板野一郎
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板野 一郎(いたの いちろう、1959年3月11日 - )は、神奈川県横浜市出身の演出家、アニメーター。DAST所属。
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[編集] 略歴
高校3年のときにスタジオムサシでのテレビアニメ『惑星ロボ ダンガードA』の動画からアニメーターとしてのキャリアをスタート。アニメーターになったのはたまたまアニメーター募集の広告を目にしたからで、就職しているということで親を安心させるという目的もあったという。もちろん当初はアニメーション制作に関する知識は無かったので全くの手探りである。幼少期に読んでいた漫画『鉄人28号』『サブマリン707』の影響でメカ好きになり、メカのカットばかりこなしているうちに、いつの間にかメカ専門になっていたという。同僚の森山ゆうじとのフリー活動、スタジオコクピットを経て、ムサシの先輩だった浜津守の誘いでテレビアニメ『機動戦士ガンダム』に参加。同作で1979年に原画へ昇格を果たす。次いでスタジオビーボォーに籍を置き『伝説巨神イデオン』に参加。この両作品で安彦良和、湖川友謙(ビーボォー主宰)らベテランから作画技法を学ぶ。独自のアクション演出を磨き、イデオンにおける「全方位ミサイル発射シーン」や多数の機動メカ「アディゴ」が乱舞する戦闘シーンなどで注目を集めた。
1982年、『クラッシャージョウ』で知り合ったスタジオぬえの河森正治に誘われ、同僚の平野俊弘らとアートランドへ移籍し、『超時空要塞マクロス』に参加する。主役メカバルキリーの斬新なデザインに惚れこみ、メカニック作画監督として個性を存分に発揮。厳しいスケジュールのため2度も吐血入院したが、スピーディーでアクロバティックな戦闘シーンは「板野サーカス」(後述)と一部アニメファンから称された。マクロスは板野の代表作となり、その後のマクロスシリーズでも河森とのコンビで”高水準”のメカアクションを発表している。
1985年、OVA『メガゾーン23』に参加。演出を手掛けるきっかけとなった他、声優としても1セリフだけ出演している。1986年の続編『メガゾーン23 PartII 秘密く・だ・さ・い』で監督デビュー(メカ作監兼)。以後次第にアニメーターとして作画を行なうことは少なくなり、アニメ演出家としての仕事に比重を移した。同年12月にはアートランドから独立し、結城信輝、本谷利明、門上洋子、森川定美を擁してD.A.S.Tを結成。OVA『エンゼルコップ』シリーズなどを監督した。
1994年の『マクロスプラス』で久々に作画を手掛けた後は、セルアニメからCGの可能性に目を向け、ゲームや特撮作品のCGモーション監修にも活動を広げた。2002年のOVA『マクロス ゼロ』、2004年の『ULTRAMAN』、『ウルトラマンネクサス』以降のウルトラシリーズなどに参加し、新たなアクション演出を模索している。
[編集] 板野サーカス
[編集] 概要
板野一郎独特の三次元戦闘アクションの通称。マイアニメ誌上での宮武一貴のコメントが由来と言われる。1970年代末からメカニック作画監督(メカ作監)の個性が注目され始めたが、パースを誇張する金田伊功に次いで『伝説巨神イデオン』で板野が現われ、『超時空要塞マクロス』で板野サーカスとして広く知られることになる。従来のロボットアニメの戦闘シーンは西部劇や時代劇のような銃や刀を使った「決闘」の様式で、ロボットの重厚感やポージング(決めポーズ)が演出の要点とされていた。これに対し、板野は敵味方が高速で縦横無尽に飛び回る「空中戦」を舞台に、視聴者が目で追えない様なスピード感やアクロバティックな動きを表現した。その原点は少年期に観たハカイダーのオートバイからミサイルが発射されるシーンで、学生時代それを真似て愛車のフロントフォークにロケット花火を取り付け、海岸で走行中に一斉に打ち出すという遊びを行っていた。その花火と並走した体験をアニメ表現に当てはめたのが三次元感覚の画面構成である。アニメ業界人のなかでは異色の肉体派であり、オートバイで歩道橋を渡ったなど数々の逸話から「バトルアニメーター」の異名をもつ。『マクロスプラス』制作に際しては、パイロットの視界や感覚を知るためアメリカで模擬空中戦を体験し、ブラックアウトを味わっている。
[編集] 板野サーカスの特徴例
[編集] ミサイル乱射シーン
