山本一太
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山本 一太(やまもと いちた、1958年(昭和33年)1月24日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)。妻は国連職員。
生年月日 | 1958年(昭和33年)1月24日 |
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出生地 | 群馬県吾妻郡草津町 |
出身校 | ジョージタウン大学大学院修士課程修了 中央大学法学部政治学科卒業 |
学位・資格 | 修士 |
前職・院外役職(現在) | 国際機関職員 朝日新聞社社員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
外交防衛委員会理事 予算委員会委員 政府開発援助等に関する特別委員会委員 |
世襲の有無 | 2世 父・山本富雄(参議院議員) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
群馬県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(町村派) |
党役職(現在) | 参議院政策審議副会長 |
会館部屋番号 | 参・議員会館604号室 |
ウェブサイト | 山本一太「シンプル・メッセージ」 |
目次 |
[編集] プロフィール
- 群馬県吾妻郡草津町出身。
- 好きな漫画は『あしたのジョー』。
- メディアに頻繁に登場しては活発に発言するため、注目されることが多い。
- 大学時代にロックバンドを組み、現在も作詞・作曲を行う。
- 父は、農林水産大臣や自由民主党参院幹事長等を歴任し、福田赳夫側近であった山本富雄。
- 父の死去に伴って第17回参院選に群馬県選挙区から出馬し当選。現在2期目。
- 1995年の自民党総裁選挙において小泉純一郎が出馬するため必要な推薦人集めに奔走。
- 第44回衆議院議員総選挙において、自ら刺客として出馬の意向を表明した。しかし首相秘書官の飯島勲によって却下された。
- 2007年夏の参議院選挙においては自身の選挙区群馬県の議席がこれまでは2だったが1に減らされ、定数1の議席をめぐり国民新党の福田晃治、引退する民主党の角田義一の後継者と三つ巴の戦いになると予想されていた。しかし角田の違法献金発覚で民主党は後継者指名どころではなくなったため事実上、山本対福田の一騎打ちになると見られている。
[編集] 政策
- 外交においては親米保守のスタンスをとる。自称「外交問題のエキスパート」。
- 実家が旅館、新聞販売店を経営していたことなどから、それら業界とのつながりが強い。
- 旅館業においては全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)や全国旅館政治連盟などの支援を受け特別地方消費税の廃止などに動いた。元自民党観光産業振興議員連盟事務局長。父・富雄も同連盟事務局長を務め、全旅連会長だった。
- 新聞業では自民党新聞販売懇話会事務局長、新聞の特殊指定に関する議員立法検討チーム事務局長を務め、特殊指定の見直しに反対している。父・富雄は新聞販売協会顧問であった。
[編集] 経歴
- 1958年(昭和33年)
- 1月24日 出生。
- 1976年(昭和51年)
- 3月 群馬県立渋川高等学校卒業。
- 1982年(昭和57年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1月 朝日新聞社退社。
- 国際協力事業団(JICA)勤務。
- 1991年(平成3年)
[編集] 政歴
- 1995年(平成7年)
- 7月23日 第17回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自由民主党公認)当選。
- 2001年(平成13年)
- 7月29日 第19回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自民党公認)2期目当選。
- 2003年(平成15年)
- 参議院外交防衛委員長就任。
- 2006年(平成18年)
- 党内役職の他に、自由民主党拉致対策本部・対北朝鮮経済制裁シミュレーションチーム座長及び国連改革議員連盟幹事長を務めている。
- 10月 舛添要一参議院政策審議会長の下、政策審議会副会長に就任。
[編集] エピソードと発言
- 「ポスト小泉」では早くから安倍晋三支持を明確にするも派手なパフォーマンスや言動で顰蹙をかい、安倍応援団の中心から外れ安倍内閣成立後も冷遇される。
- 河野太郎が総裁選立候補の記者会見を行っている最中、安倍支持の演説を行い、報道陣と河野を唖然とさせた。
- 山本の一連のパフォーマンスや言動に対し、所属派閥の会長森喜朗から「山本君は自分や安倍氏のことしか考えていない、レッドカードだ」と派閥退会を勧告されるも拒否。
- この件に関して安倍は「誤解があるなら誤解を解くよう努力をし、失礼があったのなら森会長にお詫びをすべきだ」と苦言を呈した。
- 自身が参議院議員であるにもかかわらず「参議院はマイナーリーグ」[1]と発言。
- 外務政務次官、参院外交防衛委員会委員長を歴任し、自身のホームページでは「外交・安全保障分野の若手論客」と名乗る。
- 2000年、外務政務次官だった山本は、北朝鮮へのコメ支援を行なわないと拉致被害者家族会に対し表明したものの、支援を決定。また、その後の対応の不味さから後に拉致被害者家族等から批判されることとなった。
- 2003年にはイラク戦争でのアメリカ支持の正当性を説明、「(イラクで)大量破壊兵器はいずれ見つかりますよ」と発言。結局イラク戦争後、イラクで大量破壊兵器が見つからなかったため2006年元旦の『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)でこの発言を問いただされ、「あのときはとにかくアメリカを支持するしかなかった」と返答。
- 2006年4月14日に放送された太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ系列)に出演した際、白地図にイラクの位置を塗りつぶすという問いに対し、参院イラク事態特別委員会理事であったにもかかわらずシリアの位置を選択し、他の出演者から失笑された。
- 2006年6月、朝日新聞記者の経歴を公表していなかったことと、その警察担当をしていた当時、山本富雄の盟友の当時の草津町長の贈収賄事件に関する捜査状況を外部に漏洩したとの疑惑が一部週刊誌で報じられた。
- 郵政民営化に反対して離党した無所属議員の復党問題について、2007年の参議院選挙目当ての復党に反対していたが、復党決定後はテレビで「総理が決定したことなので応援していきたい」と安倍晋三の判断を支持した。
- 『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)の「痛快!!永田町時代劇(政界時代劇スペシャル)」にて山本自ら武士に扮してコントに出演しているが、国会議員がするべきことなとか、国会議員として恥ずかしくないのか、と天野祐吉から批判されている[2]。
[編集] 賞罰
- 政治家の年金未納問題に関連し、国民年金の9ヶ月未納が発覚。
[編集] 著作
- 『なぜいま安倍晋三なのか』 リヨン社、2006年7月、ISBN 457606083X
- 『私が総理になったなら-若き日本のリーダーたち- 』角川書店、2002年11月。
[編集] 音楽活動
- 『見せかけのデモクラシー』1998年。
- 『かいかくの詩』2003年。
- 「チャレンジャーにささげる詩」(作曲:西井慶太、作詞:山本一太)2006年。
- 自民党総裁選出に際し安倍晋三を応援する歌。
[編集] 脚注
- ^ 『週刊アサ秘ジャーナル』東京放送。
- ^ 『朝日新聞』。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 山本一太「シンプル・メッセージ」(公式サイト)
- 山本一太の「気分はいつも直滑降」(公式ブログ)
- 新世代総理を創る会