宮崎駿
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宮崎 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身(墨田区出身という説もある)のアニメーション作家・映画監督・漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。杉並区立永福小学校、杉並区立大宮中学校、東京都立豊多摩高等学校、学習院大学政経学部卒業。血液型O型。
株式会社スタジオジブリ(所在地:東京都小金井市梶野町1425)に映画監督として所属し、取締役として経営にも参加している。また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主である。個人の事務所は株式会社二馬力で、主に宮崎の著作権関連の管理を行っており、自身は代表取締役社長である。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 初期
宮崎駿は、親類の経営する「宮崎航空興学」の役員を父親が務めていたことから、太平洋戦争中であっても、何不自由なく幼年時代を過ごした[1]。だが会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。
子供の頃から絵が上手く、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』のファンという漫画少年であった。学校で長兄がボス格であった為、平穏な学校生活を過ごした。高校三年生の時に観た東映動画の『白蛇伝』に感動し、アニメーションにも関心を持つようになる。長兄と同じ大学に進学し、当時は大学に漫画サークルが無かった為、一番近そうな児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。漫画家を志望し、あちこちの雑誌編集部に自作漫画の持ち込みをしたが採用されず、卒業後はアニメーターとして東映動画に入社する。
その後しばらくは漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社一年後に観たソ連製長編アニメ映画『雪の女王』に強い感銘を受け、アニメーションを一生の仕事にしようと決意する。たちまち才能を現してメインスタッフとなると共に、結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任する。激しい組合活動を行いながら高畑勲・大塚康生らと共に『太陽の王子 ホルスの大冒険』を作り上げ、その後も宮崎駿・高畑勲・大塚康生のトリオはさまざまなスタジオで優れた作品を作り続ける。
[編集] 未来少年コナン以後
動画、原画、場面設計、画面構成、レイアウト等、業界の作画畑を長年に渡って歩んできた宮崎だが、NHKの『未来少年コナン』で満を持して本格的に演出家デビュー。持ち前の高度な作家性を発揮し、原作を大幅に改変したオリジナルなストーリーを展開し好評を得る。
その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し『ルパン三世 カリオストロの城』で映画監督としてデビューする。しかし同作は業界関係者やコアなアニメファンからは熱狂的に支持されるも、SFアニメ全盛の時代に合わず興行的に振るわなかった。宮崎が作家として社会認知を得るまでには至らず、逆に、有り体に言えば干されてしまった。
アメリカに渡り、大塚康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』などの原型となる企画を構想しているが実現には至らなかった。失意の宮崎に徳間書店の『アニメージュ』誌が連載マンガの企画を持ちかけ、同誌上で『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。当時、メディアミックスや映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメ化を決断し、宮崎の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され、1984年にアニメ映画として製作・公開される。映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宮崎駿が広く認知されることとなった。
[編集] スタジオジブリ後
その後は徳間書店の出資を得て創設したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2~3年おきに長編作品を製作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受け、国民的映像作家としての地位を確立する。
1997年に公開された『もののけ姫』は、前年の徳間書店とディズニー社の業務提携によるジブリ作品の世界進出のニュースや、ジブリ史上最大の製作費、宮崎の監督引退説(宮崎は引退する意向であったが、後継者と目されていた近藤喜文の急逝によって、引退出来なくなってしまったとする説もある)などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行記録を塗り替える大ヒット作となった。
2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は『タイタニック』に奪われた日本映画界の興行記録を奪還し、『もののけ姫』の記録をさらに塗り替える、観客動員2350万人、興行収入304億円の日本における興行の新記録を作った。海外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはアカデミー賞長編アニメーション部門のオスカーを受賞した。
2004年公開の『ハウルの動く城』では宣伝を極めて抑えた公開であったにも関わらず、『千と千尋の神隠し』に継ぐ大ヒットを記録。さらにヴェネチア国際映画祭のオゼッラ賞、ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメ賞を受賞するなど『千と千尋の神隠し』同様海外において高く評価され、宮崎は2005年にヴェネチア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈られる栄誉金獅子賞を受賞した。
