蕎麦
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蕎麦(そば)は、穀物のソバの実を原料として加工した、日本の麺類の一種、および、それを用いた料理。歴史は古く、日本料理として、寿司や天麩羅と並ぶ代表食である。
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[編集] 概要
[編集] 製法
手打ちの場合、ソバの実を乾燥させた後、石臼等で挽いて粉にした蕎麦粉をこね鉢と呼ばれる木製の鉢に入れ、水を加えて練り上げる(「打つ」と表現される)。これを打ち粉を広げた木の台に移し、巻き棒と延し棒と呼ばれる麺棒を使って板状に延ばしてから、まな板に移し、小間板(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で幅1-2mm程度の線状に切断して麺の形とする。茹で上げて麺の完成となる。
手打ちそば麺は、原料の蕎麦粉の善し悪しが味を左右し、各工程での出来が見栄えをよくする。自分で出来の良いものを打つことを目標にし、趣味としている人も少なくない。蕎麦の実を挽くと中心から挽かれて出てくることから最初にでてくる一番粉が、後から出てくる粉に比べて白く上品な香りを持ち、「更科粉」と呼ばれる。蕎麦ガラを挽き込むと黒っぽい「田舎蕎麦」になる。また、新蕎麦の特徴を表す種皮の緑色が鮮やかな「藪」系の蕎麦はその香りにより人気が高い。
水分以外は、100%蕎麦粉だけで麺をつくる生粉打ち蕎麦(「十割蕎麦」)は、茹でた際に切れやすく、つなぎとして小麦粉や山芋、布海苔、オヤマボクチなどを混ぜることが多い。
[編集] 食べ方
最も一般的な食べ方は、ゆでてから、冷やして締めたそばをつゆにつけながら食べる盛りそばおよびざるそばと、軽めにゆがいたそばを丼に盛り、温かいつゆを張ったかけそば(すそば)である。
蕎麦は食べるときに音を立てることが許されている、というよりむしろそれが推奨されているという点で、世界的にも稀有な食品である。よく「厨房の蕎麦職人に賛辞の意を伝える為」などと言われるが、実際にはそうして食うのが一番旨いからである。
多くの蕎麦通と呼ばれる人々は、蕎麦の味よりもむしろ香りを重要視する。もちろん良質の材料で真面目に打たれた蕎麦であることが条件であるが、新蕎麦の季節ともなれば尚のことである。そうした蕎麦の香りを存分に味わうには、空気と一緒に啜り込み、鼻孔から抜くようにして食べるのがいちばんであり、ワインテイスティングや利き酒に通じるものがある。結果として音を立てることになるが、「ソバは口ですするんじゃなくて腹で吸え」という有名蕎麦店主もいるくらいで、なんら恥じることはない。いい音を立てているということは自分の蕎麦を美味しく食べてもらっているということだから、そうした意味では前述の「店への賛辞」というのもあながち間違いではない。
しかし、日本人以外の人たちにとって、音をたてることは不快に思えることもあるので、蕎麦店に連れて行くときには注意を要する。また、日本人以外の人にはもり蕎麦の上につゆをジャブジャブかけてしまう、という失敗をする客が少なからずいる。当然、下はざるなり蒸篭なりであるのでテーブル上がつゆびたしになってしまう。作家の中島らもによると、この失敗を見たいがために海外からの客をわざわざ蕎麦屋に連れて行くという悪い人もいるそうである。
蕎麦は日本の麺類の一種と定義したが、日本以外にも蕎麦は世界各国で栽培され、食用とされているが、団子状にしたり、腸詰めとしたり、焼いたりと、別の食べ方もある。現在の日本と同じく、蕎麦を麺類に加工して食べる国には、フランス、イタリア(ピッツォッケリ)、中国(漢族だけでなく、ミャオ族なども)、朝鮮半島(北朝鮮・韓国)、ブータン、ネパールなどがある。ただし、麺にする方法は各国、地方で異なり、ところてん式に押し出して作る場合(代表的なものが朝鮮半島の冷麺)も多い。
