高等文官試験
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高等文官試験(こうとうぶんかんしけん)は、日本において明治時代(1894年)に始まり戦後(1948年)に廃止された高級官僚候補生の資格試験のこと(高文試験)。広義には、メリット・システムを採用している国の高級官僚候補生の試験全般を指す(各国の状況については官僚#官僚制度を参照)。なお、昭和4年の高等試験令以降は、正式には「高等試験」という。
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[編集] 概要
日本の高文試験の原型は中国の科挙で、試験に合格すれば、生まれを問わず高等官になれるという画期的な公務員試験であり、かなり難易度の高い試験であった。敗戦後、高文試験そのものは廃止されたがその制度は名を変えては生きており、今なお続く国家公務員採用試験である(キャリアを参照)。今も昔も東京大学出身者が多く合格している。
高文試験は、初期の頃は現在の司法試験に当たる試験と別個であったが、後に現在の司法試験の役割をも兼ねるようになった。
制度は時期により変遷するが、最末期は、高等学校高等科卒業生、大学予科修了者又は文部大臣の定むる所に依りこれと同等以上の学力を有すと認むる者は予備試験を免じられていたが、その他の者には予備試験が課せられていた。本試験は、司法科(現在の司法試験)、行政科(現在の国家1種の試験区分「行政」「法律」「経済」および、旧外交官試験に相当)の2つの試験区分があった。なお最末期は、行政科に統合されたが、この2科に加え「外交科」も存在した。当時は、弁護士になるには、本試験の司法科に合格する必要があった。
高文試験に合格すると文官(行政官)、外交官、領事官、判事、検事に任用される資格を有した。
また、現在の各種国家資格の受験において、高等文官試験の合格者については、その受験資格か無条件に認められる・予備(一次)試験が免除されるなどの優遇措置がとられており、実質として大学卒業同等の学識を有する者と看做されている。
但し、高等文官試験が廃止されてからの年月を考慮すると、事実上、この規定は空文化されたと言える。
なお発祥の地、中国は清王朝時代の1905年に科挙を廃止して新しい学校制度に基づく試験制度に切り替えられた。
[編集] 高文試験に合格した著名人
- 岸信介 - 元内閣総理大臣、我妻栄と恩賜の銀時計を争う
- 池田勇人 - 元内閣総理大臣
- 佐藤栄作 - 元内閣総理大臣
- 福田赳夫 - 首席合格、 元内閣総理大臣
- 宮沢喜一 - 元内閣総理大臣
- 芹沢光治良 - 小説家
- 柳田国男 - 1900年合格、文化人類学者
- 正力松太郎 - 1912年合格、読売新聞社社主
- 我妻栄 - 1920年行政科合格、元東京大学法学部教授(民法)
- 美濃部洋次 - 1924年司法科・1925年行政科合格、企画院事務官
- 鈴木竹雄 - 1927年行政科合格、元東京大学法学部教授(商法)
- 田中二郎 - 1928年行政科合格、元東京大学法学部教授(行政法)、元最高裁判所判事
- 兼子一 - 1928年行政科・司法科合格、元東京大学法学部教授(民事訴訟法)
- 牛場信彦 - 1931年外交科合格、元駐米大使
- 川島武宜 - 1933年司法科合格、元東京大学法学部教授(民法)
- 団藤重光 - 1934年行政科・司法科合格(21歳)。1913年(大正2年)11月8日生まれ。元東京大学法学部教授(刑法)、元最高裁判所判事
- 大平正芳 - 1935年(昭和10年)行政科合格(25歳)。1910年(明治43年)3月12日生まれ。大蔵省入省。第68、69代内閣総理大臣
- 四宮和夫 - 1937年司法科合格、元東京大学法学部教授(民法)
- 後藤田正晴 - 1938年(昭和13年)合格(24歳)。1914年(大正3年)8月9日生まれ。警察庁長官、衆議院議員、法務大臣、内閣官房長官などを歴任。
- 河井信太郎 - 1938年(昭和13年)合格(25歳)。1913年(大正2年)10月1日生まれ。元大阪高等検察庁検事長、元東京地検特捜部長
- 秦野章 -1939年(昭和14年)合格。元警視総監。参議院議員、法務大臣などを歴任。
- 矢口洪一 - 1943年(昭和18年)司法科合格(23歳)。1920年(大正9年)2月20日生まれ。第11代最高裁判所長官
- 山本鎮彦 - 1943年(昭和18年)行政科合格(23歳)、1920年(大正9年)11月1日生まれ。内務省入省。元警察庁長官。
- 伊藤栄樹 - 1947年(昭和22年)行政科・司法科合格(23歳)。1924年(大正14年)2月3日生まれ。元検事総長
- 小林直樹 - 1947年合格、元東京大学法学部教授(憲法)
- 三島由紀夫 - 1947年167人中138位合格
- 福田平 - 1947年司法科合格、元一橋大学法学部教授(刑法)
- 星新一 - 1948年合格はしたものの内定が取れず、さらに役人嫌いの父親に受験が発覚して厳しく叱責された。
- 大塚仁 - 1948年司法科合格。名古屋大学名誉教授(刑法)
[編集] 高文試験に失敗した著名人
[編集] 資料・データ
- 高等文官行政科合格者数
- (明治27年~昭和22年)
大学名 | 合計 | |
---|---|---|
1位 | 東京帝国大学 | 5969人 |
2位 | 京都帝国大学 | 795人 |
3位 | 中央大学 | 444人 |
4位 | 日本大学 | 306人 |
5位 | 東京商科大学(東京高商) | 211人 |
6位 | 東北帝国大学 | 188人 |
7位 | 早稲田大学 | 182人 |
8位 | 逓信官吏練習所 | 173人 |
9位 | 明治大学 | 144人 |
10位 | 九州帝国大学 | 137人 |
11位 | 京城帝国大学 | 85人 |
12位 | 東京文理科大学(東京高師) | 56人 |
12位 | 鉄道省教習所 | 56人 |
14位 | 法政大学 | 49人 |
15位 | 関西大学 | 48人 |
16位 | 東京外国語学校 | 45人 |
17位 | 立命館大学 | 26人 |
18位 | 広島文理科大学(広島高師) | 21人 |
19位 | 慶應義塾大学 | 18人 |
20位 | 神戸商業大学(神戸高商) | 15人 |
21位 | 専修大学 | 13人 |
22位 | 大阪商科大学(大阪高商) | 12人 |
23位 | 台北帝国大学 | 10人 |
24位 | 北海道帝国大学 | 3人 |
- 出典:秦郁彦『官僚の研究』(講談社)
- 村川一郎『日本の官僚』(丸善)など
- 高等文官司法科合格者数
- (昭和9年~昭和15年)
大学名 | 合計 | |
---|---|---|
1位 | 東京帝国大学 | 683人 |
2位 | 中央大学 | 324人 |
3位 | 日本大学 | 162人 |
4位 | 京都帝国大学 | 158人 |
5位 | 関西大学 | 74人 |
6位 | 東北帝国大学 | 72人 |
7位 | 明治大学 | 63人 |
8位 | 早稲田大学 | 59人 |
出典:村川一郎『日本の官僚』(丸善)など