岩手県立盛岡第一高等学校
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岩手県立盛岡第一高等学校 | |
過去の名称 | 公立岩手中学校 岩手県尋常中学校 岩手県盛岡尋常中学校 岩手県盛岡中学校 岩手県立盛岡中学校 岩手県立盛岡第一高等学校 岩手県立盛岡高等学校 |
創立 | 1880年 5月13日 |
校長 | 鈴木文雄 2005年 4月1日~ |
設置課程 | 全日制普通科 全日制理数科 |
所在地 | 〒020-8515 (住所記載不要) 岩手県盛岡市上田3-2-1 |
地理情報 | 北緯39度42分48秒 東経141度08分32秒 (世界測地系) 標高132m |
電話番号 | 019-623-4491 019-654-4227 (FAX) |
外部リンク | 公式サイト |
岩手県立 盛岡第一高等学校(いわてけんりつ もりおかだいいちこうとうがっこう)は、日本の岩手県盛岡市上田にある県立高等学校。男女共学。
目次 |
[編集] 概要
同校の起源は1880年に創設された「公立岩手中学校」に端を発し、県内の高等学校の中では最も長い歴史を有する。東北地方を代表する進学校のひとつであるとともに創設以来多くの著名人を輩出してきた。
よく使われる略称は「一高(いちこー)」だが「盛岡一高(もりおかいちこう)」「盛一(もりいち)」と呼ばれる事もある。
同校は元来男子校として設立された経緯があるため、1950年の共学化以降も女子生徒の比率は低かったが、現在はその比率の違いもあまり目立たなくなってきている。1990年代までには、男子のみのクラス(旧来関係者のなかでは男クラと称して親しまれてきた。)も消滅している。
また、同校には全国的に見ても少ないバンカラの應援団があり、全校生徒による選挙で選出された應援委員が中心となって日夜應援(※1)練習に励んでいる。新入生は入学してから約1週間、校歌など13曲を、覚えるまで、暗闇の中、この應援委員達に指導(※2)される。同校では生徒全員を「應援團(応援団)」と位置づけ、その中核を「應援委員」、全校應援練習の場で新入生の指導にあたる三年生の有志を「團有志」、クラスで新入生の指導にあたる二年生の有志を「指導有志」と定義している。こうした経験を分かつ生徒とOB同士の団結も固く、高校野球など、各種大会の應援には制服と制帽に身を包んだ黒一色の應援團が登場する。尚、同校の校歌の旋律には、軍艦マーチが採用されている。この校歌は1908年に在校していた伊藤九万一氏によって作詞され、選曲は同じく当時在校していた佐香貞次郎氏によって行われた。
同校には「自彊(じきょう)寮」と呼ばれる寄宿舎(男子用)があり、遠隔地に住む生徒も住居の心配をせずに学習ができる。県の補助を受けている寮費は夏期3万5000円、冬季3万6000円(1ヶ月あたり。いずれも、光熱費・三食込み)と安価なため、自宅からの通学が可能な生徒も利用している。この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでおり、その時代には宮沢賢治も利用した(旧制中学が少なかった時代には公立でもこうした寄宿舎を持つ学校は珍しくなかったが、今日までその制度が受け継がれている例は少ない)。
同校の行事「運動会」では、1年生の男子によって“猛者踊り”と呼ばれる仮装ダンスが行われている。この踊りは、土着民族のたくましさを表現したもので、頭髪をモヒカン刈りにし、全身に塗料を塗るなどして奇声をあげながら踊る。このダンスは、かつて“土人踊り”と呼ばれていたが、1988年に生徒から人種差別との批判が起こった。これは、服装が「腰みの」「わらじ」「竹の棒」で、塗料も黒であるなど、特定の民族を想起させるものであったためで、黒人人権擁護団体からも苦情が寄せられた。だが、伝統行事であったために、直ちに廃止・改称などは行わず、継続的な議論が行われることとなった。その模様は地方紙岩手日報を始めAERAやNHKニュースなどで頻繁に取り上げられた。最終的には1993年その名を猛者踊りと改称し、塗料は茶・緑・赤・青のみを使用する事で存続を果たした。
