辛光洙
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辛光洙 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 신광수 |
漢字: | 辛光洙 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
シン・グァンス |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Shin, Gwang-soo |
辛光洙(シン グァンス、1929年6月27日 - )は韓国の政治犯。日本人拉致に関わった北朝鮮のスパイだった。
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[編集] 人物
静岡県新居町出身。日本名は「立山富蔵」(たてやまとみぞう)。太平洋戦争終結後に北朝鮮に移住。1950年に北朝鮮義勇軍に志願入隊。1954年にブカレスト工業大学予科入学、その後機械学部を卒業、技師資格を取得。日本語、英語、朝鮮語、ロシア語など4ヶ国語を話す。
1973年に能登半島から日本国内に不法入国し、以後東京、京都や大阪に居住、また拠点とし対南工作を行っていた。そして、1980年6月に宮崎県青島海岸で大阪府に住んでいた日本人調理師を拉致、同人になりすまして海外渡航を繰り返していたが、1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕された。当初は死刑判決を受けたが後に無期懲役に減刑。1999年12月31日、ミレニアム恩赦で釈放され、2000年9月2日、「非転向長期囚」として北朝鮮に送還された。
2005年12月30日、先に述べた調理師以外にも、現在帰国している一部の被害者や、新潟県新潟市で拉致された13歳の女子中学生等の拉致に、辛光洙と「朴」と名乗っていたチェ・スンチョルが実行犯として関わっていたことが明らかにされた。日本の警察は2006年2月23日、国外移送目的略取と国外移送の疑いで再度逮捕状を取得、同3月3日、重ねて辛光洙を国際指名手配し、北朝鮮に身柄の引き渡しを求めている。
[編集] 在日韓国人政治犯釈放の要望書について
1989年、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人の政治犯29名について、韓国当局に対して釈放を求めるという趣旨の要望書が、当時の日本社会党、社民連、公明党、無所属の議員有志ら133名の署名とともに韓国政府に提出された。このとき釈放要望対象となった政治犯29名の中に辛光洙の名が含まれていたため、金正日が北朝鮮による日本人拉致問題を認めた2002年9月以降、署名した国会議員らについて、安倍晋三などの保守派政治家が非難した。しかしこの批判については公明党や日本共産党などから
- 当時の日本国内での政治犯釈放要求運動の対象はもっぱら、徐勝・徐俊植兄弟の救援であった。当時の日本国内における北朝鮮による日本人拉致問題の認識は「北朝鮮による拉致の疑いがある」という程度のものであり、警察の捜査も進展していなかった。辛光洙をはじめとする実行犯の氏名や具体的な犯行内容については、国会議員だけでなく一般社会でも全く認知されていなかった[1]。
- 自公連立の友党である公明党の議員が署名していたことについて、何の言及もしないのは二重基準だ[2]。
との反論・指摘も受けている。
[編集] 要望書に署名した国会議員
[編集] 日本社会党
- 衆議院 - 阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫、山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄、
- 参議院 - 青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎、
[編集] 公明党
[編集] 社会民主連合
[編集] 無所属
[編集] 要望書の内容
私どもは貴国における最近の民主化の発展、とりわけ相当数の政治犯が自由を享受できるようになりつつあることを多とし、さらに残された政治犯の釈放のために貴下が一層の主導権を発揮されることを期待しています。在日関係のすべての「政治犯」とその家族が希望に満ちた報せを受け、彼らが韓国での社会生活におけるすぐれた人材として、また日韓両国民の友好のきづなとして働くことができる機会を与えて下さるよう、ここに心からお願いするものであります。
- 1989年
[編集] 脚注
- ^ 『反射鏡』 拉致問題解決を妨害したのはどの党か 辛光洙問題 当時の人道的要求を悪口のネタにする共産 http://www.komei.or.jp/news/2003/02/16_04.htm 公明新聞 2003年2月16日付
公明党 拉致実行容疑者の辛光洙釈放要望 “知らなかった”ではすまない 署名の1年前に橋本議員追及 88年3月26日参院予算委 2公明議員が出席 しんぶん赤旗 2003年2月20日付 - ^ 郵政・年金・外交―何が問題か NHK政党討論 市田書記局長が発言 しんぶん赤旗 2005年9月6日付
[編集] 参考文献
- 朴春仙・著 『北の闇から来た男 - 私の愛した男は「北朝鮮の工作員」だった』 「ザ・マサダ」・刊 2003年2月 ISBN 4883970795
[編集] 外部リンク
- 資料:辛光洙・シンガンス釈放嘆願署名 - 要望書に署名した当時の全国会議員のリスト、現職の国会議員のリストと嘆願書の一部コピー
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