IS-4
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
IS-4 | |
---|---|
性能諸元 | |
全長 | 9.70 m |
車体長 | 6.60 m |
全幅 | 3.26 m |
全高 | 2.48 m |
重量 | 55.9 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 | 43 km/h(整地) |
(不整地) | |
行動距離 | 320 km |
主砲 | 122 mm D-25T |
副武装 | 12.7mmDShk重機関銃×2 |
装甲 | 砲塔前面 250 mm 車体前面 160 mm |
エンジン | V-12ディーゼルエンジン 750 hp |
乗員 | 4 名 |
IS-4は第二次大戦後にソビエト連邦が採用した重戦車。IS-2の発展型であり、そのデザインにはドイツ軍重戦車の影響も見てとれる。1949年までに250輌が量産されたが、コスト高と大重量による扱いの難しさのため、比較的短期の運用の後、退役した。
[編集] 概要
第二次大戦末期にL.S.トロヤーノフ技師の設計チームにより開発されたオブイェークト701-2と701-5から発展した701-6は、1947年にIS-4として制式採用された。これは従来のIS-2を大型化・重装甲化し、機関部の冷却機構はドイツ軍のパンターを参考にしたもので、グリルの形状が類似している。多くのソ連重戦車に課せられた「重量46t以下」という制限は撤廃されており、おかげで車内容積に余裕があり、砲弾も全て砲塔後部に収納され、居住性や操作性が改善され、装甲厚も増している。しかし従来の乾式多板クラッチのままであり、重量があるため扱いやすい戦車にはなり得ず、IS-3の2.84倍というコストの高さと、続くT-10の採用もあって比較的少数生産に終わった。
[編集] 運用
IS-4はソ連軍のみで運用され、同盟国への供与は無かった。また朝鮮戦争の勃発に伴って国境付近に部隊が集められたものの、実戦参加の記録は無い。本車には近代改修が加えられたが、1960年代に全て退役している。
[編集] その後
1944年、IS-3を設計したコーチン技師によるIS-5が計画され、モックアップが作られた。これは、IS-4以上にパンターの影響の強いもので、傾斜した圧延鋼板の溶接車体に大型転輪、IS-2の砲塔を大型化したような物を載せていた。これはエレファント同様のハイブリッド(ガス・エレクトリックではなくディーゼル・エレクトリック)エンジン駆動のオブイェークト253改めIS-6に発展、試作車が完成したが最初の試験中に過熱による大爆発をおこし、失敗に終わっている。また、これと同様にIS-4をベースにしたハイブリッド型も試作されたが、実用化には至っていない。
さらに1945年夏にはコーチン技師の主導でより強大な重戦車としてオブイェークト260が計画され、翌年に最初の試作車、1948年にはIS-7として完成した。これは68tにも達する怪物で、より強力な130mm戦車砲の他、主砲同軸とリモコン式の対空用14.5mm機関砲2門、さらに同軸で7.62mm機関銃が2挺、車体後部側面に7.62mm機銃ポッドが2挺も固定装備されていた。また船舶用の1050馬力のディーゼルエンジンが搭載され、大重量にもかかわらず路上で最大55km/hもの速度を発揮できるはずであったが、加熱と大重量による足回り部品の破損などもあり、量産には至らなかった。
第二次世界大戦後のソ連・ロシアの装甲戦闘車両 | |||
---|---|---|---|
主力戦車 | |||
T-44 | T-54 | T-55 | T-62 | T-64 | T-72 | T-80 | T-90 | チョールヌィイ・オリョール | T-95 | |||
重戦車 | 水陸両用戦車 | ||
IS-3 | IS-4 | T-10 | PT-76 | ||
空挺戦車 | |||
BMD-1 | BMD-2 | BMD-3 | BMD-4 | ASU-57 | ASU-85 | 2S9ノーナ-S | |||
歩兵戦闘車 | |||
BMP-1 | BMP-2 | BMP-3 | BTR-T | BMP-T | |||
自走砲 | |||
2S1グヴォズジーカ | 2S3アカーツィヤ | 2S5ギアツィント | 2S7ピオン | 2S19MSTA | 2S25スプルート-SD | |||
自走式対空砲 | |||
ZSU-57-2 | ZSU-23-4シルカ | 2S6/2K22ツングースカ | |||
装甲兵員輸送車 | |||
BTR-152 | BTR-40 | BTR-50 | BTR-60 | BTR-70 | BTR-80 | BTR-90 | BTR-D | MT-LB | |||
戦車一覧 |