近鉄橿原線
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橿原線(かしはらせん)は、奈良県奈良市の大和西大寺駅から奈良県橿原市の橿原神宮前駅までを結ぶ近畿日本鉄道の鉄道路線。
奈良盆地の中央を貫き京都・奈良から橿原・吉野方面を結んでいる。 朝のラッシュ時の急行はかなり混んでおり、特に近鉄郡山駅以北から、京都・奈良方面や大和西大寺廻りで大阪方面へ向う通勤客らで混み合う。
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[編集] 路線データ
全線、大阪輸送統括部(旧上本町営業局)の管轄である。
[編集] 運行形態
京都~橿原神宮前間及び京都~賢島間で運転される特急の詳細は近鉄特急の項を参照のこと。
- ■急行
- 橿原線では唯一の料金不要優等種別。殆どが京都線に直通し、終日、京都~橿原神宮前間のほか、天理線に直通して京都~天理間に運転されている。昼間時は橿原神宮前発着が毎時2本(約30分毎)、天理線直通が毎時1本、合計毎時3本運転される。一部の大和西大寺始発・終着便には、奈良線難波発着の準急・普通との直通列車として運行されるものや、京都線普通との直通列車として運行されるものもある。
- 2003年のダイヤ変更までは、橿原神宮前発着急行は1時間に3本(約20分間隔、京都発着が1本、西大寺発着が2本)あったが、このダイヤ変更で現在の2本に削減された(2本とも京都発着)。これにより、奈良線・京都線に直通する大和西大寺始発・終着列車が大幅に減少した。2007年3月のダイヤ変更からは、土曜・休日の昼間時のみ急行が西ノ京駅に停車する。また、平日に臨時停車することもある。
- ■普通(各駅停車)
- 終日、大和西大寺~橿原神宮前間のほか、天理線に直通して大和西大寺~天理間に運転されている。昼間時は橿原神宮前発着が毎時4本(約15分毎)、天理線直通が毎時1本、合計毎時5本設定される。時間帯によっては大和西大寺駅から同駅始発の京都行に系統変更するものもある。
線内の昼間時の1時間毎の運転本数をまとめると以下のようになる。
- 大和西大寺~平端 : 特急2本、急行3本、普通5本
- 平端~大和八木 : 特急2本、急行2本、普通4本
- 大和八木~橿原神宮前 : 特急1本、急行2本、普通4本
[編集] 車両
京都地下鉄烏丸線対応の3200系、3220系などの6両単独編成は急行のみに使用。急行列車は6両編成(朝晩の一部列車は4両)。普通列車は終日4両編成だが、早朝深夜の天理線直通1往復は2両編成であり、これは奈良線系統では唯一の存在である。
終点の橿原神宮前駅構内には、標準軌の橿原線と狭軌の南大阪線・吉野線との台車交換施設があり、南大阪線系の車両が大阪線五位堂工場での全検入出場の際には、ここで台車を交換し、電動貨車モト90形(97・98)で牽引して搬送している。ちなみに、モト90は大阪線の所属である。
[編集] 歴史
大阪電気軌道(大軌)が最初に建設した現在の奈良線に次ぐ路線として、畝傍線の名で西大寺~橿原神宮前間が1923年までに全通した。同線への免許が交付されるに当たり、天理軽便鉄道(今の近鉄天理線)と大和鉄道(今の近鉄田原本線)を買収することが条件付けられたが、前者は1921年に合併したものの、後者については諸事情があって遅れ、傘下に置いたのは1924年ごろ、自社線にしたのは大和鉄道が信貴生駒電鉄に合併されて、大阪電気軌道が近畿日本鉄道となった後の1964年であった。
当初は大阪から橿原方面へ向かうルートとしての役割も担っていたが、短絡ルートとなる八木線(後に桜井線を経て現在の大阪線となる)が1925年に開業したことで、上本町~八木間におけるその地位は譲った。しかし、1928年には奈良電気鉄道(1963年に買収されて近鉄京都線となる)が開業し、今度は京都から橿原・吉野・伊勢方面への連絡ルートとしての使命も果たすようになった。なお奈良電気鉄道は、開業当初から奈良線・畝傍線と直通運転を行っていた。
その後橿原神宮の神域拡張のため、1939年に八木西口~橿原神宮駅(現在の橿原神宮前)間を東側の現在の位置に移設している。この時、線名も現在の橿原線となった。
なお1966年に京都から伊勢へ向かう「京伊特急」が新設された際、当初は連絡線の配置の都合から大和八木駅を2回通り、八木西口駅と大和八木駅の構内で2度スイッチバックする形態の運行をしていたが、1967年には新ノ口駅から直接大阪線の大和八木駅へ入れる新しい短絡線を完成させ、入れ換えの煩雑さを解消した。
- 1921年(大正10年)4月1日 大阪電気軌道が畝傍線として西大寺(現在の大和西大寺)~郡山(現在の近鉄郡山)間を開業。
- 1922年(大正11年)4月1日 郡山~平端間が開業。
- 1923年(大正12年)3月21日 平端~橿原神宮前間が開業。