2006年には、ハリウッド最高の名誉とされるアカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待状が送付された。宮崎はこれ以前に2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。
現在は、2008年夏公開予定の『崖の上のポニョ』の制作に取り組んでいる。
[編集] 作風
一貫してファンタジーを作り続けている。これについて、「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている。児童文学を愛読し、「アニメーションは基本的に子供の物」と公言するだけあって、その作品はほぼ一貫して子供の目線に立ち、悪役を大人にすることが多い。但し、多くの作品は単純明快な勧善懲悪ものではなく、「悪役」もまた、重層的で複雑なキャラクターであることが多い。作中に登場する食べ物を美味しそうにディテール豊かに描くことでも定評がある。
戦史・軍事マニアとして知られ、第二次世界大戦から前の甲冑・鎧兜や兵器・AFVに造詣が深い。作中で登場する兵器や乗り物にはその知識が十全に活かされている。この方面の趣味が発揮されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』誌の『宮崎駿の雑想ノート』という虚実織り交ぜた架空戦記物の超不定期連載マンガがある(途中からタイトルは『妄想ノート』に変更され、現在は中断)。
監督を担当した長編アニメーション映画の作品名にはどれも『の』が含まれているのが特徴。
[編集] 政治的・思想的スタンス
一貫して環境保全、反戦を主題とした作品を作り続け、湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明していた。 大学時代から社会主義思想に傾倒するようになり、東映動画入社後は激しい組合活動を行った。宮崎の社会主義に対するスタンスは未来少年コナンにおけるヒトラーの国家社会主義&スターリンの管理型社会主義を表象するインダストリア、その対置にあるものとして原始共産主義またはユートピア社会主義を表象するハイハーバーで描写される社会構造に垣間見られる。 宮崎の強権的「国家」に対する批判的姿勢は、堀田善衛や司馬遼太郎らとの交流から、人間の実相を「もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る」ように凝視する(宮崎が"澄んだニヒリズム"と呼ぶところの)姿勢に転換していく。例えば漫画版『風の谷のナウシカ』のラストなどに、その人間観・世界観の変化の影響が見受けられる。
なお、宮崎に深く影響を与えた思想に、文化人類学者中尾佐助による「照葉樹林文化論」がある。ヒマラヤ山脈南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘類などの特色をもつ共通の農耕文化圏に含まれるとするこの学説に、国家の枠を乗り越える視点を与えられ、「呪縛からの解放」感を味わったという。この影響は特に「もののけ姫」に強く表れている。その後も宮崎はインタビュー・対談など事ある毎に中尾佐助を引き合いに出している。このことは若き日の宮崎にとっていかに「日本」という命題が深刻なものであったかを、逆説的に物語っているものといえよう。
最近では、問題になった新しい歴史教科書をつくる会の教科書を「民族の“誇り”は歴史を歪曲することで得られるものではない」と語ったことがある。一方で宮崎は、司馬遼太郎や堀田善衛との鼎談で、韓国人の誤った歴史認識に言及しておりコスモポリタン的な立場で各国の偏狭なナショナリズムを批判しているといえる。また宮崎は憲法改訂に関して9条の支持を表明しているが、同時に、もし国民が9条改訂を選択したならそれに従うという趣旨の発言もしており、社会民主主義者としての一面も持っている。
もののけ姫は宮崎の歴史観をあらわす重要な作品である。従来の士農工商を中心としたマルクス主義的階級史観では語られてこなかったたたら製鉄技術者集団、馬子運送業者、らい病患者を登場させ、女性が産業を担い発言権を持っている描写に網野善彦の影響が強く見られる。不老不死の薬をめぐる、中央の権力を表象する「天朝さま」と在地方権力を表象する「公方」「侍」との争奪競争、「天朝さまとは何ぞや」とつぶやく女性を描写している。
[編集] 略歴
- 1941年 1月5日東京都文京区生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。
- 1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政治経済学部卒業生には、麻生太郎(現外務相)、高島肇久(現学習院大学特別客員教授、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店相談役)、有薗憲一(ベスト電器社長)らがいる。
- 1964年 東映動画労働組合の第2代書記長に就任。なお、初代書記長は大塚康生。
- 1965年 同僚の太田朱美と結婚。なお、式の司会は大塚康生。
- 1967年 長男(宮崎吾朗・(財)徳間記念アニメーション文化財団理事)誕生。
- 1970年 次男(宮崎敬介・木口木版画家)誕生。
- 1971年 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)に移籍。
- 1973年 高畑勲、小田部羊一と共にズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改組)に移籍。
- 1978年 『未来少年コナン』で演出家に転向。
- 1979年 東京ムービー新社の子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。
- 1980年 初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎賞を受賞。
- 1982年 1月より『アニメージュ』誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。
- 1984年 4月、個人事務所二馬力を設立。
