自由の女神像
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自由の女神像(じゆうのめがみぞう, 英:the Statue of Liberty)は正式名称を世界を照らす自由 (Liberty Enlightening the World) といい、アメリカ・ニューヨークのリバティ島(正確にはニュージャージー州に属する)に建っている像である。自由の象徴として知られる。同じ形の像がパリや作者(フレデリク・バルトルディ)の故郷コルマールをはじめ、ポワチエやサン=テティエンヌ、アングレーム、ボルドーなどを含めフランス各地に点在している。また、日本では東京や青森県おいらせ町にも存在し、これらも自由の女神像と呼ばれる。
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[編集] ニューヨークの自由の女神像
ニューヨークにある自由の女神像は、1886年にアメリカ合衆国独立100周年を記念して、フランスから贈られた。
高さは46.05m、重さは225t。右手には松明(a torch:灯台とするためのものであったが雲に反射して船の運行妨げになるということで中止された)を、左手にはアメリカ独立宣言の日「1776年7月4日」をローマ数字で刻印した銘板(a tablet)を持っている。王冠の7突起 (spoke) は7つの大陸の7つの海に自由が広がるという意味である。足元には切られた鎖があり、抑圧、暴政から開放され自由になったことを象徴しているがあまり有名ではない。性別は女性で、銅製だが、緑青の為に緑色になっている。1984年、世界遺産(文化遺産)に登録される。
鉄柱による骨組みを銅板で覆った構造になっており、松明の炎には金箔が貼られている。以前は171段の螺旋階段によって冠部分の展望台に上がることができたが、アメリカ同時多発テロ事件の影響を受け一時閉鎖となり、2004年には2000万ドルをかけテロ防止措置が取られ内部の見学が再開されたが観光客が上がることのできるのは台座頂上部の展望台までである。なお2006年8月9日には、像内部の見学は今後も再開しない方針である事が明らかとなった。
台座部分はアメリカの移民の歴史の博物館になっており、エマ・ラザラス (Emma Lazarus) の「新大国 (The New Colossus)」という14行詩が刻まれている。また、現在は撤去されているがフランスのフリーメイソンからアメリカのフリーメイソンに贈られた旨とフリーメイソンシンボルの入ったプレートがあった。
1990年代に、この像は、白人か黒人かとの議論になった。双方に、それらしい理屈があり意見の一致をみることは無さそうであったが、「緑人」ということで議論は終息した。
なお、ニューヨークの自由の女神像は送り主のフランスに向けられているとよくいわれているが、実際はニューヨーク港のほうを向いている。
[編集] 建造過程
発案者は歴史学者エドワール・ド・ラブレー。1874年にラブレーから製作者フランスのフレデリク・バルトルディ(Frédéric Auguste Bartholdi、フランス系フリーメイソン)に依頼された。設計にはエッフェル塔で知られるギュスターブ・エッフェルが関わった。像は、ウジェーヌ・ドラクロワの絵「民衆を導く自由の女神」とバルトルディの母親をモデルにしたもの。資金集めのため記念像建造キャンペーンとして、宝くじや、1878年の万国博覧会であるパリ万博に完成頭部を展示、約40万ドル相当の寄付金を集めた。1884年にフランスパリで仮組み完成され、214個に分解してフランス海軍軍用輸送船アイリーン号でアメリカに運ばれた。
台座部分は「ワールド」社主ジョセフ・ピューリッツァの台座の建設基金のキャンペーンによりアメリカ国民の献金によって当時のベドロー島(リバティ島)に作られたもので、この設計はアメリカのリチャード・ハント(Richard Morris Hunt)が行った。
1886年10月28日に除幕式が行われた。当日はあいにくの雨であったが、グロバー・クリーブランドアメリカ合衆国大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にかけられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕。
[編集] パリの自由の女神像
セーヌ川のグルネル橋のたもとに位置し、高さは11.5m、重さは14tと、アメリカのものより小さめ。1889年11月5日に除幕式が行われた。同じくバルトルディの設計によるもので、除幕も彼の手によって行われた。
フランスがアメリカに自由の女神像を送ったことの返礼として、パリに住むアメリカ人たちがフランス革命100周年を記念して贈ったもの。
左腕に抱える銘板には、フランス革命のきっかけとなったバスティーユ牢獄襲撃が起こった1789年7月14日の日付が刻まれている。
- 原型
- 原型はパリの リュクサンブール宮殿庭園内にある。
[編集] 東京の自由の女神像
東京お台場には、パリの自由の女神像が、日本におけるフランス年事業の一環として1998年4月29日から1999年5月9日まで設置されていた。この事業に関しては、1998年4月28日に点火式が行われ、フランスのジャック・シラク大統領、橋本龍太郎首相(当時)などが参加した。この事業が好評を博したため、その後、フランス政府からレプリカの制作が認められフランスのクーベルタン鋳造所にて複製されたブロンズ製のレプリカが2000年に設置された。 このフランス政府公認のレプリカは「台場の女神」という別名で呼ばれることも多い。
[編集] おいらせ町の自由の女神像
青森県上北郡おいらせ町のいちょう公園にある。1990年12月28日に完成した。 米国、ニューヨークと同緯度で結ばれていることから、北緯40度40分の「4」の数字にこだわり、本家の4分の1の大きさで建立。材質はFRP繊維強化プラスチック製である。高さは本体11.5m、台座9.3mを含め20.8m。夜間は鮮やかにライトアップされ、ファンタジックな世界を見ることができる。 自由の女神像は合併前の百石町(ももいし)にちなんで地元の人からは「ももちゃん」の愛称で親しまれている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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