新記録樹立)
- 1966年7月 全国高校水泳競技大会 (青森) 100m・200m自由形 優勝
- 1966年8月 全日本水泳選手権 100m124・200m自由形 優勝
- 1966年12月 第5回アジア大会 (バンコク) 100m・200m自由形 優勝、400mリレー、メドレーリレー 優勝
- 1967年 メキシコプレオリンピック 100m自由形 金メダル、200m自由形 銀メダル
- 1967年7月 全国大学女子大会 100m・400m自由形 優勝
- 1967年8月 全日本水泳選手権 200m・400m自由形 優勝
[編集] マスターズ
- 1986年 第1回世界マスターズ水泳大会(東京) 50m背泳ぎ 優勝(マスターズ世界記録)
- 1997年 ウーマンズ・スイム・フェスティバル'97 50m自由形 優勝(マスターズ日本記録)
- 2000年 第8回世界マスターズ水泳競技大会(ドイツ・ミュンヘン) 50m背泳ぎ 優勝
- 2003年 ウーマンズ・スイム・フェスティバル2003 50m自由形(マスターズ日本記録)
- 2004年 第10回世界マスターズ水泳競技大会(イタリア・リッチオーネ) 50m自由形 3位(マスターズ日本新記録)、50m背泳ぎ 優勝
[編集] 主な出演歴
[編集] モデル
- 1967年1月 日大水泳部を退部。東レ専属の水着モデルとなる。(東レ水着キャンペーンガール参照)
- 1984年 大磯ロングビーチキャンペーンガール
[編集] 映画
[編集] テレビ
[編集] その他の略歴
- 1976年5月 東レエンタープライズ株式会社取締役に就任
- 1990年10月 日本スポーツ産業学会理事に就任
- 1991年 笹川スポーツ財団評議員に就任
- 1992年9月 社団法人日本プールアメニティ施設協会理事に就任
- 1993年 財団法人橋田文化財団評議員に就任
- 1996年4月 ダブルダッチ協会会長に就任
- 1999年7月 社団法人日本マスターズ水泳協会理事に就任
- 2003年3月 財団法人上月スポーツ財団理事に就任
- 2003年4月 財団法人日本水泳連盟総務委員・広報委員に就任
- 2003年4月 東レエンタープライズ株式会社顧問に就任
- 2005年4月 財団法人日本水泳連盟理事(特命事項担当)に就任
- 2005年6月 トータル・オリンピック・レディース会(略称:TOL会)会長に就任
[編集] その他
一時、友人である美川憲一との結婚の噂が週刊誌を中心に飛び交ったが、全くの誤報であった。
[編集] 外部リンク
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