鉄のカーテン
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鉄のカーテン(iron curtain)は、東西冷戦の緊張状態を示すために用いられた言葉。原義は、劇場に備えられた装置の一種で、舞台と客席とを遮る防火シャッターのこと。
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[編集] 由来
1946年3月、イギリスの前首相であったチャーチル[1]が、アメリカ大統領トルーマンに招かれ、アメリカのミズーリ州フルトンの大学でおこなった演説の中で、「バルト海のシュテッティン[2]からアドリア海のトリエステ[3]までヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、すべてその向こうにある。」と、述べた事によって、東西冷戦の緊張状態をあらわす言葉としてさかんに用いられた。
その後、ヨシップ・ブロズ・チトーが指導していたユーゴスラビアやアルバニアが社会主義国でありながらも東側陣営から離脱して非同盟の動きを見せたり、ドイツの東西分裂により生まれたドイツ民主共和国(東ドイツ)が発足後に東側陣営へ組み入れられるなどして、境となる線は何度か変化した。
ちなみに、ナチス・ドイツの宣伝省大臣ヨゼフ・ゲッベルスはそれより1年前に、同様の言葉を雑誌に寄稿した論文に用いたり、日記にしたためたりしている。
またこれらよりもさかのぼること15年前、ソ連作家レフ・ニクーリンが著したエッセイの中にも、東西陣営の緊張を表す言葉としてこの言葉を用いている。
[編集] 解体
1989年、時のハンガリー首相ネーメト・ミクローシュにより、鉄のカーテン撤去が始まり、東ドイツの難民が殺到した。冷戦の終りを象徴する東欧民主化革命の直接の発端ともなった。
[編集] 類語
似たような言葉として、東アジアにおいて情報が断絶している共産主義圏と資本主義圏の心理的境界を「竹のカーテン」ということがある。