[編集] 栄養とアレルギー性
蕎麦の有効成分としてルチンは代表的なものであるが、蕎麦の蛋白質はアミノ酸スコア92%と必須アミノ酸を豊富に含み、穀物として優秀な栄養価をもっている。
蕎麦は材料・加工品ともにアレルギー物質を含む食品として食品衛生法施行規則、別表第5の2による特定原材料として指定されており、同法第11条及び同規則第5条による特定原材料を含む旨の表示が義務付けられている。
[編集] 蕎麦の定義
日本語の「そば(蕎麦)」には、原料植物を意味する以外にも、二つの意味がある。一方は蕎麦粉を用いた麺類の意味で、乾めん類の日本農林規格(JAS)の「干しそば」においては40%以上の蕎麦粉を用いた麺を標準品、50%以上を上級品としている。「生めん」については、不当景品類及び不当表示防止法に基づく「生めん類の表示に関する公正競争規約」が定められており、その中で「そば粉30%以上」の製品について「そば」との表示が認められ、「良質のそば粉50%以上」含まれているものについては「高級、純良、特選、スペシャル等、その他これらに類似するものとして公正取引協議会で指定する文言」の表示が認められている。
食品の原材料表示は原則的に使用量の多いものから順に記すことになっているため、市販の「干しそば」のパッケージをみると、「小麦粉 そば粉」の順になっているものがほとんどである。手打ちそば等の二八蕎麦(にはちそば)は蕎麦粉:小麦粉の割合が80:20を意味し、十割蕎麦(とわりそば、じゅうわりそば)は10:0である。
他方、中華そば・焼きそばなどのように、原義から離れて麺類を「そば」と通称することもあり、このために蕎麦粉を用いていないにもかかわらず「そば」の名が定着している食品もある。
たとえばソーキそばなどで有名な沖縄そば(沖縄で「そば」と言えば通常これを指す)は、蕎麦粉を一切使わず、100%小麦粉で作られている。このため、1976年(沖縄復帰4年後)に公正取引委員会は、蕎麦粉を使わない「沖縄そば」という名称にクレームをつけ「そば」と称すべきではないとしたが、沖縄製麺協同組合が交渉した結果、特例として「沖縄そば」の表記が認められた経緯がある。なお、沖縄で「(日本)蕎麦」を普通に食べるようになったのは沖縄復帰後であるとされている。
また、焼きそばも「そば」という名であるが、蕎麦粉を使わず、小麦粉で作られる。区別が必要な場合、蕎麦入りのものを「黒そば」、小麦粉の中華麺を「黄そば」と呼ぶ場合があるが、「黄そば」は「生蕎麦」と紛らわしい。
[編集] 材料による蕎麦の種類
通常の蕎麦粉に対し、小麦粉の添加量が多くなるに従って、十割蕎麦(生粉打ち蕎麦)、九割蕎麦、八割蕎麦(二八蕎麦)、七割蕎麦、六割蕎麦などと名称がかわる。
小麦粉以外にもつなぎの役割で山芋、こんにゃく、布海苔などを加えて独特の食感やコシを加えたものもある。布海苔を加えた蕎麦はへぎそばと称されることもある。
また、風味付けに加えられる素材によって、胡麻切り蕎麦(黒ゴマを使用)、海苔切り蕎麦(海苔を使用)、茶蕎麦(抹茶を使用)などの種類がある。店によってはモロヘイヤ、山椒、タケノコ、ふきのとう、アシタバ、大葉、柚子、若布、梅などの季節の植物を練り込んで出すところもある。
最近はルチンが豊富に含まれた韃靼そばを用いた麺もメニューの一つとして提供される。
[編集] 歴史
蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。古くは、同じく蕎麦粉を練った食品である蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練りとも言う)と区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれ、現在は、省略して単に蕎麦と呼ぶことが多いが、蕎麦切りと呼ぶ地域も残る。