- 1924年(大正13年)11月 畝火山駅を畝傍山駅に改称。
- 1929年(昭和4年)1月5日 大阪電気軌道桜井線(現・大阪線)開通に伴い、立体交差部分に八木駅を移転して大軌八木駅とし、旧・八木駅は八木西口駅となる(扱い上は大軌八木駅の構内で別ホーム)。
- 1930年(昭和5年)7月10日 吉野線の橿原神宮前~久米寺(現在の橿原神宮前)間を三線軌条化し、畝傍線の電車が乗り入れ開始。
- 1937年(昭和12年)3月 畝傍山駅を神武御陵前駅に改称。
- 1939年(昭和14年)7月28日 八木西口~畝傍山~橿原神宮前間を廃止。八木西口~橿原神宮駅(現在の橿原神宮前)の新線が開業。畝傍線を橿原線に、神武御陵前駅を移転し畝傍御陵前駅に改称。
- 1941年(昭和16年)3月15日 大軌郡山駅を関急郡山駅に、大軌田原本駅を関急田原本駅に、大軌八木駅を大和八木駅に改称。
- 1942年(昭和17年)10月1日 大和西大寺~八木西口間を、軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更(八木西口駅以南は、1939年の新線切り替え以来鉄道)。
- 1944年(昭和19年)6月1日 関急郡山駅を近畿日本郡山駅に、関急田原本駅を近畿日本田原本駅に改称。
- 1964年(昭和39年)10月1日 近畿日本田原本駅を田原本駅に改称。
- 1967年(昭和42年)12月 新ノ口~大和八木間に大阪線中川方面との連絡線完成。
- 1968年(昭和43年)10月10日 ATS使用開始。
- 1969年(昭和44年)9月21日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1970年(昭和45年)3月1日 近畿日本郡山駅を近鉄郡山駅に、橿原神宮駅駅を橿原神宮前駅に改称。
- 1973年(昭和48年)9月20日 建築限界拡大工事竣工。
- 1977年(昭和52年)6月8日 筒井駅付近(約1km)立体交差化。
- 1979年(昭和54年)7月1日 ファミリー公園前駅開業(当初は季節限定の臨時駅として開業)。
- 1992年(平成4年)12月20日 大和西大寺~平端間に列車運行管理システム(KOSMOS)稼働開始。
- 1998年(平成10年)4月1日 平端~橿原神宮前間に列車運行管理システム(KOSMOS)稼働開始。
- 2000年(平成12年)3月21日 ご乗降確認システム(フェアシステムK)稼働開始。
[編集] 駅一覧
- ●:停車、|:通過、▲:土曜・休日の昼間時のみ停車
- 普通列車は省略:各駅に停車
- 特急列車は特急列車記事を参照のこと。
駅名 | 営業キロ | 急行 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
最長運転区間 | 京都 | ||||
大和西大寺駅 | 0.0 | ● | 近畿日本鉄道:京都線・奈良線 | 奈良県 | 奈良市 |
尼ヶ辻駅 | 1.6 | | | |||
西ノ京駅 | 2.8 | ▲ | |||
九条駅 | 4.0 | | | 大和郡山市 | ||
近鉄郡山駅 | 5.5 | ● | |||
筒井駅 | 8.4 | | | |||
平端駅 | 9.9 | ● | 近畿日本鉄道:天理線 | ||
ファミリー公園前駅 | 10.9 | | | |||
結崎駅 | 12.4 | | | 磯城郡川西町 | ||
石見駅 | 13.8 | | | 磯城郡三宅町 | ||
田原本駅 | 15.9 | ● | 近畿日本鉄道:田原本線(西田原本駅) | 磯城郡田原本町 | |
笠縫駅 | 17.3 | | | |||
新ノ口駅 | 19.1 | | | 橿原市 | ||
大和八木駅 | 20.5 | ● | 近畿日本鉄道:大阪線 | ||
八木西口駅 | 20.5 | ● | 西日本旅客鉄道:桜井線(畝傍駅) | ||
畝傍御陵前駅 | 22.8 | ● | |||
橿原神宮前駅 | 23.8 | ● | 近畿日本鉄道:南大阪線・吉野線 |
[編集] 関連項目
大阪・名古屋線系:大阪線 - 信貴線 - 名古屋線 - 湯の山線 - 鈴鹿線 - 山田線 - 鳥羽線 - 志摩線
奈良・京都線系:奈良線 - 難波線 - 生駒線 - 京都線 - 田原本線 - 天理線 - 橿原線 - けいはんな線
狭軌(1,067mm)
南大阪線 - 道明寺線 - 長野線 - 御所線 - 吉野線 - 伊賀線 - 養老線
特殊狭軌(762mm)
内部線 - 八王子線
ケーブルカー
生駒鋼索線 - 西信貴鋼索線
ロープウェイ
葛城索道線
廃止・譲渡路線
長谷線 - 山上線 - 法隆寺線 - 大浜支線 - 小房線 - 伊勢線 - 伊賀線 - 志摩線 - 八王子線 - 東信貴鋼索線 - 北勢線