2000年10月には校舎が建て替えられた。総工費は約24億8700万円。5階建てで、最新式屈折望遠鏡を備えた天体ドームや、屋内温水プールが設置されている。また、ソーラーシステムも導入されていて、地球環境に配慮した設計になっている。
2005年度より、少子化に伴う岩手県教育委員会の県立高等学校新整備計画の対象となり、クラス数が1学年8クラス(普通科7:理数科1)から7クラス(普通科6:理数科1)に削減されたが、2006年度から、再び従来の1学年8クラス(普通科7:理数科1)となった。
2006年、3年生の一部に対し学習指導要領で必修とされている世界史の授業などを行っていなかったことが判明した。
※1:同校では応援を應援、応援団を應援團と旧字体で表記するのが伝統である。
※2:この應援練習の模様は、同校放送委員会の制作した「一年生の七週間(第50回NHK杯全国高校放送コンテスト全国大会準優勝)」という番組を観ると良く分かるので、参考にされたい。
[編集] 校訓
- 忠實自彊(ちゅうじつじきょう)
- 質実剛健(しつじつごうけん)
[編集] 教育目標
- 時代の先駆者として、社会に広く貢献する人間を育成する
- 高い知性と教養を身につけた人間を育成する
- たくましい精神力と思いやりの心を兼ね備えた人間を育成する
- 強健な身体と豊かな感性をあわせ持った人間を育成する
[編集] 重点目標
- 勉学に真摯に取り組む体制を確立する
- 文武両道の校風を確立する
- 自律性を持った自主的人間を育成する
- 基本的生活習慣を積極的に身につける気風を確立する
[編集] 履修漏れ
- 詳細は高等学校必履修科目未履修問題を参照
2006年度の3年生192名が、地理歴史教科で必修の2科目のうち1科目しか履修していないことが発覚した。このままでは単位不足で卒業できない可能性もあるという。
[編集] 沿革
- 1880年 「公立岩手中学校」として盛岡市内丸に設立(8級4年制)、6月15日開校、9月9日専修科(6級3年制)設立
- 1885年 盛岡市内丸に校舎新築
- 1886年 「岩手県尋常中学校」と改称(5年制)
- 1897年 「岩手県盛岡尋常中学校」と改称
- 1899年 「岩手県盛岡中学校」と改称
- 1901年 「岩手県立盛岡中学校」と改称
- 1902年 創立記念運動会開催
- 1908年 校歌・校旗制定
- 1917年 内丸校舎から現在地に移転
- 1925年 白堊同窓会設立
- 1947年 「岩手県立盛岡中学校併設中学校」開設
- 1948年 「岩手県立盛岡第一高等学校」と改称
- 1949年 定時制(不来方・雫石・好摩)および通信制を置く。盛岡二高・盛岡商業高を統合し「岩手県立盛岡高等学校」上田校舎と改称。
- 1950年 男女共学化
- 1951年 統合を解いて、上田校舎を「岩手県立盛岡第一高等学校」と改称
- 1961年 先代校舎落成
- 1964年 一本木教室開設
- 1964年 一本木教室を分校に昇格。
- 1968年 雫石高等学校の独立に伴い雫石分校(定時制)廃止。通信制を杜陵高等学校に移す。
- 1969年 理数科設置
- 1971年 定時制中心校閉校
- 1978年 好摩分校閉校
- 1980年 創立100周年、白堊の翼(海外派遣事業)開始
- 1986年 現第一体育館落成
- 1995年 一本木分校閉校
- 1999年 現校舎使用開始
[編集] 設置課程
※平成19年度から、全日制普通・理数科に改変。(くくり募集)
[編集] 進路状況
主な大学合格者数 (2007(平成19)年3月卒業生)
2007(平成19)年3月23日現在 国公立大学199名,私立大学261名,その他(大学校等)2名
国公立大学 旭川医科大学2,北海道大学7,北海道教育大学函館校1,室蘭工業大学1,弘前大学10,岩手大学29,東北大学55,宮城教育大学5,秋田大学5,山形大学10,福島大学7,茨城大学3,筑波大学3,埼玉大学5,千葉大学4,東京大学15,東京外国語大学2,東京学芸大学4,東京農工大学1,一橋大学1,横浜国立大学6,新潟大学4,静岡大学1,名古屋大学1,京都大学1,公立はこだて未来大学1,岩手県立大学5,秋田県立大学1,福島県立医科大学1,高崎経済大学2,首都大学東京2,横浜市立大学2,都留文科大学1,兵庫県立大学1