この蕎麦切りの存在が確認できる最も古い文献は、長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の古文書である。同寺での1574年(天正2年)初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認でき、少なくともこの時点で蕎麦切りが存在していたことが判明している。
他に蕎麦切り発祥地として中山道本山宿(現在の長野県塩尻市宗賀本山地区)という説、甲斐国の天目山栖雲寺(現在の山梨県甲州市大和町)説もあるが、定勝寺文書の傍証を鑑みるに、確実な発祥地とは言い難い。
しかしながら、特に寺院などで「寺方蕎麦」として蕎麦切りが作られ、茶席などで提供されたりした例は、江戸時代初期から文献に見られるようになっている。1643年(寛永20年)に書かれた料理書「料理物語」には、饂飩、切麦などと並んで蕎麦切りの製法が載っている。17世紀中期以降、蕎麦切りは江戸を中心に急速に普及し、日常的な食物として定着した。
[編集] 蕎麦屋
通常、蕎麦を食わせる店は蕎麦の専門店、もしくは蕎麦と饂飩のみを扱う店であることが多く、これを蕎麦屋(そばや)という。蕎麦屋は江戸時代中期ごろから見られる商売で、会席や鰻屋に比べると安価で庶民的とされるが、特に蕎麦を好む江戸にはその数が多く、関東大震災以前は各町内に一軒もしくは二軒の蕎麦屋があるのがふつうだった。
蕎麦屋の起源は不明だが、1686年に江戸幕府より出された禁令の対象に「うどんや蕎麦切りなどの火を持ち歩く商売(大意・現代語訳)」という記載があり、この頃にはすでに持ち歩き屋台形式の蕎麦屋が存在したものと推測することができる。これらの屋台形式の蕎麦屋は、時代や業態によって二八蕎麦・夜鷹蕎麦・風鈴蕎麦などとも呼ばれた。当初は、現在のファーストフードのような小腹を満たす食事であり、その後も軽食といった位置づけが完全に抜けることはないままに推移している。この屋台蕎麦屋の伝統は姿を変えて現在の立ち食い蕎麦にまでつづいているといえるだろう。
店を構えた蕎麦屋が増えるのは1700年代後半のことと考えられている。
蕎麦屋の特色は、特に東京の場合、蕎麦を中心に品数があまり多くなく、酒を飲ませることを念頭においているところにある。現在でも同程度の蕎麦屋と饂飩屋を比べると、出す酒の種類は蕎麦屋のほうが多いのが普通である。主なメニューは、各種の蕎麦や酒のほかに、種物(たねもの)の種だけを酒の肴として供する抜き(ヌキ、天麩羅、かしわ、鴨、卵、蒲鉾など、天ぬきの項も参照。)や焼海苔、厚焼き玉子、また場合によっては親子丼などの丼ものを出す店もある。また店によっては、茹でた蕎麦を油で揚げた揚げ蕎麦がメニューにあることもある。これは箸休め、あるいは乾き物として酒肴にされる。
太平洋戦争以前の蕎麦屋は、町内の人間が湯の帰りなどに気軽にたちより、蕎麦を手繰ってゆくざっかけない商売であり、その一方で現在の喫茶店のように、家に連れてきにくい客と会ったり、待ち合わせをしたりする場合にも用いられた。たいてい一階が入れこみ、二階が小座敷になっていることが多く、二階は込み入った相談、男女の逢引、大勢での集まりなどにも用いられたという。蕎麦を食う以外のさまざまな用途が蕎麦屋にはあったのである。戦後はこうした雰囲気も徐々にうすれてきたが、いまだに味のよい蕎麦と酒を出し、静かな雰囲気でそれを楽しむことのできる店は多く、ほかの料理屋とは違う一種独特な風情を持っているといえるだろう。
蕎麦を食べることをさして「手繰る」(たぐる)ともいう(江戸)。このような言葉を使うこと自体、一つの気取りと言える。
