木田勇
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木田 勇(きだ いさむ、 1954年6月7日- )は、神奈川県横浜市旭区出身のプロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
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[編集] 来歴・人物
横浜一商高(現・横浜商大高)から社会人野球の日本鋼管に進み、1978年の都市対抗で準優勝。同年、広島東洋カープがドラフト1位で指名したが、入団を拒否[1]。翌1979年に日本ハムファイターズがドラフト1位で指名し、入団。ルーキーイヤーの1980年に22勝8敗4セーブ、228奪三振、防御率2.28という驚異的な成績で投手部門のタイトルを独占。新人王、そして史上初めて新人選手としてMVPに選ばれた。翌1981年にも10勝を挙げチームのリーグ優勝に貢献した。
しかし他球団からの徹底的なマークと酷使の影響でその後は目立った活躍ができず、1986年にトレード横浜大洋ホエールズに移籍。そのシーズンは8勝を挙げたが、それ以降の3シーズンで2勝に終わった。1990年に中日ドラゴンズに移籍し、同年引退。日本ハム時代のチームメイトだった江夏豊は木田について、「愛すべき男だったが、自分の型に固執しすぎた。それが二年目以降伸び悩んだ原因だろう」と語っている。
引退後は野球関係の仕事はしておらず、サラリーマンとして一般の会社に勤めていた。しかし日本ハムに対する思い入れは大きいようで、幾度となく試合開始前の始球式に登場したり、スタンドで観戦したりしている他、tvkやJ SPORTS(CS)で時折解説者として登場したこともある。その後退職して本格的に評論活動を始め、2006年現在はデイリースポーツ評論家・日本ハムOB会の会長を務める。また、マスターズリーグに対する思い入れも大きく、2005年に3度目のセレクション挑戦で合格、現在札幌アンビシャスの一員である。
2006年、古巣の日本ハムがプレーオフに進出した際、2軍の鎌ヶ谷で行われたパブリックビューイングにゲストとして参加。現地では対ソフトバンク戦の解説を行っていた。
2007年より北信越ベースボールチャレンジリーグ(北信越BCリーグ)に参加する、長野県民球団「信濃グランセローズ」の監督に就任した。
[編集] 通算成績
- 273試合 60勝 71敗 6セーブ 46完投 6完封 1212.2投球回 860奪三振 防御率4.23
[編集] タイトル・表彰
- 新人王(1980年)、MVP1回(1980年)、最多勝1回(1980年)、最優秀防御率1回(1980年)、最多奪三振1回(1980年)、最高勝率1回(1980年)
- ベストナイン1回(1980年)、ゴールデングラブ賞1回(1980年)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 一般には大洋入りを強く希望したためと報じられているが、『広島アスリートマガジン』に連載された元スカウトの記事には、「当初入団には前向きだったが、ある宗教団体との関係から入団が困難になった」との記述があった。