アルバート・スコット・クロスフィールド
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アルバート・スコット・クロスフィールド(Albert Scott Crossfield、1921年10月2日 - 2006年4月19日)は、アメリカ合衆国の軍人。パイロット。マッハ2を最初に突破した人物である。一般にはスコット・クロスフィールドで知られる。
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[編集] 生涯
1921年10月2日、クロスフィールドはカリフォルニア州バークレーで生まれた。1940年、ワシントン大学に進学し、工学を学んだ。1942年、第二次世界大戦が激化する中、クロスフィールドは学業を中断し、海軍に入隊した。大戦中、戦闘機パイロットや飛行訓練教官を務めた。大戦終結後の1946年、クロスフィールドは学業に復帰した。1949年、ワシントン大学の航空工学と科学の課程を修了し、同年中に航空工学の修士号を取得した。
1950年、クロスフィールドはNASAの前進である航空諮問委員会(NACA)に加わり、エドワーズ空軍基地で技術者兼テストパイロットとして、高速飛行の実験に携わることとなった。その後の五年間でX-1、XF-92、X-4、X-5、D-558の実験に加わり、全ての航空機を自ら飛ばした。
1953年11月20日、クロスフィールドの乗るD-558-IIは、人類初のマッハ2を記録した。X-1とD-558シリーズで通算99回の飛行を経験したクロスフィールドは、世界でもっとも多くのロケット推進飛行機を飛ばしたパイロットだった。1955年、クロスフィールドはノースアメリカンに移籍し、主任技術者兼テストパイロットとしてX-15の開発に携わった。
また、この頃クロスフィールドは空軍のMan In Space Soonestプロジェクトに選出された。
1959年6月8日、クロスフィールドはX-15の初飛行のテストパイロットを務めた。この時点でX-15のシステムは完成されておらず、エンジンを装備しない状態での37,550フィートからの滑空飛行だった。飛行は危険視されていたが、クロスフィールドはX-15をうまく操り、無事に着地させた。同年9月17日、XLR-11エンジンを搭載したX-15の初の動力飛行が行われることとなり、やはりクロスフィールドがテストパイロットを務めた。飛行は成功しマッハ2.53を記録した。
同年11月5日、X-15の三度目の飛行実験の際、エンジンの一つから火災が発生した。コクピットの後部が壊れたために射出座席が作動せず、クロスフィールドは緊急着陸を余儀なくされた。機体は半壊したが、クロスフィールドは無事だった。壊れた機体も修理され、後に実験に復帰した。
1960年6月8日、新型のXLR-99エンジンがX-15の3号機に搭載され、地上テストが行われることとなった。クロスフィールドはテストパイロットを務めたが、実験中にエンジンの安全弁が機能不全を起こし爆発した。機体は半壊したが、クロスフィールドはまたも無事だった。
同年11月15日、XLR-99エンジンを搭載した機体の初の動力飛行が行われることとなり、クロスフィールドがテストパイロットを務め、実験を成功させた。その後、二度の飛行を行い、マッハ2.97を記録した。12月6日、クロスフィールドはノースアメリカンのデモンストレーション飛行を行い、これがX-15での最後の飛行となった。クロスフィールドはX-15で総計14回の飛行実験を行った。
その後もクロスフィールドはノースアメリカンの技術者として多数の実験に参加した。また、アポロ計画にも参加し、サターンロケットの開発に携わった。
1966年、クロスフィールドはノースアメリカンの工学研究とテストの技術主任となった。1967年、イースタン航空に移籍し、航空管制技術の研究部門の副主任となった。1974年、ホーカー・シドレー・アビエーションの副社長となり、HS-146(後のBAe 146)をはじめとする航空機の設計に携わった。1977年からはアメリカの全ての民間航空会社に対して発言力を持つ、アメリカ合衆国下院科学技術委員会の技術主任となり、1993年に退職するまで同職を務めた。
2001年から2003年にかけて、クロスフィールドは、ライト兄弟の飛行100周年を記念してライトフライヤー1号機を復元するプロジェクトに携わった。80歳を超えても自ら飛行機を操縦する現役のパイロットだったクロスフィールドは、パイロットたちの訓練も勤めた。訓練は修了したが、実験そのものは天候の不順で中止となった。
2006年4月19日、クロスフィールドの操縦するセスナ210は、アラバマ州プラットビルからヴァージニア州ハーンドンに向かう途中で消息を絶った。4月20日、ジョージア州ゴードン郡で機体の残骸が発見され、機内にクロスフィールドの遺体が確認された。享年84。航空管制センターによれば、クロスフィールド機からの連絡が途絶えたとき、現場は雷雨に見舞われていたという。
[編集] 栄誉
クロスフィールドは多くの栄誉を贈られた。
- Lawrence Sperry Award
- Octave Chanute Award
- Iven C. Kincheloe Award
- Harmon International Trophy (1960)
- Collier Trophy
- National Aviation Hall of Fame (1983)
- International Space Hall of Fame (1988)
- Aerospace Walk of Honor (1990)
また、ヴァージニア州ハーンドンの自宅の近くの小学校に彼の名前がつけられた。"Closfield elementary school"である。
[編集] 関連項目
- ライトスタッフ - 主人公の一人チャック・イェーガーのライバル的存在として登場する。クロスフィールド役はスコット・ウィルソンが演じた。実際に二人は最高速度記録を競い合ったライバルであった。
[編集] 外部リンク
- Original NACA press release on Mach 2 flight
- X-15 Pilot Biographies
- Spacefacts biography of Albert Scott Crossfield
- A. Scott Crossfield Elementary School near his former residence
- Statement by NASA administrator upon his death
カテゴリ: アメリカの軍人 | アメリカ合衆国のパイロット | 1921年生 | 2006年没