蕎麦屋を考える上で逸することができないのが、出前というシステムである。もとより蕎麦は長時間の持ち運びに適さない食物であるが、むかしは蕎麦屋の数が多く、出前の範囲も比較的狭かったために、蕎麦は店屋物の代表格であった。ちょっとした客をもてなすために、あるいは年越し蕎麦を一家で食べるために、町内の蕎麦屋から出前を取る風習は古く、江戸時代から見られるものである。このためには岡持ち(おかもち)と呼ばれる取っ手のついた箱型の道具が用いられ、たいていは店の使い走りが蕎麦を出前し、後で丼や蒸籠などの器を引き取りにゆくことが多かった(勘定は古くは二度目のときにもらったらしいが、現在では一度目のときに精算することが多い)。戦後は自転車やオートバイを利用することも多く、高く積み重ねた蒸籠を曲芸さながら肩に担いで片手でハンドルを握る姿は、いっとき蕎麦屋の象徴でもあったが、近年は岡持ちを荷台の吊り具に掛ける方法が普通になり、蒸籠担ぎの曲芸はあまり見られなくなった。
[編集] 蕎麦の市販形態
- 生麺
- そばを切った後に、打ち粉をまぶした状態で、ポリ袋やプラスチック容器に入れて売られる。
- 乾麺
- そばを風で乾かして、一定の長さの棒状に切り揃え、包装して売られる。
- ゆで麺
- フライ麺
- カップ入りのインスタント蕎麦は、油で揚げて、熱湯で戻るように加工されている。また、麺の表面に味をつけているものもある。
- ノンフライ麺
- カップ入りのインスタント蕎麦には、加熱後、油で揚げず、熱風乾燥させたものも少量ある。
- 冷凍麺
- 長期保存が利くように冷凍されている麺。茹でる時間も短時間ですむ。主に業務用での流通が多いが、最近では1人前などの分量でスーパーマーケットやコンビニエンスストアで売られていることもある。つゆ・だしとセットにしたものもある。
[編集] 蕎麦料理の種類
温かいものと冷たいもの、それから種物の種類により様々に分かれる。
[編集] 冷たい蕎麦
- 浸け麺 - 茹でたそばを水で締め、蒸篭(蕎麦を盛るものは木製か竹製の四角形の器で、底にすのこを敷く)や笊に盛り付けたもの。別の器に注いだそばつゆにつけながら食べる。かけ蕎麦(素蕎麦)よりこちらのほうが古くからの食べ方である。薬味として、摺り下ろしたわさび(つゆに溶く場合とわさびの味を損なわないためつゆに溶かずそばに乗せて用いる場合がある。)や大根(ときには、辛味大根、ねずみ大根とよばれる刺激の強いもの)がよく用いられる。関西では鶉の生卵をつゆに溶いて食べる。また、蕎麦を茹でるのに用いその成分の溶け出した湯を、蕎麦湯(そばゆ)というが、付け麺の蕎麦に添えて湯桶で蕎麦湯を飲用に出す店が多い。冷やしの蕎麦つゆはそのまま飲むには濃いので、この蕎麦湯をいれて蕎麦つゆの出汁を最後に味わうためである。(蕎麦湯のみを飲む人もいるが、通常暖かい蕎麦に添えて出さないところをみると、蕎麦そのものを食べ終わったあと冷やしのつゆを味わうために出していると思われる。)
- 盛り蕎麦
- ざる蕎麦
- 天付け蕎麦
- 鴨せいろ
- 付けとろ蕎麦
- 冷やしたぬき
- 冷やしきつね
- 冷やしとろろ
- おろし蕎麦
- みぞれ納豆
- 冷やしなめこ
- 冷やしかつ蕎麦
盛り蕎麦とざる蕎麦の違いは、その蕎麦つゆにある。江戸時代、当時はまだ貴重品であった砂糖を用いた蕎麦つゆにつけて食べたのがざる蕎麦の始まりであり、味醂等で味付けした蕎麦つゆで食べる盛り蕎麦との区別を明確にするために蕎麦を盛る器に違いをつけたり、高級品であった海苔を散らしたものと思われる。なお、冷たい蕎麦に刻んだ海苔を散らすようになったのは明治以降である。砂糖が誰にでも手に入るようになった現在はそういう区別をする蕎麦屋は少ないかも知れない。また、盛り蕎麦の「盛り」の語は元来ざる蕎麦の「ざる」の対義語ではなく、付け麺の蕎麦のほか現在の掛け蕎麦である「ぶっかけ」を食べるようになった当時は、「ぶっかけ」の対義語であった。
[編集] 温かい蕎麦
- かけ蕎麦 (素蕎麦)
- つけ蕎麦
