氷川丸
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船歴 | |
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進水 | 1929年 9月30日 |
竣工 | 1930年 4月25日 |
就役 | 1930年 5月13日 |
除籍 | 1960年 12月21日 |
その後 | 山下公園に係留 |
性能諸元 | |
総トン数 | 11,622トン |
垂線間長 | 155.9m |
型幅 | 20.12m |
機関 | B&W社(デンマーク)製ディーゼルエンジン2機2軸 |
出力 | 11,000hp |
最大速 | 18.21ノット |
乗客 |
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姉妹船 | 日枝丸、平安丸 |
氷川丸(ひかわまる)は、横浜市山下公園前の横浜港に係留されている日本の貨客船。
目次 |
[編集] 概要
日本郵船の所有。北太平洋で展開されたアメリカやカナダとの貨客船就航(路線)競争の一環として、政府の援助も受けて6隻の船が建造された。それが17,000総トン・速力20ノットでサンフランシスコ航路に就航した浅間丸・龍田丸・秩父丸(後に改名し鎌倉丸)と、シアトル・バンクーバー航路(シアトルからはグレート・ノーザン鉄道が接続した)に就航した日枝丸・平安丸・本船である。
太平洋戦争中は日本海軍に徴用され病院船として使用される。姉妹船の日枝丸・平安丸は戦没する中で、本船は3度機雷に触雷するも生還を果たす。終戦直後、日本が保有した船舶の中で太平洋を渡れる能力がある3隻のうちの1隻であった。
初代船長は秋吉七郎。船名は埼玉県大宮市(現:さいたま市)の氷川神社よりとられた。ちなみに現在でもブリッジの神棚に氷川神社が祀られている。
海上人命安全の為の国際条約(SOLAS)に沿った(先取りした)水密区画構造、アール・デコ(Art Déco)様式のインテリア、オーシャンライナーという船型、一流シェフによる料理などのサービスの提供など、建造当時の先端をいく船として建造された。
1960年に運航を終了するまでに北太平洋を238回横断、延べ25,000人余りの乗客を運んだ。
現在は、航路からの引退後、山下公園に係留されており、営業時には船内を有料で見学出来た。ライブ、サロン・コンサート、パーティ、年越しカウントダウンなどの催事・イベントが出来たほか、夏季にはビアガーデンの営業もあった。しかし、近年の入場者数減少のため、2006年10月13日、現在の運営会社である氷川丸マリンタワー株式会社は、2006年12月25日で氷川丸の営業を終了し(同社は12月31日付で解散)、その後船体を日本郵船の管理に委ねることを発表した。売却後は観光船として外国に売られる話もあるが、既に動力機構は動かないため実現性は乏しい。横浜観光の目玉として保存を望む声が強い。
前述の発表通り、2006年12月25日をもって営業を終了した。2007年1月30日に修復を施した上で2008年春の一般公開を目指す旨の発表が日本郵船からあった。今後の「氷川丸」について
余談ではあるがこの種の民間船としては数少ない模型化された船でもあり、1/700ウォーターライン・シリーズの一環として長谷川製作所(ハセガワ)から現役貨客船時代と徴用病院船時代のプラモデルキットが発売されている。
[編集] 歴史
- 1930年4月25日 三菱横浜造船所(横浜船渠株式会社)にて竣工。
- 1930年5月13日~5月27日 処女航海 神戸 - シアトル (途中四日市、清水、横浜、ビクトリアに寄港)
- 1930年 ロンドン軍縮会議の批准書を輸送。
- 1932年 チャーリー・チャップリンが乗船。
- 1937年 英国国王ジョージ6世の戴冠式からの帰国時、秩父宮夫妻が乗船。カナダ・ビクトリア港 - 横浜。
- 1938年 東京オリンピック誘致のため、カイロのIOC会議に出席した嘉納治五郎が帰国時、シアトルより乗船。肺炎により船内で亡くなる。
- 1939年 宝塚少女歌劇団がサンフランシスコ公演からの帰国時に乗船。
- 1941年8月 国際情勢によりシアトル航路閉鎖。
- 1941年 日本政府に引揚船として徴用され、在日アメリカ・カナダ人を送り届け、在米・在加邦人を乗せて帰国。
- 1941年11月 日本海軍に徴用され、病院船として南太平洋海域にて活動。この頃の様子は1943年に製作された戦記映画『海軍病院船』(日本映画社製作・53分)で見ることができる。山本五十六訪問の様子もあり貴重。
- 1945年 第二次世界大戦終了後、復員輸送に従事。
- 1947年 北海道航路に就航 横浜 - 室蘭 - 大阪。
- 1949年 不定期で外国航路に就航。
- 1950年 不定期で米国航路に貨物船として就航。
- 1952年 欧州定期航路に貨客船として就航。
- 1953年7月 横浜~シアトル航路に定期貨客船として復帰。
- 1953年~1960年フルブライト交換留学生が利用。
- 1959年 宝塚歌劇団が北アメリカ・カナダ公演の渡航に利用。
- 1960年 運航終了。日本郵船もシアトル航路から撤退。
- 1961年 山下公園前の横浜港に係留される(横浜港開港100周年記念事業)。ユースホステルとなる。
- 2003年11月 横浜市指定有形文化財の指定を受ける。
- 2006年10月13日 運営してきた氷川丸マリンタワー株式会社が、営業を2006年12月25日で終了すると発表した。
- 2006年12月25日 営業終了。
- 2008年 一般への公開を再開予定。
[編集] 現係留地への交通
[編集] 関連施設
- 日本郵船歴史資料館