塩原恒夫
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塩原 恒夫(しおばら つねお、1963年6月12日 - )は、昭和後期・平成期(1980年代後半~)のフジテレビアナウンサー。
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[編集] 人物概要
福島県会津若松市出身。実家は酒屋さんであるが、苦手なものは“酒”である。福島県立会津高等学校から埼玉大学教養学部卒業後、1987年入社。
2006北海道マラソンでは、歴史の残る名実況をし、レースを側面から大いに盛り上げた 優勝は男子渡辺共則(旭化成)女子吉田香織(当時資生堂RC 現セカンドウィンドAC) 他に競馬やF1、フィギュアスケート女子シングルなどの実況を担当。しかしフィギュアスケートにおいて駄洒落を多用したり、セクハラ的な目線で語られる実況には度々批判の声があがっている。2007年1月23日発売の「週刊アサヒ芸能」(徳間書店)に、塩原恒夫アナ「女子フィギュア『セクハラ実況』に大ブーイング」と題した批判記事が掲載された程である。しかし、その独特な実況ゆえに、どんな言葉が飛び出してくるのかを楽しみに観戦しているファンも存在する。 1999年には第15回FNSアナウンス大賞の大賞を受賞している。
[編集] 出演番組
- 北海道マラソン2006(スタート、ゴール実況)男子渡辺共則(旭化成)女子吉田香織(当時資生堂現セカンドウィンドAC)が30度を超える酷暑の中優勝を収めたレース。千葉真子選手の引退レースとしても注目された
- プロ野球ニュース(不定期)
- BASEBALL SPECIAL~野球道~
- SWALLOWS BASEBALL L!VE
- スーパー競馬(2005年には念願の日本ダービーを初実況したが、過去1998年の天皇賞(秋)を実況しており、サイレンススズカの悲劇を目の当たりにした)
- F1グランプリ(2004年アメリカGP・佐藤琢磨3位表彰台獲得(日本人タイ記録)のレースを実況)
- 国際千葉駅伝(女子メイン実況)
- トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~(「トリビアの種」で実況がある場合の担当)
- シネマホリック(CS,日本映画専門チャンネル)
[編集] ポエム実況集
- 「大会史上過去最大およそ4500人が刻んでいく勇気の抒情詩、それぞれの思いがうねりとなって
札幌の街へ飛び出していきました」(2006年 北海道マラソン スタート時実況)
- 「いよいよ女子のフィニッシュゾーンへ入ってきました吉田香織です。
ようやく迎えた初マラソンでそして掴み取る優勝のフィニッシュテープが近づいてくる胸を張る、最後の力を 振り絞るナンバーカード43番吉田香織、ピンクのユニホームとともにネールアートも 勝負のピンクの染めて」(北海道マラソン2006 女子優勝吉田香織選手(当時資生堂現セカンドウィンドAC 所属)のゴールシーン)
- 「見事に決めたぞ!逃亡者!ツインターボ!」(1993年オールカマー、優勝:ツインターボ)
- 「菊花賞馬の弟が兄の雪辱をこの朝日杯で果たしました!」(1993年朝日杯3歳ステークス、優勝:ナリタブライアン。兄のビワハヤヒデが前年に2着に敗れた事から)
- 「94、秋のG1ストーリーはまだ始まったばかり!」(1994年オールカマー、優勝:ビワハヤヒデ)
- 「さあ、小島太!これが最後の愛のムチ!これが最後の愛のムチ!」(1994年スプリンターズステークス、優勝:サクラバクシンオー)
- 「新春一番サクラが咲いた!サクラローレル!」(1995年金杯(東)、優勝:サクラローレル)
- 「サンデーサイレンス!社台の勝負服!そしてシャドーロールと岡部幸雄!春のクラシックの合い言葉がそろいました!バブルガムフェローです!」(1995年朝日杯3歳ステークス、優勝:バブルガムフェロー)
- 「さあ来週走るバブルガムはどのように見つめていたんでしょうか!」(1996年若葉ステークス、優勝:ミナモトマリノス)
- 「母と娘が13年の時を経て、ターフに夢をつなぎました!エアグルーヴです!」(1996年オークス、優勝:エアグルーヴ。母のダイナカールは1983年の優勝馬)
- 「初代ダート王はシンコウウインディ~!岡部幸雄とこの真っ黒な勝負服!ダート王にふさわしい雄姿が今、東京競馬場に舞っています!」(1997年フェブラリーステークス、優勝:シンコウウインディ)
