イースタン航空
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イースタン航空 | ||
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IATA EA |
ICAO EAL |
コールサイン Eastern |
設立日 | 1926年 | |
ハブ空港 | ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港 マイアミ国際空港 カンザス・シティ国際空港 フィラデルフィア国際空港 Luis Muñoz Marín International Airport |
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保有機材数 | 304機 | |
目的地 | 140都市 | |
親会社 | Eastern Air Lines, Inc. | |
本拠地 | フロリダ州マイアミ | |
代表者 | Eddie Rickenbacker (初代CEO) Frank Lorenzo (倒産時のCEO) |
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ウエブ: http://www.qantas.com.au/international/jp/ |
イースタン航空(Eastern Air Lines)は、1920年代後半から1991年まで運行していたアメリカ合衆国の航空会社であった。
目次 |
[編集] 航空会社コード
- IATA航空会社コード:EA
- ICAO航空会社コード:EAL
[編集] 歴史
[編集] 設立
イースタン航空はPitcairn Aviation として1926年4月19日に設立された。Pitcairn はMailwing 単発航空機を運航し、ニューヨークとアトランタ間にアメリカの郵便輸送のための契約を政府と行った。North American Aviationのオーナである、クレイモント・キーズ (Clement Keys) は1929年に Pitcairn を買収した。
[編集] 第二次世界大戦
1938年に、イースタン航空はEddie Rickenbackerによって買収された。
Rickenbackerは、イースタン航空を急成長させた。そのような活躍から、RickenbackerはCEOとして1963年12月31日まで役を務めた。。
[編集] 第二次世界大戦後
1960年代に入り、大型ジェット旅客機が主流になると、イースタン航空は、会社としては初の大型ジェット旅客機、ダグラスDC-8を導入し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港から、ロサンゼルスのロサンゼルス国際空港の無着陸直行便の運航を開始した。
また、その後も、ボーイング720やボーイング727という大型ジェット旅客機を時代に合わせて導入した。
[編集] 東海岸でのシャトル便
その後の航空大衆化に伴い、「予約無しで乗れる」をモットーにしたアメリカ東海岸でのシャトル便を逸早く実現した。このシャトル便は日本の東京-大阪間で運行されている同名のものと違い、予約不要で乗ることが出来、また満席の場合は続行便が増便されるので必ず希望便に乗ることが出来る。
イースタン航空の初のシャトル便は、ロッキード L-188によるラガーディア空港-ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港-ローガン国際空港の便であった。
[編集] 航空規制緩和と他社との接戦
1978年10月28日、当時のアメリカ合衆国大統領であったジミー・カーターによって、アメリカ国内の航空規制が緩和された。これによって、当時参入が規制されていた航空業界に、民間の航空会社も自由に参入できるようになった。
それによって、イースタン航空は展開の自由度が高まったものの、新規参入してくる航空会社との接戦が始まった。イースタン航空は、アメリカ東海岸で低料金で運航することをモットーとして運行し始める。
また、デルタ航空とも接戦が続いた。
[編集] 新たな旅客機の導入
1983年、イースタン航空はボーイング757を大量導入した。
ボーイング757を導入したことによって、過去の旧型の大型ジェット旅客機の活躍は終了し、新たにボーイング757がイースタン航空の主力機となった。
また、その直後、イースタン航空は、アメリカの航空会社の中でエアバス機(A300)を初めて導入し、その後導入した事から世界の航空会社がエアバス機に注目するようになった。
[編集] 営業不況と破産
このような功績を残したイースタン航空だが、1970年代に墜落事故が多発し、規制緩和の煽りを受けて経営が悪化していた上に湾岸戦争による原油高騰が大打撃となり、1991年に倒産・消滅した。
[編集] 所有していた機材
- マクドネル・ダグラスDC8
- マクドネル・ダグラスDC9
- マクドネル・ダグラスDC10
- ボーイング727
- ボーイング747
- ボーイング757
- ロッキード コンステレーション
- ロッキード L-188
- ロッキード L-1011 トライスター
- エアバスA300
[編集] 航空事故
イースタン航空は、いくつかの航空事故を起こしている。以下は、年代別に並べたものである。
- イースタン航空21便 (1941年)
- イースタン航空375便 (1960年10月4日)
- イースタン航空512便 (1962年11月30日)
- イースタン航空304便 (1964年2月25日)
- イースタン航空663便 (1965年2月8日)
- イースタン航空401便 (1972年12月29日)
- イースタン航空212便 (1974年9月11日)
- イースタン航空66便 (1975年6月24日)
- イースタン航空980便 (1985年1月1日)