ザ・スターリン
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ザ・スターリン | ||
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基本情報 | ||
出身地 | 日本 | |
ジャンル | パンク・ロック | |
活動期間 | 1980年 - 1985年 1987年 - 1993年 |
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レーベル | ポリティカルレコード (1980年 - 1981年) 徳間音楽工業 (1982年 - 1983年) B.Q. レコード (1984年,1988年) アルファレコード (1989年 - 1992年) |
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公式サイト | 遠藤ミチロウ公式ホームページ | |
メンバー | ||
遠藤ミチロウ(ボーカル) ザ・スターリン 金子あつし(ギター) タム(ギター) 良次郎(ギター) JUNE-BLEED(ギター) 北田昌宏(ギター) 小野昌之(ギター) 杉山晋太郎(ベース) 尾形テルヤ(ベース) 肥後宏(ベース) 乾純(ドラムス) 小田ヒトシ(ドラムス) 中田ケイゴ(ドラムス) 中村達也(ドラムス) ビデオスターリン KUBOTA(ギター) MAY(ベース) SHOKO(ドラムス) スターリン 山盛愛彦(ギター) 斉藤律(ギター) 西村雄介(ベース) 安達親夫(ベース) 三原重夫(ドラムス) |
ボーカルの遠藤ミチロウを中心に1979年に結成されたバンド、「自閉体」を母体として1980年結成。同年9月5日に1stシングル「電動こけし/肉」をインディーズレーベルからリリース。その後1982年にアルバム『STOP JAP』でメジャーデビュー。3枚のアルバムをリリースした後に1985年解散。その後もビデオのみをリリースするというコンセプトの「ビデオスターリン」や、定冠詞の付かない「スターリン」というバンド名で復活している。
バンド名の由来はソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンからとっており、ボーカルの遠藤曰く「世界で最も嫌われてる男の名前をつけたらすぐに覚えてもらえる」という理由で付けられた。また、遠藤によると「スターリンとはバンド名ではない。俺の活動そのものの事だ」とも語っている。
目次 |
[編集] メンバー
- 遠藤ミチロウ - ボーカル
[編集] ザ・スターリン
[編集] ギター
- 金子あつし (1980年 - 1981年) - 初代ギター
- タム (1981年 - 1982年) - 2代目ギター
- 結成当時、靴職人として働いていた経歴を持つ。脱退後はADKというレーベルを設立したが、その後消息不明となる。
- 藤岡良次雄 (1983年) - 3代目ギター
- 原爆オナニーズから参加。脱退後は中村達也とTHE GODを結成。
- JUNE-BLEED (ザ・ウィラード)(1984年) - 4代目ギター
- 北田昌宏 (1984年) - 5代目ギター
- 小野昌之 (ex ALLERGY) (1984年 - 1985年) - 6代目ギター
[編集] ベース
- 杉山晋太郎 (1980年 - 1983年) - 初代ベース
- 全くベースを弾けなかったがスターリン加入のために練習した。また晋太郎は脱退後、ソロ活動等を経て、音楽業界から引退。山小屋の経営を始める。その後1996年にアルコール中毒で死去。
- 尾形テルヤ (1983年) - 2代目ベース
- 肥後宏(1984年 - 1985年) - 3代目ベース
[編集] ドラムス
- 乾純 (1980年 - 1982年、1984年 - 1985年) - 初代+5代目ドラムス
- 小田ヒトシ (1982年) - 2代目ドラムス
- 中田ケイゴ (1982年) - 3代目ドラムス
- 中村達也(元BLANKEY JET CITY) (1983年) - 4代目ドラムス
- ツアー中のドラマーとして加入。当時高校生だった彼はスターリンのオーディションを受けるために髪型をモヒカンにして挑んだ。しかし、後に学校で先生にこっ酷く叱られることになる。
