荒井広幸
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荒井 広幸(あらい ひろゆき、1958年5月15日 - )は、新党日本所属の参議院議員である。
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[編集] 人物
徳永正利秘書・福島県議会議員を経て、1993年に自由民主党候補として衆議院に当選。派閥は森派に所属し、1995年、自由民主党総裁選挙で小泉純一郎が立候補する際、立候補させるために安倍晋三、石原伸晃、野田実、山本一太らと推薦人集めに奔走。後に、亀井静香、小林興起、平沼赳夫、中川昭一と行動を共にするようになり、森派を脱退し村上・亀井派(江藤・亀井派→亀井派)に入る。2001年の参院選においては自民党広報局長としていわゆる「小泉ブーム」を演出する。
2003年の衆院選では、自民党公認候補であったにも拘らず、小泉総裁から批判を受け、落選する。2004年の参院選で当選。
郵政民営化反対論の参議院での理論的支柱として知られ、2005年の郵政国会では参議院採決において郵政法案否決のために行動する。その際、自民党執行部に賛成の説得を受けないようにした「ステルス作戦」が功を奏し、参議院本会議で郵政法案を否決させることに成功する(郵政法案は解散総選挙後に再提出され、可決された)。「両親が郵便局勤務であった」と誤って報道されることがあるが、父は郵政外務職員で、母は電報局勤務である。テレビ番組では、フリップを使って自己の見解を述べることが多い。
選挙中に自民党を離党し、田中康夫とともに新党日本を結成、参加。党幹事長に就任。10月、自民党から除名処分される。
早稲田大学客員教授(講義名「ITと政策」)も務める。
自民党の安倍晋三とは衆議院初当選が同期。ちなみにその安倍晋三が立候補した自民党総裁選の前日、総裁選パロディが恒例となっている大川興業総裁選に登場、演説を行っている。
2006年9月26日、小泉首相退陣に伴う総理大臣指名選挙で、野党であるにも拘らず、小沢一郎・綿貫民輔と書かずに自由民主党新総裁の93年衆院初当選同期で同世代で大親友の安倍晋三に投票した。所属政党である新党日本は党首の田中康夫が国会議員でないため自主投票としていたが、衆参両院で新党日本と統一会派を組んでいる国民新党から問題視され、両院で統一会派解消となった。また、神奈川16区・大阪9区補欠選挙において民主党候補である後藤祐一・大谷信盛が負けた事で足を引っ張る一因となる。
[編集] 経歴
両親は旧電電公社職員。
- 福島県田村郡船引町(現:田村市)に生まれる。
- 福島県立安積高等学校卒業
- 早稲田大学社会科学部卒業(在学中に徳永正利参議院議長の第二公設秘書を勤める)
- 1987年 福島県議会議員選挙で当選(20代での当選は福島県では26年ぶり)
- 1990年 第39回衆議院議員総選挙で旧福島2区(中選挙区)に出馬するが落選。
- 1992年 地元ラジオ局でキャスターとなり、巧みな話術で人気を博する。
- 荒井の担当する番組は現在でも放送している。
- 1993年 第40回衆議院議員総選挙で初当選し、以後3期連続で当選する。
- 2003年 第43回衆議院議員総選挙で2期ぶりに小選挙区で立候補するも、落選する。
- 2004年 第20回参議院議員通常選挙比例区に自由民主党から出馬し、当選した。
[編集] 書籍
[編集] 著書
- 『扶桑の国に来たりし友と語る』(行研、1995年)
- 『拝啓 小泉純一郎様「あなたは間違っている」―財投・郵政解体論に反撃』(麻布出版、1996年)
- 『弱者の論理―郵政三事業が生活・地方・金融・情報弱者を救う』(NEAR総合研究機構、1998年)
- 『ワレ抵抗勢力ト言ワレドモ…』(情報センター出版局、2001年)
- 『郵便局をアメリカに売り渡すな―郵政民営化を狙うグローバリズムの罠』(飛鳥新社、2002年)
- 『だまされるな!郵政民営化―金持ちを優遇して、貧乏人にツケを回す社会がやってくる』(新風舎、2005年) 山崎養世との共著
[編集] 関連書籍
- 『総理大臣の通信簿―政治実績から歴史感覚の有無まで、戦後・歴代総理23人を全採点!』(日本文芸社、1995年)