馬場義続
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馬場 義続(ばば よしつぐ 1902年11月3日 - 1977年2月24日)は、日本の検察官。元検事総長。
[編集] 人物
福岡県出身。生家は貧乏であったが、幼少期よりすべての科目で秀才の誉れが高く、特に数学では並外れた才能を持っていたため、上級学校進学の援助者があり、田川中学、五高を経て、1927年3月に東京帝大法学部法律学科英法科卒業。同年12月に高文行政科・司法科合格。翌年の1928年に司法官試補、1929年に検事任官。戦前の主流であった塩野季彦を大御所とする「公安思想検事」が、戦後軒並み公職追放されたことにより、GHQ内の派閥抗争も絡んで頭角を現してきた。戦後、花井忠のように弁護士や判事出身が検事に登用されるなど、また当時、いわゆる赤化の恐怖から政府に有用な人物には手を出さない「国家有用論」の塩野閥らとの共通点も見てとれ、このことから「思想検事」との抗争は単なる主流派と傍流派との争いであり、それ以上のものではなかったともいえる。
戦後の政官界汚職にほぼタッチしてきた。「検事は経理に精通せずは汚職追及は不可能」と述べ、配下の河井信太郎らと東京地検特捜部の創設に関わるなど、「経済検事」の代表的存在。
常に敏速で、「カミソリ」であると共に、激しい性格から「カミナリ」でもあった。1967年11月検事総長として退官するまで常に帝都東京で勤務しており、地方勤務を一度も経験したことのない(所謂ドサ回りをしていない)特異な経歴を有している。のち検事総長退官後に竹内寿平を後任に据えようと画策するが、塩野季彦の司法相時代の秘書官も務めた経験もあり、1968年に日通事件で東京地検特捜部に取り調べられることとなる池田政之輔や、佐藤栄作らに阻止され、井本台吉が就くことになり挫折した。