ロケット花火遊びが活かされた板野サーカスの代名詞。ロックオンした標的へ一直線ではなく、複雑かつ立体的な軌道で迫る無数のミサイル。糸引く白煙の芸術的な航跡から通称「納豆ミサイル」と呼ばれ、それらを緊急回避する標的機の機動も見所となっている。従来のロボットアニメではサブウェポン扱いだったミサイルに着目し、破壊力よりも「弾数の多さ」でけれん味を演出している。
[編集] レンズ効果
画面内の遠近により魚眼レンズ(手前)・広角レンズ(中央)・望遠レンズ(ロング)調を使い分け、三次元的な奥行きやスピード感を表現する。
[編集] 動体視点
スカイダイビングの空中撮影のように自在に移動するカメラワーク。マクロスシリーズの3Dシューティングゲームでは「バリアブルビュー」として監修を行っている。
[編集] 爆発・崩壊エフェクト
破壊対象物の構造を考え、直撃、衝撃波などにより爆発プロセスを描き分ける。ミサイル同様、おびただしい爆発光も特徴。代表例としてダイダロスアタックの敵艦破壊シーンがある。
[編集] 残酷描写
原画マン時代からキャラクターの首が飛ぶ、頭が潰れるなどの過激なスプラッター描写が多い。テレビアニメではぼかされるが、映画やOVAではかなり残酷なシーンがあり、海外輸出版で全カットされるケースもあった。
なお、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のビデオで板野サーカスを観たハリウッド映画関係者が、映画『トップガン』の空撮シーンのヒントにしたという説がある。英語版wikipediaでは'Itano Circus'(板野サーカス)以外に'Macross Missile Massacre'(直訳すればマクロス・ミサイル大虐殺)という呼び名も存在する。
[編集] 後継者
板野曰く、板野サーカスを完全に会得しているアニメーターは庵野秀明、後藤雅巳、村木靖の3人だけらしい。[要出典]
[編集] 代表作品
[編集] アニメ作品
- 1980年 『伝説巨神イデオン』
- 1981年 『機動戦士ガンダム』
- 1981年 『機動戦士ガンダム II 哀・戦士編』
- 1982年 『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』
- 1982年 『伝説巨神イデオン 接触篇・発動篇』
- 1982-1983年 『超時空要塞マクロス』(メカニック作画監督)
- 1984年 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(作画監督)
- 1984年 『北斗の拳』
- 1985年 『メガゾーン23』(アクション監督、演出)
- 1985年 『メガゾーン23 PartII 秘密く・だ・さ・い』(監督)
- 1994年 『マクロスプラス』(特技監督)
- 2002年 『マクロス ゼロ』(特技監督)
- 2004年 『GANTZ』(テレビアニメ、監督)
[編集] 特撮作品
- 2004年 『ウルトラマンネクサス』(CGIモーションディレクター)
- 2004年 『ULTRAMAN』(フライングシーケンスディレクター)
- 2005年 『ウルトラマンマックス』(CGIモーションディレクター)
- 2006年 『ウルトラマンメビウス』(CGIモーションディレクター)
- 2006年 『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(CGI監督)
[編集] ゲーム作品
- 1996年 『MACROSS DIGITAL MISSON VF-X』(モーション監修)
- 1999年 『MACROSS DIGITAL MISSON VF-X2』(モーション監修)
- 2001年 『マクロスM3』(ムービー監督、モーション監修)
- 2004-2005年 『DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー1、2』(ドラマチック、イベントシーン監修)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Webアニメスタイル - 連載企画『アニメの作画を語ろう』でのインタビュー。
- Webアニメスタイル - 映画『ULTRAMAN』に関するインタビュー。
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