柳家小さん (5代目)
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5代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1915年(大正4年)1月2日 - 2002年(平成14年)5月16日)は、長野県の生まれの落語家。本名、小林 盛夫(こばやし もりお。4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。弟子の立川談志と誕生日が同日である。
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[編集] 人物
滑稽噺を専ら得意とし、巧みな話芸と豊富な表情で多くの観客を魅了し、1979年(昭和54年)に6代目三遊亭圓生が死去してからは落語界の第一人者となる。
蕎麦をすする芸は有名であり、日本一であるとの声も多い。本人も蕎麦を食する際には落語の登場人物さながら汁を蕎麦の端にのみ付けていたらしく、晩年になって、「汁を最後まで付けてみたかった」とこれも登場人物さながらの後悔を語ったという。
数多くの逸話があり、中でも二・二六事件の時のエピソードが有名。反乱部隊の屯所に畑和(のち埼玉県知事)らとともに二等兵として詰めており、上官命令で落語を一席させられた。「子ほめ」を演じたが、反乱の最中で緊張でピリピリしている兵士達が笑うわけがない。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから」と返した。一兵卒として警視庁占拠にも参加している。
孫は元バレエダンサーで俳優の小林十市と、その弟で落語家になった柳家花緑。
永谷園のCFで人気を博した。また、墓所・墓石業の須藤石材 [1]のCMと広告でも長らく活躍した。須藤石材のCM・広告は没後、孫の花緑が跡を継いでいる。
墓の案内看板に「これより二つ目 柳家小さん」と書かれていたため、これをネタにした落語家もいたという(現在は「二基目」と書き直されている)。
[編集] 略歴
- 1933年(昭和8年) - 4代目柳家小さんに入門。前座名は栗之助。
- 1939年(昭和14年 - 二つ目昇進で柳家小きんに改名。
- 1947年(昭和22年) - 真打昇進で9代目柳家小三治を襲名。
- 1950年(昭和25年) - 5代目柳家小さんを襲名。
- 1972年(昭和47年) - 社団法人落語協会会長就任(1996年(平成8年)7月31日まで、同年8月1日からは最高顧問就任)。
- 1995年(平成7年) - 5月31日、落語家初の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
- 2002年(平成14年) - 5月16日、心不全のため死去。享年87。従五位を贈られる。
[編集] テレビドラマ
- 世にも奇妙な物語 『バカばっかりだ』(1991年、フジテレビ系)
[編集] 一門弟子
- 4代目柳家小せん(故人)
- 2代目柳家さん助
- 5代目柳家つばめ(故人)
- 7代目立川談志(後に真打昇進試験制度を巡って対立し一門から破門)
- 10代目柳家小三治
- 5代目鈴々舎馬風
- 9代目入船亭扇橋(3代目桂三木助没後に移籍)
- 6代目柳亭燕路(故人)
- 柳家小のぶ
- 柳家さん吉
- 6代目柳家つば女(故人)
- 2代目柳家小はん(3代目三木助没後に移籍)
- 3代目柳家小満ん(8代目桂文楽没後に移籍)
- 6代目柳家小さん(5代目小さんの長子、師匠没後は兄弟子馬風一門に移籍)
- 柳亭金車
- 2代目柳家菊語楼(故人)
- 柳亭風枝(5代目柳家つばめ没後に移籍)
- 6代目柳家小團治
- 6代目柳亭小燕枝
- 柳家さん喬
- 2代目柳家さん八
- 柳家小袁治
- 柳家さん枝(8代目桂文楽没後に移籍)
- 3代目柳家権太楼(5代目つばめ没後に移籍)
- 柳家小里ん
- 4代目桂三木助(3代目桂三木助の長子、故人)
- 柳家三寿
- 柳家小ゑん
- 夢月亭清麿(5代目柳家つばめ没後に移籍)
- 4代目柳亭市馬
- 柳家花緑(5代目小さんの孫)
- 柳家小三太
- 柳家さん福
また、6代目三遊亭圓生の落語協会脱会問題で、破門になった当時の三遊亭さん生を門下に入れ、『川柳川柳』と名づけた。