橿原神宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橿原神宮 | |
---|---|
![]() |
|
所在地 | 奈良県橿原市久米町934番地 |
位置 | 北緯34度29分18秒 東経135度47分10秒 |
主祭神 | 神武天皇 |
社格等 | 官幣大社・勅祭社・別表神社 |
創建 | 明治23年(1890年) |
例祭 | 2月11日(紀元祭) |
橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山の麓、久米町に所在する神社である。
目次 |
[編集] 概要
記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に明治23年(1890年)に官幣大社として創建された。
昭和15年(1940年)昭和天皇が同神社に行幸し、秋には全国各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。
初詣の時期や2月11日の建国記念の日に行われる紀元祭には、特に多くの参拝客が訪れる。また、建国記念の日には右翼の街宣車が集結することでも有名である。
橿原神宮を含む一帯は南北に長い橿原公苑として整備されており、北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側には陸上競技場と野球場があり、スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。なお、公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所及び付属博物館がある。また、公苑の付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。
[編集] 歴史
[編集] 橿原神宮と部落問題
橿原神宮および神武天皇陵のある畝傍山周辺は、幕末まではただの田んぼ地帯であった。そこに1863年より盛り土がなされ、神武天皇陵が築かれた。それ以降、政府の日本の神話への回帰が強まるにつれ、急速にこの地域の開発が進んだ。その際、元々周辺に存在していた村や部落(洞部落)が「負傷醜ろうナル家屋ノ見下スコト」(奈良県行政文書『神苑会関係書類』)の不都合により、奈良県によって移転させられた。(この経緯については『近代天皇制と古都』高木博志に詳しい)
[編集] 年中行事
- 1月1日 歳旦祭
- 1月3日 元始祭
- 2月11日 紀元祭:神武天皇の橿原宮での即位を偲ぶ祭り
- 2月17日 祈年祭
- 4月29日 奉賛祭
- 8月8日 献燈祭
- 11月23日 新嘗祭
- 12月23日 天長祭
- 12月31日 大祓式
[編集] 外部リンク
- 橿原神宮(公式サイト)
[編集] 関連項目
神 道 | |
---|---|
ポータル神道 (ウィキプロジェクト神道) | |
基 礎 | 神道、日本神話、神、日本の神の一覧 |
文 献 | 日本神話、古事記、日本書紀、風土記 |
神 社 | 神社、神社一覧、式内社、一宮、近代社格制度、別表神社 |
祭祀と祭礼 | 祭、祝詞 |
関 連 用 語 | 神道用語一覧 神仏習合、修験道、陰陽五行説、民俗学、国学 |
カテゴリ: 奈良県の神社 | 官幣大社 | 勅祭社 | 別表神社 | 橿原市 | 奈良県の建築物・観光名所 | 奈良県の画像 | 神道関連のスタブ項目