キャディラック
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キャディラック (Cadillac) はアメリカのゼネラルモーターズ社が製造・販売している高級車のブランド名。
なお、日本ゼネラルモーターズではキャデラックと表記されており、かつてはキヤデラック (「ヤ」が大文字) 、カデラック とも表記されていた。
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[編集] 概要
ロールス・ロイスやリンカーンなどと並び、アメリカのみならず、世界を代表する高級車ブランドとして知られる。第一次世界大戦当時のウッドロー・ウィルソン大統領から、現在のジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領に至るまで、長年に渡り、ライバルのパッカード (現在は消滅) やリンカーンとともにアメリカ大統領の専用車として使用されている他、多数の国で王侯貴族・政府指導者の専用車に採用されている。
[編集] 歴史
1899年にヘンリー・フォードを擁してヘンリー・フォード・カンパニーが設立されたが、フォードは経営陣との対立で会社を去り、1902年、機械メーカーの工場長であったヘンリー・マーティン・リーランド(1843年-1932年)が請われて後任となった。デトロイトを開拓したフランス貴族(Antoine De La Mothe Cadillac)にちなんで社名とブランドを「キャディラック」に変更、1903年から自動車の本格生産を開始した。1909年にはゼネラル・モーターズ(GM)の設立者ウィリアム・C・デュラントの求めに応じてGMグループ入りし、以後はGMの最高級レンジを担うモデルとして生産されている。
リーランドは精密加工技術の権威であり、その指導のもとに作られたキャディラックは高品質であるだけでなく、黎明期の自動車の欠点であった部品互換性の悪さを最初に克服した自動車の一つとなった。1908年、イギリスの王立自動車クラブ(RAC)による部品互換性テストに合格して、RACから「デュワー・トロフィー」を受賞している。リーランドは第一次世界大戦中に連合軍を応援するための軍需品製作をしないGMに愛想を尽かし、リバティエンジンを製作するために自身でリンカーン社を設立した。この会社は第一次大戦後高級車を製作したが、すでに大衆車の時代でありフォード・モーターに破格の値段で買収され、フォードの経営の元で安定を得、ブランドとしてキャディラックのライバルとなった。
キャディラックの特徴として、古くより先進技術を積極的に取り入れたことが挙げられる。特に、世界初の実用的なセルフスターターの搭載(1912年)は顕著な功績である。量産V型8気筒エンジン、V型16気筒エンジン、シンクロメッシュ・ギアボックス、ウィッシュボーン式前輪独立懸架の実用化、エアコンディショニングの搭載、曲面ガラスの採用など、近代の乗用車の技術革新に大いに貢献した。
1910年代から高級車としての名声を確立していたものの、特にアメリカ経済の絶頂期でもある第二次世界大戦前から1960年代にかけてはその名声の絶頂期で、大排気量エンジンやボタン式オートマチック、巨大なテールフィン等の豪華な装備が世界中の大富豪、セレブリティの憧れの的となり、多くの映画にも登場した。
オイルショック後の1980年代以降、シマロンやアランテなどマーケットの混乱が招いたダウンサイジング化や他のGM車との部品共通化によるブランディングの失敗などでそのブランドイメージが若干低下した。
しかし2000年代以降の「エスカレード」などの4輪駆動車の導入やイタリアの宝石商・ブルガリとのタイアップ、ル・マン24時間レースへの参戦などの積極的なマーケティング戦略が功を奏し、現在はその人気を復活させた。
[編集] グローバル化
今までキャディラックは本国市場がメインで、輸出は事実上、日本を含む東アジアと中東諸国のみだったが、1990年代後半からヨーロッパ進出を試みるようになった。また同時期に日本やイギリス向けに右ハンドル仕様車(セビル)を投入し、話題になった。2000年代には中国やロシアにも進出した。2007年には右ハンドル・左側通行の南アフリカ共和国にも展開する予定。
[編集] 現在販売されている車種
[編集] 日本での車種展開
[編集] 日本未発売車種
- BLS (欧州市場向け車種。北米での発売予定はなし)
- CTS-V
- XLR-V
- エスカレードESV
- エスカレードEXT
[編集] 過去の代表的な車種
- モデルA
- タウンカー
- 60 Special
- 62 Series
- 75 Series
- Seville(セヴィル)
- Allante(アランテ)
- Cimarron(シマロン)
- Fleetwood Brougham(フリートウッド・ブロアム)
- Fleetwood Brougham Limousine(フリートウッド・ブロアム・リムジン)
- Fleetwood Brougham Essex Limousine(フリートウッド・ブロアム・エセックス・リムジン)
- Deville(ドゥビル)
- Coupe de Ville(クーペ・ド・ヴィル)
- Eldorado(エルドラード)
- Eldorado Biarritz(エルドラード・ビアリッツ)
[編集] ラ・サール
- La Salle(ラ・サール)
1927年から、キャディラックとは別ブランドでビュイックより上級に位置する「廉価なキャディラック」というスタンスで販売されたモデル。1940年まで存続した。
[編集] 日本における歴史
1910年代よりヤナセにより日本への輸入が開始された。当初より皇族や華族、政治家に愛好され、日米関係が悪化した1930年代の後半に至っても輸入が継続されたものの、1941年12月の大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦により輸入は中断された。
終戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の総司令官となったアメリカ軍のダグラス・マッカーサー元帥の専用車として全国の一般市民にまでその名が知られることになり、その後も多くのハリウッド映画でアメリカの富の象徴として露出されたことから庶民の憧れの高級車となった。