為公会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
為公会(いこうかい)は、自由民主党の派閥。大勇会(河野グループ、河野派)→為公会(麻生派)。会長は河野洋平→麻生太郎。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 大勇会
1998年12月、宏池会(宮澤派)が加藤紘一会長の加藤派となることに河野洋平が反発、派内の加藤会長就任に批判的な議員麻生太郎ら15人と脱退し、翌1999年1月、河野を高く評価していた鯨岡兵輔を最高顧問に迎えて、正式に派閥として大勇会を旗揚げした。
大勇会は1992年、河野が宮澤喜一内閣の官房長官を務めていた頃に派閥横断的な政策集団として結成されているが、この時から後に河野と宏池会を脱退する反加藤色の強いメンバーが参加していた。
このような理念より人間関係で集まって成立した派閥のため、領袖が親中派でハト派の河野であるが、派のメンバーは麻生を筆頭に親台湾派のタカ派が殆どで、他派のような領軸と構成員の明確な政策的接合性がない。そのため衛藤征士郎などは台湾の李登輝来日を河野が執拗に妨害しているとして離脱した。また、河野が衆議院議長に就任した2003年11月以後は河野が党派を離脱する事になったため、座長の相沢英之元衆議院議員が派閥を纏める立場に就いた。
2006年5月、グループ所属議員の河野太郎(洋平の子)が、同年9月に行われる自民党総裁選出馬に意欲を見せる麻生太郎に先駆けて、立候補を表明した。しかし、大勇会では既に麻生の出馬を前提に動いているため、鈴木恒夫大勇会事務総長が河野太郎に対し、「(河野が)総裁選出馬を辞退する場合は、麻生氏の推薦人になるように」と、異例の忠告を行った。そして実際に出馬断念し麻生陣営に参加した。
なお、河野洋平の父親である河野一郎が率いた「河野派」(春秋会、現在の山崎派・伊吹派のルーツ)との関連性は無い。
[編集] 為公会
2006年9月20日の自民党総裁選で、河野グループ所属議員の麻生太郎が136票で次点となり、次期総裁の有力候補としての地歩を確立した。総裁選の総裁選翌々日の9月22日、河野洋平が麻生に河野グループ(大勇会)会長就任を打診し、麻生は今後の情勢を見極めて判断すると応えた。同年12月15日、河野グループは8年に及ぶ歴史にピリオドを打って解散、麻生が新派閥・為公会を結成し、引き継いだ。
麻生が旗揚げした新派閥には衆議院議長の河野洋平を除く旧河野グループ全議員11人に加え、無派閥の鴻池祥肇元防災・構造改革特区担当大臣、山口俊一、赤間二郎、鈴木馨祐各衆院議員が参加した。派閥名は、中国の古典「礼記」の一節「天下為公」から取った。
[編集] 為公会役員構成
[編集] 為公会所属議員
衆議院議員(13名) | |||
---|---|---|---|
中馬弘毅(9回、大阪7区) | 麻生太郎(9回、福岡8区) | 鈴木恒夫(6回、神奈川7区) | 森英介(6回、千葉11区) |
山口俊一(6回、徳島2区) | 岩屋毅(4回、大分3区) | 河野太郎(4回、神奈川15区) | 桜井郁三(3回、神奈川12区) |
松本純(3回、神奈川1区) | 井上信治(2回、東京25区) | 薗浦健太郎(1回、千葉5区) | 赤間二郎(1回、神奈川14区) |
鈴木馨祐(1回、比例南関東) |
参議院議員(2名) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鴻池祥肇(2回・衆院2回、兵庫県) | 浅野勝人(1回・衆院3回、愛知県) |