私立大学・その他 酪農学園大学1,岩手医科大学11,東北薬科大学1,自治医科大学1,獨協医科大学 1,青山学院大学6,北里大学3,慶應義塾大学11,国際基督教大学1,上智大学1,成蹊大学6,成城大学2,専修大学2,多摩美術大学3,中央大学31,津田塾大学1,東海大学5,東京音楽大学1,東京女子大学3,東京理科大学26,日本大学14,日本女子大学3,法政大学12,武蔵野美術大学1,明治大学23,明治学院大学2,明治薬科大学2,立教大学3,早稲田大学24,聖マリアンナ医科大学1,東京工芸大学1,同志社大学1,立命館大学4,川崎医科大学1,産業医科大学1,防衛大学校1
※公式HPより引用
[編集] 部活動
運動部
弓道、剣道、硬式野球(男子)、サッカー(男子)、柔道、水泳、スキー、ソフトテニス、卓球、テニス、登山、軟式野球(男子)、バスケットボール、バドミントン、バレーボール、ハンドボール(男子)、ラグビー(男子)、陸上競技
文化部・同好会
- 毎年、全国高総文祭等で上位入賞している。以下、一覧。
囲碁将棋、英語、演劇、音楽、化学、軽音楽、社会科学研究、写真、書道、新聞、吹奏楽、生物、茶華道、天文、美術、物理、文学研究、無線、アニメーション研究、かるた、シミュレーション、ダンス、地学研究、倫理研究
委員会
- 特色ある活動を行っている。以下、一覧。
應援、放送、白堊(生徒会誌)編集
[編集] アクセス
[編集] 主な行事
4月
- 入学式
→毎年、應援委員が校歌を披露し、新入生とその保護者は迫力に圧倒される。
5月
- 大運動会
→創立を記念して行われるこの行事は、「リレー」は勿論、「一高式綱引き」「棒倒し」「アリさんとドーナツ」「猛者踊り」など、同校独自の競技が行われる。ケガ人が出ることもまれではなく、会場には常に担架が用意されている。
6月
- スポーツ祭
→球技を中心として行われる、クラス対抗の大会。この行事を経て、クラスの団結が強まる。
9月
→各部の研究成果の発表を始め、模擬店出店が行われる。
[編集] 一般公開について
- 開かれた学校作りを進めるため、日にちを限って学校を一般に公開している。以下、日程。
- 星を観る会
→最新式屈折望遠鏡の一般公開を行う。毎年7月頃と10月頃に行われ、在校生による説明・著名人を招いての講演会も行われる。
- 学校へ行こう週間
→日常的な学校生活の参観を目的としている。毎年11月頃に行われる。
- 白堊祭
→上記「主な行事」参照のこと。
- 大運動会
→上記「主な行事」参照のこと。
※詳細は、公式HPをご覧になるか、直接お問い合わせ下さい。
[編集] 同窓会
[編集] 著名な出身者
- 米内光政- 軍人、海軍大将、第37代内閣総理大臣
- 及川古志郎- 軍人、海軍大将
- 多田武雄- 軍人、海軍中将、実質最後の海軍次官 / 東京府立一中へ転校
- 野村胡堂- 小説家・音楽評論家
- 金田一京助- 言語学者・国語学者
- 久慈次郎- 野球選手、野球殿堂
- 板垣征四郎-軍人 、陸軍大将・A級戦犯
- 石川啄木- 歌人・詩人 ※中退
- 小野清一郎- 法学者(刑法)・東京大学名誉教授・文化勲章受章者
- 夏井高人- 法学者(サイバー法、コンピュータ法)・明治大学法学部教授
- 佐藤得二- 直木賞作家
- 山口青邨- 俳人
- 宮沢賢治- 詩人・児童文学者
- 舟越保武- 彫刻家
- 達増拓也- 政治家
- 玉澤徳一郎- 政治家
- 佐々木収- ミュージシャン、(SCRIPT・元MOON CHILD)
- 森荘巳池- 直木賞作家
- 穀田恵二- 日本共産党
- 小松正之- 官僚、国際捕鯨委員会日本代表代行
- 高橋研- シンガーソングライター・音楽プロデューサー
- 久美沙織- 小説家
- 松本竣介- 洋画家
- 野辺地慶三- 公衆衛生学者
- 八重樫茂生- サッカー選手、日本サッカー殿堂