気仙郡
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気仙郡(けせんぐん)は、岩手県の南東部に位置する郡。人口6,936人、面積334.83 km²(2003年)。
以下の1町のみで構成される。
[編集] 歴史
- 古代に陸奥国気仙郡が置かれた。これは現在の宮城県北東部および岩手県南東部にまたがるものであり、現在の本吉郡を含むものであった。
- 11世紀には気仙郡司として、渡来系で新羅王族出身とも阿倍氏の子孫とも伝えられる金氏の名が見える。金氏は郡司を世襲したようである。安倍貞任の舅と十訓抄に見える金為行と、気仙郡司と陸奥話記に見える金為時を兄弟とする系図がある。
- 文治5年(1189年)の奥州藤原氏の滅亡後、気仙郡は胆沢・磐井・牡鹿・江刺などの諸郡(諸説あり)とともに奥州総奉行に任じられた葛西清重の所領になったといわれるが、鎌倉時代岩手県宮古市に本拠を置いた閉伊氏の資料には、源為朝の遺児とされる閉伊為頼(為家・頼基・行光とも)が源頼朝より閉伊、気仙を給わり閉伊氏を称し、代々これを領したともあり、葛西氏が気仙郡をその治下に置いたのは南北朝の争乱期になってからともいわれる。
- 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置により、気仙郡を統治していた葛西氏が滅亡すると、気仙郡は木村吉清・清久父子の治下に置かれる。
- 天正19年(1591年)に葛西大崎一揆で失脚した木村吉清に代わり伊達政宗の所領となる。
- 同年8月、桃生郡深谷庄須江村(現宮城県石巻市河南町)糠塚舘において、伊達軍に降伏し中央の処断を待っていた気仙郡を中心とする舘主とその子ら二十数名が、政宗の密命を受けた泉田重光の軍の襲撃を受け殺害されるという事件が起こる。仙台藩関係の資料によれば、仕置軍総大将を務めた豊臣秀次の命令によるものであったとされるが異論もあり、事件の真相、殺害された人数、人名等については諸説ある。『伊達秘鑑』によればこの時殺害された旧舘主達を「一揆張本ノ主将共」と記し、首は二本松の秀次の陣所に送られた後、京の秀吉の許で実検の上、三条大橋において梟首されたという。
- 関が原の戦いの後、気仙郡は伊達氏の領地となった。
- 仙台藩の直轄地であった気仙郡の領域については時代により若干の変化があるようであるが、江戸時代を通じて今泉・長部・高田・矢作・竹駒・横田・広田・小友・浜田・勝木田(以上現陸前高田市)・世田米・下有住・上有住(以上現住田町)・末崎・日頃市・猪川・立根・田茂山・大船渡・赤崎(以上現大船渡市)・綾里・越喜来・吉浜(以上現大船渡市三陸町)・唐丹(以上現釜石市)の計二十四ヶ村が気仙郡に属していたことが知られる。
- 明治元年(1868年)12月7日に、陸奥国を分割して気仙郡・本吉郡(もとよし)・桃生郡(ものう)・牡鹿郡(おしか)・登米郡(とめ)・遠田郡(とおだ)・栗原郡(くりはら)・玉造郡(たまつくり)・志田郡(しだ)・加美郡(かみ)・黒川郡(くろかわ)・宮城郡(みやぎ)・名取郡(なとり)・柴田郡(しばた)で構成される陸前国が設けられ、新たに気仙郡が生まれた。これは古代の気仙郡より縮小されたものであった。12月23日、気仙郡が政府の直隷となり、松本藩取扱(花巻県所管)となる。
- 明治2年(1869年)8月18日、気仙郡は江刺県の所管となる。
- 明治4年(1871年)11月2日、一関県の所管となり、12月13日には水沢県の所管となる。
- 明治8年(1875年)10月、村の配置分合が行われ、猪川村と田茂山村が合併して盛村に、今泉村と長部村が合併して気仙村に、高田村と竹駒村が合併して氷上村に、浜田村と勝木田村が合併して米崎村となる。11月22日、磐井県の所管となる。
- 明治9年(1876年)4月18日、磐井県が廃止となり、気仙郡は宮城県に編入され、北第三大区となる。5月25日、気仙郡は宮城県から岩手県に編入され、乙第三大区となる。
- 明治11年(1878年)7月22日:郡区町村編制法(明治11年太政官布告第17号)により気仙郡役所が現在の大船渡市(当時の盛村)におかれる。
- 明治22年(1889年)4月1日:町村制施行(2町20村) 盛村に町制が施行され猪川村が分離、盛町(さかりちょう)が誕生する。同じく氷上村に町制が施行され竹駒村が分離、高田町が誕生する。
- 盛町、大船渡村、猪川村、立根村、日頃市村、赤崎村、末崎村 (大船渡市)
- 綾里村、吉浜村、越喜来村 (三陸町 → 大船渡市)
- 高田町、気仙村、広田村、小友村、米崎村、矢作村、竹駒村、横田村 (陸前高田市)
- 世田米村、上有住村、下有住村 (住田町)
- 唐丹村 (釜石市)
- 大正15年11月1日 気仙村が町制施行して気仙町となった。(3町19村)
- 昭和7年4月1日 大船渡村が町制施行して大船渡町となった。(4町18村)
- 昭和15年4月29日 世田米村が町制施行して世田米町となった。(5町17村)
- 昭和27年(1952年)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年9月30日 綾里村、吉浜村、越喜来村が合併して三陸村となった。(1町1村)
- 昭和42年(1967年)4月1日:三陸村に町制が施行され三陸町(さんりくちょう)が誕生する。(2町)
- 平成13年(2001年)11月15日:三陸町が大船渡市に編入される。(1町)
[編集] 関連項目
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和39年 | 昭和40年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
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唐丹村 | 唐丹村 | 唐丹村 | 昭和30年4月1日 釜石市の一部 |
釜石市 | |||
盛町 | 盛町 | 昭和27年4月1日 大船渡市 |
大船渡市 | 大船渡市 | 大船渡市 | 大船渡市 | |
大船渡村 | 昭和7年4月1日 町制 |
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赤崎村 | 赤崎村 | ||||||
猪川村 | 猪川村 | ||||||
立根村 | 立根村 | ||||||
日頃市村 | 日頃市村 | ||||||
末崎村 | 末崎村 | ||||||
綾里村 | 綾里村 | 綾里村 | 昭和31年9月30日 三陸村 |
昭和42年4月1日 町制 |
平成13年11月15日 大船渡市に編入 |
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吉浜村 | 吉浜村 | 吉浜村 | |||||
越喜来村 | 越喜来村 | 越喜来村 | |||||
世田米村 | 昭和15年4月29日 町制 |
世田米町 | 昭和30年4月1日 住田町 |
住田町 | 住田町 | 住田町 | |
上有住村 | 上有住村 | 上有住村 | |||||
下有住村 | 下有住村 | 下有住村 | |||||
高田町 | 高田町 | 高田町 | 昭和30年1月1日 陸前高田市 |
陸前高田市 | 陸前高田市 | 陸前高田市 | |
気仙村 | 大正15年11月1日 町制 |
気仙町 | |||||
広田村 | 広田村 | 昭和27年6月1日 町制 |
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小友村 | 小友村 | 小友村 | |||||
米崎村 | 米崎村 | 米崎村 | |||||
矢作村 | 矢作村 | 矢作村 | |||||
竹駒村 | 竹駒村 | 竹駒村 | |||||
横田村 | 横田村 | 横田村 |