逢沢一郎
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逢沢一郎(あいさわ いちろう、1954年(昭和29年)6月10日 - )は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。
祖父の逢沢寛、父の逢沢英雄も衆議院議員を務めた。また、松下政経塾出身者では最初の国会議員であり、最初の政務次官。
生年月日 | 昭和29年(1954年)6月10日 |
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出生地 | 出生地:岡山県岡山市 本籍地:岡山県御津郡御津町 |
出身校 | 慶應義塾大学工学部卒業 松下政経塾塾生 |
学位・資格 | 学士 |
前職・院外役職(現在) | |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
議院運営委員長 |
世襲の有無 | 2世 祖父・逢沢寛(衆議院議員) 父・逢沢英雄(衆議院議員) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
岡山1区 |
当選回数 | 7回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(谷垣派) |
党役職(現在) | |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館405号室 |
ウェブサイト | 逢沢一郎ウェブサイト |
[編集] 経歴
岡山県岡山市出身(本籍地は御津郡御津町)。慶應義塾志木高等学校を経て、1979年に慶應義塾大学工学部管理工学科を卒業。学位は工学士(慶應義塾大学)。翌1980年、松下幸之助が創設した財団法人松下政経塾に第一期生として入塾した。同期に小野晋也や野田佳彦らがいる。1985年に松下政経塾を卒業。
1986年の第38回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)に、郷里の旧岡山1区から自由民主党公認で立候補し、初当選。以後、連続7回当選。自民党では宏池会に所属し、通商産業政務次官、自民党商工部会長などを歴任し商工族議員としての経歴を積んだ。1996年に衆議院外務委員長に就任し、外交政策にも幅を拡げ、2003年に外務副大臣、2005年に自民党幹事長代理を歴任。2006年の安倍内閣発足に伴い、議院運営委員会委員長に就任した。
一方、地元の有志とともに、岡山県に松下政経塾の地域政経塾である岡山政経塾を設立するなど、地元の人材育成にも努めている。自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」座長。部落解放同盟より「解放推進議員」として推薦・支持・支援を受けている。
2007年1月21日の宮崎県知事選挙の際に、逢沢一郎の選挙区でメールマガジン登録者に対し同年1月19日・1月20日に自民党推薦候補者へ投票を呼びかけるメールを送ったとして、選挙中に対し不特定の人物に投票を呼びかけるメール送信を禁じている公職選挙法に抵触した。