- 「もやの向こうに広がる東京砂漠、オアシスか?蜃気楼か? (中略)勝ったのは金杯ホース、グルメフロンティア!岡部幸雄と田中清隆厩舎!今年もフェブラリーを制しました!」(1998年フェブラリーステークス、優勝:グルメフロンティア)
- 「きさらぎ・弥生で皐月が見えたか!?」(1998年弥生賞、優勝:スペシャルウィーク)
- 「第3コーナー、飛ばしに飛ばしてサイレンススズカ、武豊がいっている(中略)大ケヤキの向こうを過ぎていきました、サイレンススズカさぁ、予定より緩めてああちょっとここで手ごたえがどうなんだ?ちょっとここで抑えるような格好、あぁ、ちょっと!!サイレンススズカ!サイレンススズカに故障発生です!何ということだ!4コーナーを迎えることなく、レースを終えた武豊!沈黙の日曜日!」(1998年天皇賞・秋、優勝:オフサイドトラップ サイレンススズカの悲劇となったレース)
- 「そして武豊にしてみれば1年遅れの天皇賞・秋1着でのゴールです!」(1999年天皇賞・秋、優勝:スペシャルウィーク)
- 「この走り!明日の芝2000メートルで見たかった!」(2001年武蔵野ステークス、優勝、クロフネ)
- 「これならば納得でしょう、クロフネ陣営も!アグネスデジタルです!」(2001年天皇賞・秋、優勝、アグネスデジタル)
- 「理由なき反抗とは言わないでくれ!ノーリーズン!」(2002年皐月賞、優勝:ノーリーズン)
- 「未来に向けてニッコリ笑顔が飛び出しました!」(2002年オークス、優勝:スマイルトゥモロー)
- 「15年前にすでに決まっていた10歳の少年のFuture。16年目の大舞台で掴み取った7番目のポジション。すべてはこれからの53周に秘められた運命の伏線。中嶋第一歩の勇気が、亜久里表彰台の栄光が、今サムライ魂の追い風となる。信じて見つめるすべての人にきっと訪れる約束の瞬間。2002年F1最終戦日本グランプリ、シグナルが日の丸から今ブラックアウトー!」(2002年、佐藤琢磨参戦のF1・日本グランプリ、スタート実況)
- 「この10年の時を経て巡り会ったのは2冠馬との出会い!」(2003年オークス、優勝:スティルインラブ)
- 「2400逃げ切るとはこういう事だ!魅せてくれた仮柵沿い!タップダンスシチーです!」(2003年ジャパンカップ、優勝:タップダンスシチー)
- 「ユナイテット・ステイツ・オブ・琢磨、27歳の合衆国は決勝73周をはたしてどうまとめ上げるんでしょうか。果たされないままに時が過ぎたポディウムの約束に、もうハードラックはいらない。頭上にともなるシグナルファイブレットスターに願いを込めて、いま1コーナーにスタートを切っていくぅ!」(2004年、佐藤琢磨参戦のF1アメリカグランプリ、スタート実況)
- 「運命の人と出会って乱れた心は、やがて愛の化学反応」(2004年フィギュアスケート世界選手権 荒川静香選手の演技に)
- 「右の肩には黒い薔薇、ライトショルダー、ブラックローズ」(2005年フィギュアスケート世界選手権 安藤美姫選手の演技前に)
- 「武豊、三冠馬との巡り会い!まずは皐月、第1関門突破です!」(2005年皐月賞、優勝:ディープインパクト)
- 「さあ飛んだ!飛行機か?UFOか?いやいや違う、ディープインパクトと武豊だっ!」(馬場入場時)「競馬を愛するすべての人に、日本ダービー、衝撃!(中略)大勢、全く変わらない!このスピード、そして、この強さ!ついに決めた13年ぶり!無敗の二冠馬誕生!そして、秋の京都へ衝撃は引き継がれます!!」(2005年日本ダービー、優勝:ディープインパクト)
- 「スタンドに集まった15万人の大観衆の興奮は今、リアルタイムで加速して行く!!」(2005年、フジテレビ日本グランプリのオープニング)
- 「クリスマスに一人ぼっちなんて嫌だ。そんな貴方に、くるくる回る『くるみ割り人形』」(フィギュアスケート2005年全日本選手権 浅田真央選手の演技で)
- 「きよしこの夜思いを胸に、アダルトミキティ、マイファニーバレンタイン」(フィギュアスケート2005年全日本選手権 安藤美姫選手の演技前に)
- 「本気になった女王に、手に入らないものは何もない!」(フィギュアスケート2005年全日本選手権 荒川静香選手の演技で)
- 「メダルを逃したトリノの夜に、イタリアの月の光は彼女に告げました。『カルガリーへ行け』」(2006年フィギュアスケート世界選手権 村主章枝選手の演技で)
- 「お姉さんのサラに続いて、おいでよエミリー…、メダリストクラブへ」(2006年フィギュアスケート世界選手権 エミリー・ヒューズ選手の演技前に)