[編集] ビデオスターリン
- KUBOTA - ギター
- MAY - ベース
- SHOKO - ドラムス
[編集] スターリン
[編集] 概要
同時期にデビューしたじゃがたら、INUなどと並んで日本のパンクロック・ハードコアシーンで脚光を浴びた。攻撃的なサウンドに言葉遊びを織り交ぜた、一捻りも二捻りもした歌詞で皮肉を込めて攻撃する形式は斬新であった。ライブ会場では豚の頭や臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿し、客にフェラチオをさせるといった過激行為で悪名を轟かせる。東京のライブハウス「屋根裏」を破壊し、出入り禁止になったり、更に神戸市では「スターリンに公共施設は貸さない」という市条例まで制定されてしまい、ライブを行う事を禁止された。また文化祭ライブで全裸になり、逮捕された事もある。
そうした過激な行為が評判となり、81年9月に週刊誌「女性自身」に彼らの記事が掲載され、一躍マスコミの標的となる。スターリンが他のバンドと違ったのは自ら積極的に雑誌やTVなどのメディアを利用し、活動をアピールしてきた所であり、音楽、芸能問わず数々のメディアに登場していた。また、ミチロウはライブ中は過激なパフォーマンスを見せるが、インタビューなどを見ると実際は物静かで知的な男で、冷静に自分や周囲の事を見ていた。
その一方で、一部の暴力的なハードコアパンクス達からは知的なパンクを演奏するスターリンは異端児の様な扱いを受け、嫌われるという事もあった。また石井聰亙監督の映画「爆裂都市」に役者として参加した際、打ち上げにパンクバンドアナーキーのボーカル仲野茂が何故自分達を起用しなかったのかと殴りこんできた。このこともあってか、暫くバンド同士でいがみ合っていたが、映画で競演した泉谷しげるの仲裁もあって、現在はお互い和解している。またスターリン結成20周年イベントには仲野茂が参加している。
1985年解散。1987年、ビデオのみをリリースするというコンセプトで、遠藤以外のメンバーを一新したビデオスターリンを結成。2本のビデオ作品と1枚のアルバムをリリースし、1年ほどで解散。
また、1989年には新たなメンバーを迎え、ザのつかないスターリンとして復活し、 5枚のアルバム、2本のビデオをリリースするも、1993年に活動停止した。
2001年には、元頭脳警察のパンタや大槻ケンヂ、犬神サーカス団、BRAWLS(BRAHMAN)、Loopusなどが参加したトリビュート盤『365:A TRIBUTE TO THE STALIN』がリリースされ、それに合わせて21世紀最初で最後となるザ・スターリン復活ライブが行われた。余談ではあるが、トリビュート盤には最初BUCK-TICKも参加し、タイトルでもある「365」をカバーする筈だったが、事情により実現出来なかった。
2003年には過去の作品がデジタルリマスタリングを施して再リリースされ、また完全コピーバンドである「コケシドール」の発足など再評価されている向きもある。
2005年2月にリリースされた、ザ・スターリン名義の「電動コケシ/肉」は、日本で発売された最後のソノシート盤となった。
ちなみにアメリカのパンクバンドデッド・ケネディーズはスターリンのファンである。
[編集] 略歴
[編集] 1980年
- 6月6日 - 遠藤ミチロウ、金子あつし、乾純の3人で「THE STALIN」結成。
- 6月26日 - 渋谷のライブハウス「屋根裏」で初ライブを行う。同時期に自主制作レーベル「ポリティカル」を設立。
- 8月8日 - ベーシストとして杉山晋太郎が加入。杉山は元々ベースを弾いた事が無かったが、遠藤の説得により加入した。
- 9月5日 - 自主制作ソノシート『電動こけし/肉』をリリース。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - 金子あつし
- ベース - 遠藤ミチロウ→杉山晋太郎
- ドラムス - 乾純
[編集] 1981年
- 4月7日 - 2枚目の作品としてEP『スターリニズム』リリース。
- 7月4日 - 筑波アクアクにてライブ。これを最後にギタリストの金子あつしが脱退。代わりにTAM(タム)がギターとして加入。
- 9月10日 - 週刊誌『女性自身』において、【変態バンド、スターリン】として初めてスクープされる。