- ざるに盛った蕎麦をあたたかい出汁につけて食べるもの。このあったかい出汁は通常「ぬき」とよばれる(蕎麦ぬきの意)タネを出汁で煮たものを出す場合が多い。(鴨つけ、肉つけなど)
- きつね蕎麦
- たぬき蕎麦
- 関東などでは、天かす(揚げ玉)をのせたものを指す(天ぷらのかわりにのせる=「タネ」がない、つまり「タネ抜き」がなまって「たぬき」、あるいは天ぷらの代わりとして「騙す」意味からきた呼び名とされる)が、このようなものは関西ではハイカラ蕎麦と呼ばれる。京都ではくずあんを掛けて細切りの油揚げを載せたものを指し、大阪では前述のきつね蕎麦を指す。(きつね・たぬきを参照)
- 天ぷら蕎麦
- 種物としてはもっとも由緒が古く、江戸中期に貝柱のかき揚げなどを載せたのがはじまりという。市中の蕎麦屋では通常は海老の天ぷらを載せたものが多く、天丼のような形で天ぷらを載せるものなどもあるが、立ち食いでは安価に供するため、かき揚げを用いるのが一般的である。別名で天南蕎麦(天ぷら南蛮)と言う店もあり、天ぷらのエビの数で天ぷら蕎麦2本、天南蕎麦1本とメニューでわけている場合もある。
- 月見蕎麦
- 生卵を具とするもの。黄身を月に見立てる。
- とろろ蕎麦(山かけ蕎麦)
- 山芋のすりおろしと卵白身をあてたものをかけた蕎麦。うずらの生卵か黄身ものせて供される場合が多い。
- 鴨南蛮(かもなんばん・かもなんば)
- 鳥南蛮
- 鶏肉と葱を具とするもの
- 肉南蛮
- 牛肉あるいは豚肉と葱を具とするもの。
- カレー南蛮
- なめこ蕎麦
- ナメコをおもな具とするもの。他のキノコ類を一緒に入れる事が多い。
- 山菜蕎麦
- 山菜をおもな具とするもの。
- 五目蕎麦
- おかめ蕎麦
- しっぽく蕎麦
- 現在では京都・香川県などで、「しっぽくうどん」の麺を蕎麦に代えたものを指す。元々は寛延年間の江戸で、しっぽくうどんの影響を受けて成立した種もの蕎麦で、おかめ蕎麦の原型とも言われる。古典落語『時そば』の中にも「しっぽく」が出てくるが、現在の関東地方の蕎麦屋には無いことが多い。
- 花巻蕎麦
[編集] その他の食べ方
- 蕎麦掻き
- 打った蕎麦を切らずに塊のまま湯がいたもの。
- 蕎麦寿司
- 酢飯の代わりに蕎麦を用いた巻寿司。
- 巣篭り蕎麦
- 油で揚げたそばに和風のあんをかけたもの。
[編集] 各地の名物そば
ソバは痩せた土壌でも栽培できたことから、山間地や北海道の新規開拓地で盛んに生産された。
- 津軽そば(津軽地方)
- わんこそば(盛岡市)
- はらこそば(盛岡市)
- なめこそば(山形県内陸部)
- 板そば(山形県内陸部)
- 紅花そば(村山地方)
- 冷たい肉そば(山形県河北町谷地)
- 山形そば(山形市)
- 樵そば
- 天童そば(天童市)
- 裁ちそば(会津地方)
- 磐梯そば(猪苗代町)
- 山都そば(旧山都町)
- 干しそば(白河市)
- けんちんそば(茨城県)
- 秩父そば(埼玉県秩父地方)
- 甚兵衛そば(千葉県印旛沼周辺)
- あられそば(東京都) 小柱(青柳の貝柱)を具にした温かい蕎麦。小柱をかき揚げにして具にする店舗もある。
- 深大寺そば(東京都)
- 更科 (蕎麦屋)(東京都)
- 藪 (蕎麦屋)(東京都)
- 砂場 (蕎麦屋)(東京都)
- とろろ蕎麦(高尾山)
- 茶そば(静岡県中部・西部地区)
- 御獄そば(山梨県)
- 開田そば(開田村)
- 十日町そば(十日町市)
- へぎそば(十日町市)
- 素魚(しらうお)そば(佐渡島)
- 行者そば(旧戸隠村)
- 戸隠そば(旧戸隠村)
- 霧下そば(北信地方)
- 凍りそば(北信地方)
- 信州そば(長野県)
- 善光寺そば(長野市)
- 富倉そば(北信地方)
- 本山そば(塩尻市)
- おろしそば(福井県) 地域によって今庄そば、南条そば、越前大野そばなどがある。
- 祖谷そば・そば米(そば米雑炊)(旧西祖谷山村など)