- 「私に下さい、メープルの勇気」(2006年フィギュアスケート世界選手権 カナダのジョアニー・ロシェット選手の演技で)
- 「そして気持ちを落ち着けて、集中していく!コンセントレーションを高めていくサーシャ!」(2006年フィギュアスケート世界選手権 サーシャ・コーエン選手の演技前に)
- 「サクセスイマジネーションでのぞまなければいけない!しかもこの技は、彼女にしかできないバーティカルリミット!これはもう氷に対する垂直の限界!」(2006年フィギュアスケート世界選手権 サーシャ・コーエン選手の演技中に)
- 「抜け出した、メイショウサムソン抜け出した、メイショウサムソン抜け出した、2冠に向けて!(中略)メイショウサムソン2冠達成、皐月、ダービー決めました!瀬戸口厩舎、有終の2冠達成!」(2006年日本ダービー、優勝:メイショウサムソン)
- 「完全に抜け出しているディープインパクト、ディープインパクト!そして2番手ドリームパスポート、3番手にウィジャボード上がってきた。先頭ディープ、ディープインパクト~!勇気の翼を一杯に広げてディープインパクト~!!凱旋のジャパンカップ!見事に溜まりに溜まったこの悔しさを弾けさせてくれました!これで暮れの有馬が本当に楽しみ!ディープインパクト、期待に応える最後の直線!見事なレースぶりでした!」(2006年ジャパンカップ、優勝:ディープインパクト)
- 「ピアノの音に誘われて覗き見た教室に、少女の面影が舞う」(2006年全日本フィギュアスケート選手権 浅田真央選手の演技開始前に)
- 「あんなことも、こんなことも出来ちゃう真央ちゃん…」(2006年全日本フィギュアスケート選手権 浅田真央選手の演技中に)
- 「真央は真央より出でて真央より強し」(2006年全日本フィギュアスケート選手権 浅田真央選手の演技終了後に)
- 「真央と美姫、あなたはどちらの色に染まりますか?」(2006年全日本フィギュアスケート選手権 ウォームアップで)
- 「まるでショパンが真央ちゃんのためにこの曲(=ノクターン)を書いたかのような、そんな見事な選曲です!」(フィギュアスケート2006年全日本選手権 浅田真央選手のSP演技実況にて)
- 「姉の魅力にまいっちんぐ、浅田舞」(2006年 全日本フィギュアスケート選手権 浅田舞選手のウォームアップ中に)
- 「ミキティロワイヤル」(2006年 全日本フィギュアスケート選手権 安藤美姫選手の演技前に)
- 「悔し涙はさらなる大舞台に残して、織田信成の進軍は続く」(2006年 メダリストオンアイス 織田信成選手の紹介で)
- 「村主のフィニッシュにスタンディングオーべーション、一部から上がりました」(2006年 メダリストオンアイス 村主章枝選手の演技後に)
- 「世界が目を見張る歴史のプラットライン、祖先の夢を引き継いで」(2006年 メダリストオンアイス 織田信成選手の演技開始前に)
- 「こんなゴージャスな舞台を用意してもらって、手などを抜いたら信長様に叱られる」(2006年 メダリストオンアイス 織田信成選手の演技後に)
- 「お待たせしました、真央ちゃんカンタービレ」(2006年 メダリストオンアイス 浅田真央選手の演技開始前に)
- 「浅田真央の瞳を覆ったティアーズスクリーン、涙の幕は、若さで拭い去りました」(2006年 メダリストオンアイス 浅田真央選手の演技後に)
- 「これが真央の青春だ!」 (2007年 世界フィギュアスケート選手権 浅田真央選手のフリー演技終了後にて)
[編集] 競馬GI実況歴
- フェブラリーステークス - 1997年~1999年
- 皐月賞 - 2000年~2005年
- オークス - 1996年~2003年
- 日本ダービー - 2005年~
- 安田記念 - 1992年、1994年~1995年、2004年
- スプリンターズステークス - 1992年、1994年
- 天皇賞・秋 - 1995年、1998年~2005年
- ジャパンカップ - 2002年~2003年、2006年
- 朝日杯フューチュリティステークス(旧・朝日杯3歳ステークス) - 1991年、1993年、1995年~1996年、1998年~1999年、2004年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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