ヴァリグ・ブラジル航空
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ヴァリグ・ブラジル航空 | ||
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IATA RG |
ICAO VRG |
コールサイン Varig |
設立日 | 1927年 | |
ハブ空港 | サンパウロ・グアルーリョス国際空港 リオ・デ・ジャネイロ・アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港 |
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焦点都市 / 準ハブ空港 |
サンパウロ・コンゴーニャス国際空港 サルバドール国際空港 ブラジリアジュセリーノ・クビチェック国際空港 レシフェ・ガララペス国際空港 |
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マイレージサービス | Smiles(スマイルズ) | |
会員ラウンジ | Sala VIP | |
保有機材数 | 23機 | |
目的地 | -都市 | |
親会社 | Varig Logística S.A. | |
本拠地 | ブラジル リオグランデ・ド・スル州 ポルト・アレグレ | |
代表者 | Marcelo Bottini (CEO) | |
ウエブ: http://www.varig.com.br |
ヴァリグ・ブラジル航空(ヴァリグ・ブラジルこうくう、ポルトガル語による正式名称: Viação Aérea Rio-Grandense S/A, 以下ヴァリグと略称)は、ブラジルを代表する国際航空会社。日本語では稀に「バリグ」と書かれることがあるが、ブラジルでは「ヴァリギ」と発音する。
目次 |
[編集] 概要
[編集] ブラジル最古の航空会社
ブラジル最古の国際航空会社でかつてはブラジル国内のみならず、南アメリカで長年の間最大規模も誇っていた。ヴァリグの正式名称のうち「Rio-Grandense」はヴァリグの発祥・本拠地であるリオグランデ・ド・スル州(Rio Grande do Sul)の名前からとったもので、「リオグランデの航空会社」を意味する正式名称の各頭文字から作られた(余談であるが、かつて存在していた競合相手のヴァスピ・ブラジル航空も同様の方式で名づけられた。この場合、サンパウロ州によって設立されたため、「SP」はサンパウロを意味する)。
現在、新会社である通称「新ヴァリグ」(Nova Varig)に移行中で、正式名称も「Viação Aérea Rio-Grandense S/A」から「VRG Linhas Aéreas」に変更された。
ブラジル国内線の航空会社2社、リオスール航空とノルデステ航空を子会社とする。かつては両社とも別々の会社で、独自のIATA航空会社コードを持っていた(リオスール航空;SL、ノルデステ航空;JH)が、現在は両社運行便は全てRGに統一されている。また、ウルグアイのプルーナ航空の筆頭株主でもあり、ブラジル国内では「トロピカルホテル&リゾート」という高級ホテルチェーンを経営している。
[編集] 元スターアライアンス古参メンバー
スターアライアンスの一員として一時期、世界中にネットワークを広げていた。スターアライアンスには1997年10月26日に6番目の参加航空会社となった。設立メンバー(ユナイテッド航空、スカンジナビア航空、ルフトハンザドイツ航空、エアカナダ、タイ国際航空)以外で参加した初めての航空会社である。また、この時と同時にCIが実施され、創業以来70年以上続いた機材の塗装も一部を除き変更が行われた。(この時に機首に付けられていたイカロスマークが消され、現在はヴァリグ航空博物館(後述)で現物が、機内誌「Ícaro」の表紙でシルエットのみが見られる。)その後も社名や国名の「Brasil」の大きさ・位置を変更するなど数回のマイナーチェンジを行った。
ヴァリグ自身の経営悪化・再建により国際線を大幅に減らした為、スターアライアンスに必要なネットワークを維持できなくなり2007年1月31日限りで脱退した。
[編集] 歴史
[編集] 成り立ち
ヴァリグの創業は1927年5月7日のポルト・アレグレ商事会社にまで遡る事が出来る。このときドイツ移民、オットー・エルンスト・マイヤーがヴァリグを航空会社であると宣言する証明書に署名した。ヴァリグの最初の便はポルト・アレグレからブラジルのリオ・グランデへの便で、ペロタスに途中寄港した。
ヴァリグが初めて所有した飛行機は、9人乗客を定員とするアトランティコ9であった。これは当時最新鋭の機種のひとつであった。最初の社員ルーベン・ベルタは後にはヴァリグの社長となり、発展していく会社を長年にわたって指導した。ベルタは死去する1966年まで社長を務めた。
[編集] 拡大
第二次世界大戦以降は、ブラジルの経済成長に伴い国内線の拡張を進めるとともに世界中に路線を広げ、ボーイング707やダグラスDC-8、コンベア880などのジェット機を次々と導入し国際線に投入した。1960年代には、国際線を運行していたREAL航空を吸収合併し、同社の東京線やロサンゼルス線などの長距離国際線を拡大した他、1970年代には国内大手のクルゼイロ航空を傘下に収め、その後吸収合併するなど拡大路線を突き進んだ。