- 薩摩そば(鹿児島市)
[編集] そばを食べるための器具
[編集] 東京の「そば」志向
立ち食い店を中心に日本全国には蕎麦とうどんを両方提供する店は多いが、東京では一般にこの様な店を「蕎麦屋」と呼ぶ。
古く江戸では、うどんも盛んに食べられていた。しかし江戸時代中期以降、江戸での蕎麦切り流行に伴って、うどんを軽んずる傾向が生じたという。江戸でうどんよりも蕎麦が主流となった背景には、ビタミンB1を多く含む蕎麦を食べることで、当時江戸では、「江戸わずらい」と呼ばれ白米を多食する人に見られた脚気が防止できたことにもよる。
蕎麦とうどんの抗争を酒呑童子退治になぞらえた安永期の珍品黄表紙『化物大江山』(恋川春町作)は、当時の江戸人の蕎麦・うどんへの価値観の一面を描いていて、意外な資料価値がある。源頼光役は蕎麦、悪役の酒呑童子はうどんである。なぜか、「ひもかわうどん」だけは蕎麦側についており、蕎麦一色だった江戸でも例外的に人気があったようだ。
以後、江戸→東京では、蕎麦を手繰ることに一種のステータスさえ生じるようになり、「夕方早くに蕎麦屋で独り、種物の蕎麦を肴に酒を飲む」ことが、スノッブ(俗物)な趣味として横行するまでに至る。
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)でも、粋人を気取るハイカラ遊民・迷亭が「うどんは馬子の喰うもんだ」とうそぶき、上がり込んだ苦沙弥先生宅で勝手に蕎麦の出前を取って一人で喰う描写がある。蕎麦食いの講釈をとうとうと垂れ、薬味のわさびの辛さに涙しつつやせ我慢で耐えて蕎麦を呑み込む迷亭のスノッブぶりに比べ、胃弱症の苦沙弥先生が「うどん好き」であることで、うどんのイメージは相対的に冴えないものとなる。
- 「この長い奴へツユを三分一(さんぶいち)つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込むところがねうちだよ」(吾輩は猫である 六より迷亭のセリフ)
同じく漱石作品の『坊っちゃん』(1906年)においても、江戸っ子の主人公である“坊っちゃん”が松山くんだりで天ぷら蕎麦を注文するシーンが見られる。
漱石が江戸文化の影響を色濃く受けていた事を想起すれば、『猫』での描写は、江戸・東京におけるある種のステレオタイプにのっとったものだったろう。その観念は容易に抜き難く、現在でも東京では、うどんより蕎麦の方が優勢なままである。蕎麦を食べる前提で作られた濃厚な出汁をうどんに用いるのも、これに起因すると見られる。
江戸っ子の蕎麦における「美学」とされるものを示すと以下のようになる(多分に誇張がある)。
- うどんは食わない。江戸ではうどんといえば鍋焼きうどんが一般的で、これは風邪引きのときに食べるものとされた。
- 種物は邪道。「かけ」か「もり」。天麩羅などは無粋のきわみ。
- もりを食うときは蕎麦の先だけをつゆに浸す。蕎麦の風味を台無しにしないためと、江戸前のつゆは辛いせいであると言われる。
- 口に入れたらあまり噛まずに飲みこむ。噛みすぎると風味がうすれるからだという。
- 腹いっぱいになるまで蕎麦を食うのは野暮。あくまで虫やしないである。
- 大きな丼にたっぷりと蕎麦が入っているのは野暮。少なければ二杯食べるのが粋である。
- 箸は割箸。塗箸は好まれなかった。
- 酒を飲むのでなければ、さっさと食ってひきあげるのが粋とされた。したがって注文してから出てくるまで時間がかかる店は論外。
- 蕎麦は「手繰る」と言うのが一般的であった。(前出)
- 江戸・東京市中では、そばが圧倒的に優勢だったとはいえ、関東地方の農業地帯では小麦栽培が広く行われ、江戸・東京以外の地域ではうどんも好まれた。武蔵野台地(武蔵野うどん)をはじめとして、うどん優勢だった地域も多い。現在でも多摩地区・埼玉県西部および北部・群馬県などではうどん・そば共によく食べられている。