- 10月31日 - 法政大学にてライブ。trashのB面としてレコーディングされた。
- 11月4日 - 関東学院高校にてゲリラ的に乱入ライブを行う。この時ライブ中に遠藤が全裸になった事を警察に通報され、遠藤は公然わいせつ罪で逮捕される。
- 11月7日 - 京都燦燦にてライブ。trashのB面としてレコーディングされた。
- 12月24日 - 初のフルアルバム『trash』リリース。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - 金子あつし→タム
- ベース - 杉山晋太郎
- ドラムス - 乾純
[編集] 1982年
- 3月13日 - マッド・スターリンとして出演した映画『爆裂都市 BURST CITY』公開。
- 3月24日 - 新宿ロフトにて『爆裂都市』の打ち上げ。この時、アナーキーとの騒動が勃発した。
- 6月24日 - 上馬ガソリンアレイにてライブ。これを最後にドラムスの乾純に代わって小田ヒトシが参加する。
- 7月1日 - アルバム『STOP JAP』、シングル「ロマンチスト」で徳間ジャパンよりメジャーデビューを果たす。
- 8月2日 - 神戸市民小劇場にてライブ。この時のライブにおいて、興奮した観客が椅子やエレベーターを破壊。この出来事を機に神戸では「スターリンに公共施設は貸さない」という市条例が制定されてしまう。また、全国ホール協会のブラックリストに載ってしまい、あらゆるライブ、コンサート会場でライブが出来なくなる。
- 8月25日 - 3枚目のシングル「アレルギー」リリース。A面曲がわずか51秒しかないという、音楽史上でも稀に見る短いシングル曲として話題になる。
- 9月27日 - 前橋ガルシアにてライブ。これを最後にドラムスの小田ヒトシに代わって中田圭吾が参加する。
- 12月 - 雑誌『音楽専科』に遠藤と明石家さんまの対談が掲載される。かねてより2人が似ていると言われていたため実現した。
- 12月25日 - ボーカルの遠藤による初のエッセイ集『嫌ダッと言っても愛してやるさ!』発売。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - タム
- ベース - 杉山晋太郎
- ドラムス - 乾純→小田ヒトシ→中田圭吾
[編集] 1983年
- 2月10日 - マキシシングル『GO GO スターリン』リリース。
- 3月5日、6日 - 千葉ダンシングマザースでライブ。これを最後にギターのタム、ドラムスの中田圭吾が脱退。代わりにギターとして良次郎、ドラムスとして中村達也が加入する。
- 4月25日 - 3枚目のアルバム『虫』、4枚目のシングル『NOTHING』リリース。ドラムスにはじゃがたらの中村貞裕が参加した。
- 6月11日 - 明治学院大学にてライブ。これを最後にギターの良次郎、ドラムスの中村達也が脱退する(後に遠藤はこの時点でザ・スターリンは事実上解散したと述べている)。
- 8月1日 - 遠藤ミチロウ責任編集のソノシート付きマガジン、『ING'O』創刊。ソノシートはザ・ウィラード。
- 9月17日 - 京都大学西部講堂にてライブ。この時のライブは非常階段とのユニット「スター階段」として公演。ドラムスとして乾純、ギターとして尾形テルヤが参加。
- 12月 - ベースの杉山晋太郎が脱退。ギターとしてJUNE-BLEED、ベースとして尾形テルヤ、ドラムスとして乾純が加入する。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - タム→良次郎→JUNE-BLEED
- ベース - 杉山晋太郎→尾形テルヤ
- ドラムス - 中田圭吾→中村達也→乾純
[編集] 1984年
- 3月17日 - 清水BOWIEにてライブ。これを最後にギターのJUNE-BLEEDが脱退。代わりに北田昌宏(元INU)がギターとして加入する。
- 4月10日 - 遠藤ミチロウの初ソロ作品でもあるカセットブック『ベトナム伝説』リリース。
- 5月 - 自身の楽曲「Chicken Farm」で参加したオムニバスアルバム『Welcome to 1984』がアメリカ合衆国でリリースされる。
- 6月3日 - 横浜国立大学にてライブ。これを最後にギターの北田昌宏、ベースの尾形テルヤが脱退。代わりにギターとして小野昌之が加入。また、ベースにはヒゴ・ヒロシが参加するようになる。