[編集] 倒産
1990年代前半まではブラジルで1位のシェアを持っていた(2位にヴァスピ・ブラジル航空、3位にトランスブラジル航空と続いた)が、香港線やバンコク線、コペンハーゲン線など採算の悪い長距離路線を多数運航するなど高コスト体質を改善できなかったことや、国内の幹線にTAMブラジル航空などのローカル航空会社や、ゴル航空などの格安航空会社が次々と参入してきたことから2005年6月にブラジルにおいて会社更生法の申立てを行い事実上倒産(同時にアメリカにおいても申立てを実施)した。
[編集] 現在
再建を目指しつつ運行は継続されている。しかし2006年6月には、航空機のリース料が払えないことが原因で経営危機が深刻となり、国際線の欠航率が6割を超えるなど苦難が続いている。そのため国際線を大幅に削減し、2007年1月現在、南アメリカ以外への自社運行の長距離国際線はフランクフルト線のみとなり、スターアライアンスメンバーとしての路線規模を保てなくなったため、2007年1月末でスターアライアンスから脱退を余儀なくされた。2007年3月28日、前出の格安航空会社であるゴル航空に2億7500万ドルで買収された。なお、ゴル航空の発表によると、運行はヴァリグ・ブラジル航空の名義で引き続き行われることになっている。
[編集] 運航機材
ヴァリグ・ブラジル航空の運航機材は以下の航空機で構成される (2006年12月現在):
- ボーイング767-300|767-300ER型機 2機
- ボーイング737-300型機 14機
- マクドネル・ダグラスMD-11型機 2機
- エアバスA340-300型機 2機(発注中)
[編集] 過去の運航機材(一部)
- ボーイング777型機
- ボーイング757型機
- ボーイング747/ -200C/-300C/-400
- ボーイング727
- ボーイング707
- ダグラスDC-8
- ダグラスDC-4B
- ダグラスDC-3
- コンベア990
- ロッキード・エレクトラ
- ロッキード・コンステレーション
- ダグラスDC-9
- カーチスC46
- エアバスA300
- フォッカー50型機
- マクドネル・ダグラスマクドネル・ダグラス DC-10-30F型機
長年ボーイング製機材を中心とした構成で運航されてきており、スターアライアンス加盟時にはエアバス機を1機も運航していなかった(これは他のスターアライアンス加盟会社でも見られない構成だった)。同じブラジルでもフォッカー及びエアバス機を中心に構成してきたTAMブラジル航空とは対照的であった。
過去にはボーイング777-200-200ERを欧米(ニューヨーク、ロンドン、パリ、アムステルダム)線に導入していた。このうちの2機に75周年記念塗装が施され、ヴァリグ創業者の名前が付けられていた。PP-VRAにはオットー・マイヤー、PP-VRBにはルーベン・ベルタという名称で、2006年時点でも塗装を戻さずに運航を続けていた。
[編集] フリークエント・フライヤー・プログラム
1994年6月に発足した入会無料のフリークエント・フライヤー・プログラムは「スマイルズ(Smiles)」と呼ばれ、ヴァリグ便をはじめとしたスターアライアンス加盟各社便、レンタカー、ホテルチェーンなどでマイルを貯めてスターアライアンス加盟各社の無料航空券、アップグレードの特典と交換できる。スターアライアンス加盟当時は、その広大なネットワークにより、「ラテンアメリカ最大のマイレージプログラム」と謳っていた。
上級会員資格制度があり、ヴァリグ航空(リオスール航空とノルデステ航空も含む)、プルーナ・ウルグアイ航空、スターアライアンス加盟各社によるマイル加算対象便で20,000マイルまたは25便でシルバー、50,000マイルまたは60便でゴールド、100,000マイルまたは100便でダイヤモンドに昇格されて、優先チェックイン・優先搭乗・ラウンジ入場・発券手数料免除などの優遇措置がある。この他にもオーナーズというインビテーションによる会員も存在した。
他社と違う点は、シルバー・ゴールド・ダイヤモンドの各上級会員の有効期限が「再来年の3月まで有効」と他社より倍以上長い(他社のマイレージは大半が1ヵ年有効)。さらに、12ヶ月間で上級会員の資格保持に必要な飛行マイルを加算できなかった場合は、他社は即普通会員にされてしまう所、1レベル下げられるだけで済む。その為、一度ダイヤモンドを取得すると少なくとも3年以上スターアライアンスゴールド会員を保持する事ができたが、ヴァリグ自体のスターアライアンス脱退により、再度特典交換することは不可能になった。
[編集] 日本乗り入れ
[編集] 高需要路線
日本への乗り入れは1968年に、それ以前に日本路線を運行していたREAL航空の路線権を引き継ぐ形で開始され、当初はボーイング707を使用し、サンパウロ発リオ・デ・ジャネイロ、リマ、ロサンゼルス経由で羽田空港まで運行された(サンパウロ-リオ・デ・ジャネイロ間は接続便での運行)。その後DC-10、ボーイング747と使用機材を変更し、最終的にリオデジャネイロよりMD-11で週4便(成田月・水・金・土曜発)、ロサンゼルス、サンパウロ経由成田国際空港に乗り入れていた。また、成田便を運行しない日は名古屋空港に乗り入れ(名古屋火・木・日曜発)、加えて貨物便も運行していた。