- 1985年 『風の谷のナウシカ』が大藤信郎賞受賞。スタジオジブリを設立。
- 1987年 『天空の城ラピュタ』が大藤信郎賞受賞。
- 1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・大藤信郎賞、第39回芸術選奨・芸術作品賞・文部大臣賞、第12回山路ふみ子映画賞を受賞。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第一位に選出。
- 1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。東京都民文化栄誉章を受章。
- 1993年 『紅の豚』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞、アヌシー国際アニメーションフェスティバル・長編部門賞を受賞。
- 1994年 『風の谷のナウシカ』が第23回日本漫画家協会賞・大賞を受賞。
- 1997年 『もののけ姫』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞、第2回アニメーション神戸・部門賞・演出部門を受賞。
- 1998年 スタジオジブリを退社し、「豚屋」を設立。『もののけ姫』が日本アカデミー賞・最優秀作品賞、第1回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞を受賞。第26回アニー賞・生涯功労賞、山路ふみ子文化賞、淀川長治賞を受賞。
- 1999年 スタジオジブリに所長として復帰。
- 2000年 第3回司馬遼太郎賞を受賞。
- 2001年 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。第49回菊池寛賞を受賞。
- 2002年 『千と千尋の神隠し』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・監督賞・アニメーション映画賞、第5回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞、第52回ベルリン国際映画祭・金熊賞、第68回ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞、ボストン映画批評家協会・特別賞を受賞。『くじらとり』が大藤信郎賞を受賞。朝日賞、フランス国家功労賞、パリ市勲章を受賞。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。
- 2003年 『千と千尋の神隠し』が第30回アニー賞・長編アニメ映画賞・監督賞・脚本賞・音楽賞、第75回アカデミー賞・長編アニメーション映画賞を受賞。埼玉県民栄誉賞を受賞。『TIME』誌アジア電子版の「アジアの英雄20人」に選出。
- 2004年 『ハウルの動く城』が第61回ベネチア国際映画祭・金のオゼッラ賞を受賞。第16回ザグレブ国際アニメーションフェスティバル・功労賞、シッチェス国際映画祭・特別審査員賞を受賞。『ルパン三世 カリオストロの城』がキネマ旬報創刊85周年「オールタイムベスト・テン」アニメーション部門第一位に選出。12月、パリ造幣局美術館にて、初の個展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を開催。
- 2005年 徳間書店より独立した、株式会社スタジオジブリの取締役に就任。『ハウルの動く城』が第9回ハリウッド映画祭・ベストアニメーション賞、ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞を受賞。第62回ベネチア国際映画祭・栄誉金獅子賞、国際交流基金賞を受賞。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。
- 2006年 日本テレビ2階・マイスタ外壁に設置される巨大時計のデザインを手掛ける。『TIME』誌アジア版60周年記念の「アジアの英雄60年」の日本人13名の中に選出。
[編集] 作品
[編集] 監督作品
[編集] 長編アニメーション映画
- 1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)
- 1984年 風の谷のナウシカ(原作・脚本)
- 1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)
- 1988年 となりのトトロ(原作・脚本)
- 1989年 魔女の宅急便(脚本)
- 1992年 紅の豚(原作・脚本)
- 1997年 もののけ姫(原作・脚本)
- 2001年 千と千尋の神隠し(原作・脚本)
- 2004年 ハウルの動く城(脚本)
- 2008年 崖の上のポニョ(原作・脚本)(2008年夏公開予定)
[編集] 短編アニメーション映画
- 1995年 On Your Mark~ジブリ実験劇場(原作・脚本)
- 2001年 フィルムぐるぐる(絵コンテ)
- 2001年 くじらとり(脚本)
- 2002年 コロの大さんぽ(原作・脚本)
- 2002年 めいとこねこバス(原作・脚本・トトロ役)
- 2002年 空想の空飛ぶ機械達(原作・脚本・ナレーション)
- 2006年 水グモもんもん(原作・脚本)
- 2006年 星をかった日(脚本)
- 2006年 やどさがし(原作・脚本)
[編集] テレビアニメーション
- 1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)(第4話以降のAプロ演出グループ名義のモノ)
- 1978年 未来少年コナン
- 1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
- 第145話「死の翼アルバトロス」(照樹務名義)
- 第155話「さらば愛しきルパンよ」(照樹務名義)
- 1985年 名探偵ホームズ
- 第3話「小さなマーサの大事件!?」
- 第4話「ミセス・ハドソン人質事件」
- 第5話「青い紅玉」
- 第9話「海底の財宝」
- 第10話「ドーバー海峡の大空中戦!」
- 第11話「ねらわれた巨大貯金箱」
[編集] 参加作品
[編集] 劇場用アニメーション映画
- 1965年 ガリバーの宇宙旅行(動画・原画)