- 7月1日 - 遠藤のソロシングル『仰げば尊し』が自主レーベルB.Q.レコードよりリリース。
- 11月20日 - アルバム『Fish Inn』リリース。それまでのパンクロックサウンドとは違い、サイケデリックな路線で制作されたためファンの間では賛否両論を巻き起こした。
- 12月25日 - 遠藤ミチロウ対談集『バターになりたい』発売。
- 12月29日~31日 - 新宿ロフトにてライブ。最終日の遠藤のMCで「スターリンはこれで終わりだ」との解散宣言ともとれる発言がなされた。
メンバー
- ボーカル - 遠藤ミチロウ
- ギター - JUNE-BLEED→北田昌宏→小野昌之
- ベース - 尾形テルヤ→ヒゴ・ヒロシ(正式加入ではない)
- ドラムス - 乾純
[編集] 1985年
- 1月15日 - バンド解散。
- 2月1日 - 遠藤のソロシングル『仰げば尊し』が東芝EMIよりリリース。
- 2月21日 - 調布大映撮影所にてラストライブ。
- 3月30日 - 遠藤のソロマキシシングル『THE END』が東芝EMIよりリリース。
- 5月25日 - ラストライブの模様を収録したアルバム『FOR NEVER』、ビデオ『絶賛解散中!!』がリリースされる。
メンバー
- 遠藤ミチロウ - ボーカル
- 小野昌之 - ギター
- 乾純 - ドラムス
[編集] 作品
[編集] シングル
[編集] ザ・スターリン
[編集] スターリン
- 包丁とマンジュウ(1989年)
- 勉強ができない(1989年)
- '90sセンチメンタルおせち(1989年)
- 真夜中のオモチャ箱(1990年9月25日)
- WILD GHETTO(1991年7月21日)
- ライド・オン・タイム(1992年11月21日)
[編集] アルバム
[編集] ザ・スターリン
- スターリニズム(1981年4月7日)
- trash(1981年10月24日)
- STOP JAP(1982年7月1日)
- 虫(1983年4月25日)
- Fish Inn(1984年11月20日)
- FOR NEVER(1985年5月25日)
- Fish Inn (リミックス盤)(1986年12月21日)
- STALINISM(1987年1月21日)
- BESTESTS(1987年)
- 死んだものほど愛してやるさ(1995年)
- THE STALIN BEST SELLECTION(1996年12月21日)
- THE STALIN BEST(2003年1月22日)
- 絶望大快楽 -LIVE at 後楽園ホール'83-(2005年12月5日)
[編集] ビデオスターリン
- MINUS ONE(1988年)
[編集] スターリン
- JOY(1989年2月25日)
- STALIN(1989年)
- 殺菌バリケード(1990年9月25日)
- STREET VALUE(1991年7月21日)
- 行方不明 ~LIVE TO BE STALIN~(1991年12月21日)
- 奇跡の人(1992年11月21日)
[編集] ビデオ
[編集] ザ・スターリン
- 絶賛解散中!!(1985年5月25日)
- YOUR ORDER!(1987年6月25日)
- 吐き気がするほどロマンチックだぜ(2001年6月30日)
[編集] ビデオスターリン
- DEBUT!(1987年)
- LOVE TERRORIST(1988年)
[編集] スターリン
- P.(1989年)
- 最後の赤い夏(1990年10月25日)
[編集] 出演
[編集] 映画
- 朝日のようにさわやかに(1981年、自主制作映画)
- 爆裂都市 BURST CITY(1982年、東映)
[編集] 書籍
[編集] 関連書籍
- 嫌ダッと言っても愛してやるさ![遠藤みちろうファースト・エッセイ] (1982年、K.K.ダイナミックセラーズ)
- ザ・スターリン伝説(2004年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4434047906
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 遠藤ミチロウ公式ホームページ
- ザ・スターリン(データベース)
- THE STALIN FANSITE