1往復するだけで2万マイルを超える世界有数の長距離路線であり、成田・名古屋からサンパウロまで24時間の所要時間を要した。またブラジルから日本に戻る場合は、チェックインの時間も含めると、成田・名古屋到着が翌々日になるというダイヤだった。日本とブラジル間の航空需要が旺盛で、高いロードファクターを記録していたこともあり、1990年代にはデイリー運行への増便を希望していたが、成田空港の発着枠制限もあり認められなかった。
また、1980年代以降は日本航空とのコードシェア便も運航していた(ヴァリグ機材)が、ANAがスターアライアンスに属すると、2002年にヴァリグの日本路線もANAとのコードシェア便に切り替えた。
[編集] 旅客便撤退
2004年1月18日までは、名古屋空港にも週3便で乗り入れ、成田空港への4便とあわせて日本路線をデイリー運行していたが、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ以降、ブラジル人にアメリカのトランジットビザ取得が義務付けられたことから乗客数が激減し名古屋線から撤退した。その後、同じく成田線の乗客が激減したこともあり、スイスのチューリッヒ経由での運行を申請したものの、日本とブラジルの航空当局の間で合意に至らず実現しなかった。なお、同路線の運行がヴァリグと全日空の共同運航になることが予定されていたこともあり、成田-チューリッヒ便を運行していた日本航空が強硬に反発したといわれている。
2005年6月の会社更生法の申立てを受けて不採算路線からの撤退を進めており、チューリッヒ経由線の申請却下を受けて8月には11月初旬を目処に日本路線から撤退する方向で検討を始め、10月には2006年1月13日をもって日本路線(旅客便)から撤退することが発表された。なお、成田空港の利用権を失わないために、旅客便の代わりに貨物便を就航させる予定で、同航空の日本支社も旅客路線の撤退後も引き続き営業を続ける予定であった。
成田空港に乗り入れる京成電鉄の全車両には成田空港を発着する各航空会社の一覧表が掲示されている。日本路線から撤退した後も「現在運休中」の注記をつけて、現在でも発着航空会社の一つとして記載されているが同社の空港内オフィスは既に閉鎖されており復便の目処は立っていない(2007年3月現在)。
[編集] 特別運行
セレソン(サッカーブラジル代表)のオフィシャルエアラインであるため、FIFAワールドカップ開催年には必ず特別塗装機を運航している。この他にも1994年にイタリアで事故死したF1ドライバーのアイルトン・セナの遺体搬送や、第二次世界大戦時の大統領ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスからフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ前大統領まで歴代の大統領の移動に使用された実績がある。
[編集] 航空事故
ヴァリグは1970年以降、死亡者を出した航空事故を4回起こしている。
- 1973年7月11日:ボーイング707がフランス・パリ近郊に前部トイレからの火災により不時着陸を余儀なくされた。死者123名。
- 1979年1月30日:ボーイング707F貨物機が成田空港を離陸後、太平洋上で行方不明になる。5人の乗員が死亡。2006年現在、成田国際空港発着便としては唯一の全損事故である。
- 1987年1月3日:ボーイング707がコートジボワール・アビジャン近郊、エンジン故障、死者50名。
- 1989年9月3日:ボーイング737。ブラジル・マトグロッソ州サンジョゼドシングー(São José do Xingu)近郊。パイロットの操縦ミスにより燃料不足を起こし、ジャングルへの着陸を余儀なくされた。乗客48名のうち12名が衝突により死亡。生存者は2日後に救助された。
[編集] ランクA
Air Ranking Online[1]によれば、ヴァリグの安全性はもっとも高い「A」にランクされる。ランキングは1900年以降の、100万フライトあたりの致命的な事故の数をもとに、累積により計算される。
[編集] ヴァリグ航空博物館
ヴァリグ航空の本拠地ポルト・アレグレ空港のメンテナンス地域内に、ヴァリグの歴史を集めたヴァリグ航空博物館(Museu da Varig)がある。発足当時の資料から、歴代保有機材のパネル写真、1950年代のフライトシミュレータなどが展示されている。屋外には過去の保有機材の一つであるDC-3が静態保存されており、自由に客室やコクピットに入ることが出来る。
入場料は無料だが、メンテナンス区域の警備員に身分証明書の提示と金属探知機の通過が必要。また、メンテナンス工場内の撮影は厳禁だが、DC-3や博物館の資料に関しては撮影可能である。(参考)
この博物館はかつてテレビ東京の番組Boarding世界のエアライン内で紹介された(DVD「Boarding世界のエアラインVol.9」にも収録)。