東急3000系電車 (2代)
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3000系電車(3000けいでんしゃ)は、東京急行電鉄の通勤形電車。
[編集] 概要
「すべてにやさしく美しい車両」をコンセプトに、また2000年(平成12年)9月26日からの目黒線の帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)南北線、東京都交通局(都営地下鉄)三田線との直通運転に対応する車両として設計・製造された。
当初計画では9000系を改造して対応させる予定(ホームセンサー方式でのワンマン運転計画であったため)だったが、改造するより新造したほうがコストが安かったのと、またホームドア方式への計画変更により9000系ではワンマン運転対応しにくくなったため新造されたのがこの系列である。
量産先行車の第1編成(3101F)は当初8両編成で落成し、1999年4月16日から2000年1月までの間に一時的に東横線をおもに急行運用(ただし早朝・深夜およびダイヤが乱れた際には各停運用も行った)で走行していた。その後も2003年7月20日の臨時列車「横浜みなと祭花火号」で同線に乗り入れた。2000年に6両に組み替えると共に余剰となった中間車2両は第2編成(3102F)に連結して目黒線で使用されている。また量産車の第3~13編成は当初から6両編成で落成した。第2編成以降は第1編成と変更点がある。
- スカートの欠きが小さくなった。
- 急行標識灯を廃止した。
目蒲線の目黒線と東急多摩川線の分割に伴い、2000年8月6日より目黒線で本格的に運用を開始した。
2006年現在、6両編成13本(78両)が元住吉検車区に在籍し、5080系と共通に運用されている。
2006年9月の目黒線内での急行運転開始に伴い、前面・側面の行先表示器に列車種別を表示するようになった(後述)。なお第1編成は先述の東横線急行運用時にも種別表示をしていた。
また、東急で3000系を名乗る形式はこれが2代目であることから一部の鉄道ファンの間では「新3000系」と呼ばれることがある。旧3000系と同じくデハ3200形、デハ3250形、デハ3400形が存在する。
[編集] 仕様・特徴
- 電動車(M)3両、付随車(T)3両のMT比3M3Tの6両編成。
- 20m級でビートのない軽量ステンレス鋼製構体。
- 4ドア・ロングシート(片持ち式)。7人掛け座席は3+4人にスタンションポールで仕切られている。座席の色は赤系(背)と茶系(座面)である。袖仕切りも暖色系である。
- 東急の新造車両で初めてIGBT素子使用のVVVFインバータ制御を採用した。車両番号末尾が奇数の編成は日立製作所製、偶数の編成は東芝製を搭載する。
- ATC・ATO・TASC(停車位置自動制御機能)を搭載。また、長津田工場入場の際に大井町線内を走行するため東急形ATSも搭載している。
- 東急の車両で初めて三角形のつり革および一部低いつり革、千鳥配置の2段LED式の旅客案内表示器を採用した。その後、同型の表示器は8500系・9000系・1000系の一部と2000系にも取り付けられ、低いつり革は新5000系や9000系車内更新車の一部でも採用された。
- ホームドアとの連動機能がある。
- ホームの監視用テレビカメラ映像の無線伝送受信機能がある。
- 戸閉め弱め機能搭載。
- 行先表示器はゴシック体のLED式で、目黒線上り(目黒方面)運転時は終着駅名と乗り入れ先の路線名を同時に表示していた(「三田線」もしくは「南北線埼玉線」)。この表示は目黒到着時に終着駅名表示のみとしている。急行運転開始後は、路線名表示に代わって種別を表示するようにした。ただし、白金高輪始発の三田線内発着・南北線内発着の場合は通常表示を行う。これは5080系も同様である。
- 側扉は室内側に化粧板を貼り付けられたが新5000系では再びステンレス地に戻っている。側扉窓室内側は段差のある金属支持である。
- 乗務員室仕切りは前面窓と同じような窓割である。客室から見て左側の大窓と乗務員室扉窓は色が付けられている。
- 妻面は乗務員室仕切りを含め化粧板が無地の暖色系(淡いピンク色)である。
- 車端部貫通路にも同様の化粧板が貼り付けられている。なお、貫通路窓の支持方式は側扉とは異なる。
- 車内放送装置には従来通り自動放送装置が搭載されたがこの3000系より英語放送が追加されている。
- 冷房装置は東急の車両として初めて集中式を採用した。
- 運転台は従来車同様T字形ワンハンドルマスコン、速度計は120km/h表示である。
- 編成図(左が目黒方)
- クハ3000形(1号車)-デハ3250形-デハ3200形-サハ3500形-デハ3400形-クハ3100形(6号車)