- 1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 (場面設計・原画)
- 1969年 長靴をはいた猫(原画)
- 1969年 空飛ぶゆうれい船(原画)
- 1971年 どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)
- 1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)
- 1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)
- 1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)
- 1991年 おもひでぽろぽろ(製作プロデューサー)
- 1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)
- 1995年 耳をすませば(脚本・絵コンテ・制作プロデューサー。一部演出も)
- 2002年 猫の恩返し(企画)
- 2006年 ゲド戦記(原案)
[編集] テレビアニメーション
- 1972年 赤胴鈴之助(26、27、41話の絵コンテ)
- 1974年 アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成)
- 1976年 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成)
- 1977年 あらいぐまラスカル(原画)
- 1979年 赤毛のアン(場面設定・画面構成)(1~15話まで)
[編集] その他の作品
[編集] 漫画・絵物語など
- 長靴をはいた猫
- 砂漠の民(秋津三朗名義)
- どうぶつ宝島
- 妹へ(「宮崎駿・大塚康生の世界」に収録)
- 風の谷のナウシカ(全七巻)
- 宮崎駿イメージボード集
- シュナの旅
- 「風の谷のナウシカ」-宮崎駿水彩画集
- 宮崎駿の雑想ノート
- 飛行艇時代
- 泥まみれの虎 宮崎駿の妄想ノート
- ハンスの帰還
- (ロバート・ウェストール・作、宮崎駿・編、金原瑞人・訳)『ブラッカムの爆撃機』 (児童書) 岩波書店 2006年10月 ISBN 4-00-024632-1
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- 「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加えて、宮崎の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併録。
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[編集] デザインワーク
- TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」
- TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」
- 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船
- 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」
- 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」
- 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」
- 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」
- 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」
- 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
- 日本テレビ社屋外壁の大からくり時計「日テレ大時計」
[編集] 作詞
- 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』挿入歌)
- 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)
- 『となりのトトロ』(『となりのトトロ』エンディング)
- 『カントリー・ロード』(日本語訳詞の補作)(『耳をすませば』エンディング)
- 『もののけ姫』(『もののけ姫』主題歌)
- 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
- 『神々さま』
- 『油屋』
- 『さみしい さみしい』
- 『白い竜』
- 『お母さんの写真』(CMソング)
[編集] 著書(対談・インタビューなど)
- 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集)
- 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談集)
- 『トトロの住む家』(画文集)
- 『出発点 1979~1996』(エッセイ・発言集)
- 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談集)
- 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(インタビュー集)
- 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談)
- 『教育について』(共著、インタビュー集)
[編集] 絵コンテ集
[編集] 劇場用アニメーション映画
- パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
- ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
- 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)
- 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)
- となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3 (徳間書店)
- 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)
- 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)
- 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)
- もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)
- 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)
- ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)
[編集] テレビアニメーション
- ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
- 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
- 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
[編集] 幻の作品一覧
宮崎駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。
- 長靴下のピッピ(アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品)
- ユキの太陽(ちばてつやの漫画。パイロットフィルムのみ製作された。一度だけテレビ放映されている。)
- 映画版未来少年コナン(テレビシリーズを編集した映画の総監督として、「月刊アニメーション」で発表された。直後にテレコム・アニメーションフィルムへ移籍。)
- ロルフ(リチャード・コーベン原作のアングラコミック)
- 戦国魔城(日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品)
- もののけ姫(映画化された作品とは異なる、『美女と野獣』の戦国時代版。出版されている。)
- 風の谷の一日(ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。)
- アンカー(監督に押井守、脚本に宮崎が予定されていた。)
- 突撃!アイアンポーク(これも監督に押井守が予定されていた。)
- 大東京物語(ふくやまけいこの漫画)
- 墨攻(古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説)
- 東京汚穢合戦(宮崎が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。)
- ゴチャガチャ通りのリナ(柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』)
- 煙突描きのリン(震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となった。)
- 毛虫のボロ(虫の視点から世界はどう見えるかという企画。後に『水グモもんもん』として実現した。)
- 旅のラゴス(筒井康隆原作のSFファンタジー小説)
- ジョナサンと宇宙クジラ(ロバート・F・ヤングのSF小説)
- I Lost My Little Boy(『ハウルの動く城』制作後に、宮崎が映像化を検討していると噂された中国の児童文学。情報の出所は定かではないが、海外で話題となった。)
[編集] 参考文献
[編集] 関連書籍
- 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)(ISBN 4-19-554639-7)
- 高畑勲『映画を作りながら考えたこと2』(徳間書店、1999年)(ISBN 4-19-861047-9)
- 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店、2001年)(ISBN 4-19-861361-3)
- 大泉実成『宮崎駿の原点 母と子の物語』(潮出版社、2002年)(ISBN 4-267-01653-4)
- 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店、2004年)(ISBN 4-19-861890-9)
- 尾形英夫『あの旗を撃て!「アニメージュ」血風録』(オークラ出版、2004年)(ISBN 4-7755-0480-0)
- 鈴木敏夫『映画道楽』(ぴあ、2005年)(ISBN 4-8356-1540-9)
- 叶精二『宮崎駿全書』(フィルムアート社、2006年)(ISBN 4845906872)
[編集] 関連DVD
- 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2001年)
- 『柳川掘割物語』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)
- 『ラセターさんありがとう』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)
- 『世界・わが心の旅 (2巻セット)』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)
- 『宮崎駿プロデュースの1枚のCDは、こうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)
- 『宮崎駿とジブリ美術館』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2005年)
[編集] その他
[編集] シナリオなしでのアニメ制作
