コルマール
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フランス > アルザス地域圏 > オー=ラン県 > コルマール
コルマール (Colmar) はフランス東部、アルザス地域圏の都市である。オー=ラン県の県庁所在地。面積は 66,57km²、人口は1999年現在、約6万5千人。隣接都市を併せた人口は約8万6千人、都市圏としては約11万6千人の人口を有する。標高は197m。
コルマール | |
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地域圏 | アルザス |
県 | オー=ラン |
行政機能 | 県庁所在地 |
人口 | 65,136 人 (1999年) |
面積 | 66.57 km² |
主な産業は電気機器 電機部品製造 製薬業。
目次 |
[編集] 歴史
コルマールはかつての神聖ローマ帝国自由都市であり、歴史ある街である。コルマールに触れた最古の文献は823年のものであり、そこではこの街はコルンバリウム(Columbarium, ラテン語で鳩小屋の意)として言及される。13世紀初頭には街に城壁が築かれ、1226年にはコルマールに帝国自由都市の資格が与えられた。1354年にアルザス10都市が結んだ「十都市同盟」にも、コルマールは参加している。この同盟の目的は、帝国都市としての権益と自由を擁護することにあった。17世紀後半、アルザス地方がドイツ圏からフランス王国に割譲されるとともに、ドイツ文化圏のコルマールはフランス領アルザスの一都市となった。フランス革命後、1791年の旧地方区分廃止と県の設置に伴い、コルマールはオー=ラン県の県庁所在地となった。普仏戦争でフランスがプロイセンに敗北した後、1871年アルザスはドイツ帝国に割譲され、コルマールはドイツ領エルザス=ロートリンゲン州の一部となった。1918年にフランスは再びコルマールを自国領に編入した。第二次世界大戦で1941年フランスがドイツに降伏すると、コルマールはバーデン=アルザス大管区に編入された。同地はドイツ国土の一部とされ、1942年にはドイツ国防軍がコルマールに進駐した。コルマールが連合軍が進駐したのは1945年2月である。
[編集] 観光
コルマールの旧市街には中世からルネサンスの街並みがよく保存されている。またウンターリンデン美術館はドイツ中世絵画のマティアス・グリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』をはじめとする中世絵画および工芸品を展示する。 また自由の女神像などを製作した彫刻家フレデリク・バルトルディはコルマールの出身であり、その生家は現在記念館となっている。
[編集] 姉妹都市
コルマールは以下の都市と姉妹都市締結を行っている: