黒田清子
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黒田清子(くろだ さやこ、旧名:紀宮清子内親王(のりのみや さやこ ないしんのう)、1969年(昭和44年)4月18日 - )は、明仁天皇と美智子皇后の長女(第一皇女子)である。勲等は勲一等。
皇后からはサーヤ、学習院初等科時代の友人や知人からはミーヤなどの愛称でも呼ばれる。印は未草(ひつじぐさ)。
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[編集] 経歴
1973年(昭和48年)に柿の木坂幼稚園に入園、年少の1年間通う。その後、学習院幼稚園、学習院初等科、女子中等科、女子高等科、学習院大学文学部国文学科(現:日本語日本文学科)に入学する。
1989年(平成元年)に成年に達し、勲一等に叙せられる。勲一等宝冠章(現:宝冠大綬章)を受章する。
1992年(平成4年)には学習院大学文学部国文学科を卒業し、山階鳥類研究所非常勤研究助手となり、1998年(平成10年)から2005年(平成17年)まで同研究所非常勤研究員。赤坂御用地と皇居の鳥類の研究を手がけており、その成果を元に平凡社より出版された『日本動物大百科』のカワセミの項目の執筆も手がけている。
内親王として公務に積極的であり、国際親善、外国訪問、社会福祉、慈善事業など各分野で積極的に公務をこなしており、宮内庁の信頼も厚かった。また、明仁が天皇に即位し二人の兄宮が独立した後は、両親の側近くにあって良き相談役であった。特に明仁が前立腺癌を、美智子が失語症を患われた際には、両親の側にあって心身共に支えた。
趣味は、中等科から始めた日本舞踊で、たびたび舞台に立っている。学生時代には、盲導犬の育成にも関心を寄せた。彼女を語る上で欠かせないのは和歌であり、その才能は高く評価されている。言語能力の高さもまた、よく知られるところである。徳仁親王の人格否定発言に際しては文章を起草したが、親王の実際の発言はこの文案から大きく改悪されていた為、当時の清子内親王は憮然としたという。
2004年(平成16年)12月30日に、兄の秋篠宮文仁親王の学習院時代の同級生である東京都職員の黒田慶樹との婚約を発表。尚、11月に発表された婚約内定は新潟県中越地震に配慮して、一度延期され、正式な婚約も宣仁親王妃喜久子(大叔母)の逝去に伴って延期された。
2005年(平成17年)3月19日に、結納に相当する納采の儀が行われた。又、結婚前の同年10月21日に、警視庁府中運転免許試験場にて運転免許試験を受けて、普通免許(AT車限定)を取得した。
[編集] 結婚及びそれに伴う皇籍離脱
11月15日に秋篠宮親王の旧友、黒田慶樹と帝国ホテル蘭の間にて、天皇皇后夫妻、皇太子夫妻らが出席のもと午前11時頃には結婚式が執り行われた。その後、14:00頃、二人で結婚の会見、16:00頃同ホテルで結婚披露宴を天皇皇后夫妻、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻、石原慎太郎東京都知事らの出席の下で執り行われた。黒田慶樹の上司に当たる石原知事が乾杯の発声を務めた。尚、歴代の天皇が内親王の披露宴などに出席したのは初めてである。この日、新居がある区役所で区長に対する婚姻の届出が受理されたことにより、皇族の身分を離れ戸籍が与えられて一民間人の「黒田清子」となった。翌11月16日、宮内庁長官が皇統譜に皇族からの身分を離れた旨の登録を行った。これにより皇族には関係が無い選挙権・被選挙権の権利や、国民年金や納税、健康保険の支払い義務など、一般の国民の権利と義務が与えられた。また警衛警護も皇宮警察本部から警視庁に所管が変わった。
[編集] 人物
- 皇室典範制定後初の両親の元で育った内親王である(これまでの内親王は姉妹と共に親元を離れて養育されていた)。
- 史上初の仕事をして給与を得た内親王である。
- 皇室典範制定後初の皇族・華族出身者ではない男性と結婚した内親王である。
- 民間出身であり、当時心労の多かった母・美智子皇后にとって紀宮の存在が大きな精神的支えになっていたと言われる。
- 美智子皇后がバッシングを受け失語症になった際には、皇后の代わりに話をしたりと、常にそばで支えていた。
- 内親王として精力的に公務にはげみ、宮内庁の中からは皇籍離脱を惜しむ声もあった。また、女性天皇論のなかで女性宮家論も提唱されるきっかけになった人物である。
- アニヲタであるといわれている。特に結婚式で起用していたロングドレスは、宮崎駿監督のアニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』に登場するキャラクターのクラリスが着ている花嫁ドレスに類似しており、これを参考にしたものではないかと報道機関に伝えられた(通称:ルパンドレス)。これは本人が宮崎アニメのファンであることからだと思われる。中学・高校・大学と一貫してアニメ系サークルに所属しており、友人が発行したアニメ『鎧伝サムライトルーパー』の同人誌に寄稿もしていたという。この頃、アニメージュを定期購読していた。大学時代には前述のルパン三世の単独上映会もあったとされる。
[編集] 栄典
- 1989年(平成元年)4月28日:勲一等宝冠章
[編集] 家族
[編集] 外部リンク
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