[編集] 関西の「そば」志向
関西における蕎麦処の筆頭は兵庫県豊岡市出石(旧出石町)で、皿そば「出石そば」は広く知られている。これは江戸時代に蕎麦の本場信州上田藩の藩主仙石政明が出石藩に国替えとなった際、大勢の蕎麦職人を連れてきて以来の伝統とされる。このためか兵庫県では出石や丹波篠山など地元の蕎麦のほか全国各地の蕎麦を出す店が多く存在する。
京都は古くからの蕎麦屋が多い。これは背後に控える丹波地方でそば作りが盛んであったためである。また有名なニシンそばは幕末に生み出されたものであり、古くから京都にあったお番菜「ニシン昆布」にヒントを得ている。全体的に見れば、大阪と同じくうどんの方が好まれる傾向にあるが、大阪のようにそば屋がうどんを提供するケースは極めて稀である。
大阪では現在「砂場」という蕎麦屋はないが、発祥は文献によれば大阪城築城にさかのぼるとされる。しかし今日、 大阪では「そば」より「うどん」の方が一般的に好まれるとされ、立場が東京とは全く逆である。うどん屋が利用者のニーズに応えて「そば」も出しているという概念が強く、蕎麦屋であってもうどんを提供する店も存在する。また出汁は、元来うどんに用いる前提で作られた淡白な薄味のものを用いることが多い。しかし、それによって生まれた文化もあり、たぬきそば(きつねそば)やとろろ昆布そばは大阪が発祥である。また、そばは産地の関係か一般に黒そば、田舎そばなどとと呼ばれる殻ごと碾いたものが好まれる傾向にある。
[編集] 日本の農山村における蕎麦
蕎麦屋の文化が江戸をはじめとする都市の文化であるのに対し、農山村にも蕎麦の文化が存在する。
日本の農山村において、伝統的に蕎麦切りはもてなしの料理であった。焼畑でソバを栽培していたような山村にあっても、蕎麦切りは祭礼や正月、来客時のごちそうであると認識されていた。来客があると、家の主人もしくは主婦が蕎麦を打ち、食事として供した。つまり、どこの家でも素人ながらに蕎麦打ちの技術を持っていたのである。
食べ方としては、にんじんや椎茸などを細切りにして煮込んだ澄まし汁やみそ汁をつけ汁にして、もりで食べる。また、蕎麦粉の節約のため、細切りの大根(薬味とは異なる)や、春にはセリなどをゆでて、麺と混ぜて盛りつけて食べることもあった。
一方、蕎麦掻きは、作るのが簡単であることもあり、普段、農作業の合間に口にするような食べ物であった。他にも、その他の雑穀類と同様、団子にしたり、野菜を煮立てた中に蕎麦粉を入れてかき混ぜるような食べ方もあった。
食糧の自給をほとんどしなくなったことや、都会風の蕎麦の食べ方の普及により、地域ごとに特色のあった蕎麦の食べ方は廃れつつある。
[編集] 蕎麦が登場する作品
[編集] 歌舞伎
- 雪夕暮入谷畦道(天衣粉上野初花)
[編集] 落語
- 時そば
- そば清/そばの羽織(羽織の蕎麦)
- 蕎麦の殿様
- 疝気の虫
[編集] 小説
[編集] 蕎麦に関する諺、慣用句
- 蕎麦で首くくる
- できるはずがないこと。「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ」と同義。
- 蕎麦の自慢はお里が知れる
- 蕎麦の材料になるソバは痩せ地でも育つので多く栽培されていた。つまり蕎麦が名物の所は痩せ地であると曝け出しているのと同じと言う意味である。
[編集] 蕎麦好きとして知られる人物
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 蕎麦粉・蕎麦の実・手打ち蕎麦 全国蕎麦製粉協同組合のホームページ
- そばの散歩道 日本麺類業団体連合会のホームページ
- 乾めん 全国乾麺協同組合連合会のホームページ
- 全国製麺協同組合連合会 全国製麺協同組合連合会のホームページ
- 木鉢会 老舗の交流会・暖簾を横断した総合ページ