制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて作品の構想を練り、シナリオなしで絵コンテと同時進行で作品を制作していくというアニメーター出身の宮崎の手法は、周囲から「アニメ界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」「制作要らずの宮さん」と呼ばれる程の超人的制作管理能力を持つ宮崎にして初めて可能な手法ではある。但し、まったくの白紙の状態から絵コンテを描くわけではない。ノートに、ストーリーの構成やアイディアを書いている。本人によれば、「一日中文字を書いていることもある」ということである。なお漫画制作においても、ネームも描かずに1コマ単位で描画・着彩を行っていると言われている。
[編集] 親族
テレビ東京系アド街ック天国2006年11月4日放送「大山・鶴巻温泉郷」によると、鶴巻温泉の旅館「陣屋」の女将は宮崎駿のいとこであり、幼少時によく一緒に遊んでいたという。一部引用「ここはその当時は本当にトトロのような世界だったんです。作品を見るとずっと私たちの思い出がみんな入ってるのねっていう感じなんです。」 この放送の3年前に『ハウルの動く城』の構想を練った場所でもある。
なお、この旅館と女将は『千と千尋の神隠し』の油屋や湯婆婆のモデルの一つという説もある。
TBS系王様のブランチ2006年12月9日放送分の温泉特集でも登場し、女将が「トトロのくすの木」や「源泉料理 湯バァ~葉」などを紹介していた。
[編集] 声優の起用
『紅の豚』以降はプロの声優を殆ど起用せず[2]、俳優、女優を起用する事が多い。この点に関して一部の非声優の演技力等について否定的な意見がある。もっとも、近年のタレント起用に関しては、宮崎以外のジブリ作品も同様であり、プロデューサーの鈴木敏夫の意向が強いとされている。鈴木は、海外メディアとのインタビューの中で「我々が欲しいのはコケティッシュな声ではない」という旨を述べている。
[編集] 日本のアニメ界への危機感
2002年のベルリン映画祭金熊賞受賞の際の記者会見のインタビューで「今の日本のアニメはどん詰まり」などと語った。1985年2月号のアニメ雑誌「アニメージュ」の押井守、河森正治との対談で「どんづまり」、1986年「ラピュタ」製作中に行ったアニメ雑誌記者との会見[3]でも「崖っぷち」と表現するなど、以前から、短時間・低予算で量産される日本のアニメ[4]に対して、危機感を抱き続けており、スタジオジブリのスタジオ運営では月給制を取っていたこともあった。
[編集] 嗜好品
愛飲する煙草の銘柄はチェリー、のちに健康を考えてマイルドセブン。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 宮崎が回想した戦争体験としては、疎開先の宇都宮が空襲を受け、叔父の運転するトラックで宮崎一家(駿は最年少者)が避難した際、子供を抱えた女性が「乗せてください」と追いすがってきたが、荷台がいっぱいであった為、親族はやり過ごした。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。
- ^ 『紅の豚』以前の『天空の城ラピュタ』でも主人公の少年パズー役に実際の少年を起用しようとしたといい、非声優の採用は早くから検討されていた。『天空の城ラピュタ』でプロの成人の女性声優を起用した(最終的にパズーを演じたのは田中真弓)のは演技力の問題であったという(『アニメージュ』徳間書店、1986年8月号)。
- ^ 「コミックボックス」に全録、「OUT」みのり書房、1986年8月号に抄録で掲載。
- ^ 手塚治虫が亡くなった時、漫画家としての手塚の業績を全面的に肯定した上で、アニメに携わる人間の立場から、アニメ作家としての手塚が日本のアニメーション史に果たした役割に痛烈な批判を加えた。(「コミックボックス」ふゅーじょん・ぷろだくと 1989年5月号)特にテレビアニメ草創期に、手塚が市場優位性を確立させるため、自社(虫プロダクション)制作番組を原価を割り込むほどの低価格で売り込んだことが、現在に至るまで日本のアニメ製作費が極めて低く抑えられる要因となったとして舌鋒鋭く批判した。発言は様々な議論を呼んだ。
[編集] 外部リンク
- スタジオジブリ
- 高畑勲・宮崎駿作品研究所
- くろねこ亭
- The Internet Movie Database: Hayao Miyazaki (英語)
- Nausicaa.net (英語)
- Online Ghibli (英語)
- Ghibli World(英語)
- 吉卜力之宮崎作品倶楽部 (中国語)
宮崎駿 監督作品 |
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長編作品 |
ルパン三世 カリオストロの城 | 風の谷のナウシカ | 天空の城ラピュタ | となりのトトロ | 魔女の宅急便 | 紅の豚 | もののけ姫 | 千と千尋の神隠し | ハウルの動く城 | 崖の上のポニョ |
テレビアニメーション |
ルパン三世(第1シリーズ) (一部) | 未来少年コナン | ルパン三世(第2シリーズ)(145・155話) | 名探偵ホームズ(3~5・9~11話) |
宮崎駿 主要参加作品 |
劇場用アニメーション映画 |
ガリバーの宇宙旅行 | 太陽の王子 ホルスの大冒険 | 長靴をはいた猫 | 空飛ぶゆうれい船 | どうぶつ宝島 | パンダコパンダ | パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 | 草原の子テングリ | 耳をすませば |
テレビアニメーション |
アルプスの少女ハイジ | 母をたずねて三千里 | 赤毛のアン(1~15話) |
長編作品 |
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天空の城ラピュタ | となりのトトロ | 火垂るの墓 | 魔女の宅急便 | おもひでぽろぽろ | 紅の豚 | 海がきこえる | 平成狸合戦ぽんぽこ | 耳をすませば | もののけ姫 | ホーホケキョ となりの山田くん | 千と千尋の神隠し | 猫の恩返し | ハウルの動く城 | ゲド戦記 | 崖の上のポニョ |
短編作品 |
On Your Mark | ギブリーズ | フィルムぐるぐる | くじらとり | コロの大さんぽ | めいとこねこバス | 空想の空飛ぶ機械達 | ギブリーズ episode2 | ポータブル空港 | space station No.9 | 空飛ぶ都市計画 | 水グモもんもん | 星をかった日 | やどさがし |
その他 |
三鷹の森ジブリ美術館 |